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35・執事、会談を聞く。

06ぶっ殺す。

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 何が抑止力よくしりょくだ、ひとにぎりの有能? この国の人間はそうじておろか者だ。

 ああ、一人残らず殺すか。
 こんなものは暗殺や殺人ですらない、駆除くじょだ。

 アビィの幸せをうばい続けてきたこの国を、俺は――。

「アビゲイル・バセット! 一度語りを止めなさいっ!」

 大きな声でアビィに制止せいしを呼びかけたのは、剣客夫人けんきゃくふじんアンナ・バルカードであった。

「アビゲイル嬢、貴女の境遇きょうぐうなどに関して今は何も言いません。、でないと二秒でこの部屋の全員の首が飛びます。彼が殺す気で動いたら私にも止めることは不可能です」

 剣客夫人けんきゃくふじんの言葉でアビィが振り返り、驚いた顔で俺のほほにそっと触れる。

 そこでようやく気付く。

 俺が大粒おおつぶの涙を流して、全身の毛を逆立さかだて、上着の内側に入れたナイフをにぎめていることに、今気付いた。

 ああ、怒りでどうにかなりそうだ。
 自身の怒りに気づけないほどに、毛の一本まで俺の身体は燃え上がりそうな殺意がめぐっている。

 こいつら殺して、この国を滅ぼして、全員をアビィと同じように何の罪もなく理不尽に死なせてやりたい。

 いや死なせるか。
 ぶっ殺す。

「落ち着いて、ナイン。私を見て」

 アビィは涙を蒸発じょうはつさせるほど怒りで燃える俺の目とおだやかな目を合わせて、語りかける。

「もう大丈夫、私は確かにナインと出会ったあの日に一度殺された、アビィの心は死んでしまった。けど高田まりえとざり合った今の私は五体満足で健康的な身体を手に入れたことで今までのアビィの日々はその時点でプラマイゼロ、トントンになったの。そこから貴方と出会い、むすばれ、過ごして、私は日々幸せになっている。だから大丈夫、泣かないで」

 優しい声でそう言って、アビィは俺の頭を胸に寄せるように抱き寄せる。

 俺はアビィに吸われるように、アビィ優しい体温に合わせるように、身をがす熱が引いていく。

 感情的になり過ぎた。
 聖女を見てやや心がらいだままだったんだろう。

「……かしこまりました。お嬢様、おさわがせして申し訳ございませんでした」

 俺はアビィにそう伝えて、顔をぬぐって定位置に立ち直す。

 アビィもそれを見て、参加者の方へと振り返り話を再開する。

「まあ、私の知るモデルケースであるところのバセット伯爵家ややとわれていた平民の加虐性かぎゃくせいや教養のなさはこんな感じです。そして、これらは決してバセット伯爵家だけの話ではなく学園に通う子息令嬢たちも似たような傾向けいこうがあります。王妃様は群集心理ぐんしゅうしんりあやつりやすい無能なのはまだ子供だからとか、教養の足りてない平民だからと認識しているふしがありますが大半の貴族はそのまま大人になり特に何も考えずに富を得ています」

 このアビィの説明にエンデスヘルツ公爵を始めとした発展派参加者やマーク・リングストンやアンジェラ嬢、意外なところでバルカード夫人がうなずいて肯定こうていしめす。

「それらのおろか者たちに暇つぶしがてら悪意を向けられた場合に打破だはする方法は、もう暴力しかないのが現実なのです。私はこのナインにより救われました。彼がたまたま最強だったので。窮地きゅうちにおいて善悪ぜんあく正誤せいごなどは考えてはいられません、無論解決策はそれだけではありません。本来暴力にうったえずとも……そうですね、そちらのアンジェラ嬢のように取り巻く環境が非常に良く立ち直って幸せに生きることも出来ますが、家に帰ってもクズしか居ない私のような者は暴力をもちいざるをないのが現実なのです。正しくはありませんが、正しさを求めているわけではないんですよ」

 アビィは自身の行動原理を例として語る。

 これに聖女やエンデスヘルツ公爵、マーク・リングストンがうなじいて肯定こうていしめす。自身の爆弾や娘の大立ち回りや婚約者の怪人執事のことが過ぎったのだろう。

。仕方がないかもしれないけれども、それを容認ようにん武装決起ぶそうけっきなどで国政が変わる、暴力によって主張しゅちょうが通るという事実を歴史にきざむのはさらに先の世代に悪影響を与える可能性が非常に高い。これが今後の展望てんぼうに対する想像力です」

 今度は少しエンデスヘルツ公爵の方に顔を向けてアビィは語り出す。

「確かに現在この国で普及ふきゅうさせようとしている技術や産業は間違いなくこの国を劇的げきてきに豊かにするでしょう、利便性はさらに向上され効率化を求めて加速度的に文明レベルは上がります。だからこそ、一歩目には、美しくきよらかでなくてはならない。無能な貴族を排除はいじょし、有能な民だけで国を動かす。こころざしの高さで自身をりっして、向上心でもって平等と秩序ちつじょをもたらす。立派な考えですし実現も出来ると思います。

 アビィの語りに、エンデスヘルツ公爵はまゆをひそめる。

「五十年程度……? 何を根拠こんきょに言って――」

「私はそこのワタナベ男爵と似たような存在なのですよ、公爵」

 エンデスヘルツ公爵の言葉にかぶせるようにアビィは答える。
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