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7話

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廊下を静かに進む。石造りの冷たい床は僕の靴底を通して冷気を伝えてくる。壁に掛けられた燭台の揺れる炎が淡い影を作り出し、その影が生き物のように壁を這っている。王宮の深夜は音が存在しない真空の世界のようで、僕、シオンの心臓の鼓動すら聞こえてきそうだった。

息を潜めながら進むたび、胸の奥で渦巻く感情が激しさを増していく。
ティナのことを愛すれば愛するほどレオルグに対して憎しみが募った。大切なティナを裏切ったのだ。

許せない。許せるはずがない。

僕は真夜中の王宮に潜入した。目の前の大きな扉の向こうにはレオルグがいる。重厚な木製の扉は威圧的でその向こうに彼がいることを静かに告げているようだった。ティナの婚約者だった男。今となってはただのティナを傷つけた卑劣な男に過ぎない。

魔力で鍵を開ける音も消し、扉は静かに開いた。部屋の奥、豪奢なベッドの上には金糸で刺繍された寝間着を着たレオルグの姿があった。天蓋から垂れ下がる薄いカーテンが彼の寝顔を隠している。眠りに落ちていたらしい。

「誰だ!?」

僕の気配に気づいたのかレオルグが突然目を開け、慌てて起き上がろうとする。その顔には明らかな動揺が浮かんでいた。

「夜分に失礼する。レオルグ王子」

低く、冷たく、声を発する。普段の僕なら絶対に取らない態度。
レオルグは目を見開いた。

「お前は記憶を消せる魔法使い……!? な、なぜこんなところに……」

「その理由は王子が最もよくご存知でしょう?」

僕の言葉にレオルグの顔から血の気が引いていくのがわかった。
その目には恐怖と混乱が入り混じっている。
彼は震える手で言葉を探すが何も言えずにただ口を開閉している。その姿は普段の王子の面影はなかった。

「ティナを愛していたのは本当だ!しかし彼女は魔法を扱えなかった!だから仕方なく…」

レオルグの言葉に僕の怒りが頂点に達する。魔法の力が体内で暴れ出すのがわかった。

「ティナを傷つけておいて、まだそんなことが言えるのか!」

抑えきれない怒りが全身を支配していく。

「ま、魔法は……使うなよ……!」
レオルグはベッドの背に体を縮こませ、怯えたように訴える。だがもう止まるつもりはない。ティナの涙を想えば、彼を許すことなど到底できない。

「お前は、今日のこと、そしてティナのこと、全てを忘れるだろう。自分が何者なのかすらも」

冷徹な宣告をしながら僕は杖を構え、記憶を消し去る魔法を唱え始める。魔力が渦を巻き空気が震える。レオルグの瞳から光が失われていく。空虚な、何も映さない瞳。

「これでいい……これでティナは……」

僕は呟き杖を下ろした。レオルグは人形のようにベッドの上で崩れ落ちた。しばらくしてむくっと起き上がると周囲を見回しながら

「ここは…どこだ?なんでこんなところにいるんだ?
頭が…混乱してる。誰か、教えてくれ!」

パニックに陥いり

「俺の名前は?何をしてたんだ?
この感じ、まるで自分が消えてしまったみたいだ。
記憶が…何も思い出せない。
助けてくれ!俺は誰なんだ?何があったんだ!」

呼吸を整えようとしながら

「落ち着け、自分。きっと思い出せるはずだ。
でもどうやって?何もかもが霧の中だ…」

焦りが増した様子で

「こんな状況、信じられない!
嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!
誰か…誰か、頼む!俺を助けてくれ!」

そこにはただの記憶を失った男がいた。
目的は果たした。僕は静かに部屋を後にした。

.
.
.

小屋の扉を開けるとパンを焼く香ばしい匂いと薪が燃える音がした。ティナはいつも通り陽だまりのような笑顔で僕を迎えてくれた。

「おかえりなさい、シオン。お買い物は全部済んだの?」

「ああ、全部だ。ほら、見てくれよ」

そう言って町で購入した産着やガラガラなど、赤ちゃん用品が入った袋をテーブルの上に置いた。ティナはひとつひとつ手に取っては嬉しそうに微笑んでいる。僕の胸の中も温かさでいっぱいになった。

「全部とっても可愛い。シオン、ありがとう」

ティナは僕の腕にそっと自分の手を重ねた。その小さな手はいつもより少し冷えているように感じた。僕はとっさにティナの手を包み込み、温めるように息を吹きかける。

「どうしたんだ? 体調が優れないのか?」

「ええ、ちょっとだけ。でも心配しないで。赤ちゃんは元気いっぱいよ」

そう言ってティナはふっくらと丸くなったお腹に手を当てた。このお腹の中に新しい命が宿っている。僕とティナの愛の結晶が。

僕はそっとティナのお腹に手を重ねた。まだ直接触れ合うことはできないけれど、確かにそこに小さな命を感じることができた。この子をこの上ない愛情を持って育てていこう。そう心に誓った。

ティナとの出会いは本当に奇跡のようだった。深い森の中で独り記憶を失った僕の希望の光だ。

ティナと出会ってからの日々は色鮮やかで、愛に満ち溢れている。
空白だった俺の記憶はティナとの幸せな時間で満たされていく。

「私たちの子どもが生まれたらどんな名前にする?」
ティナの言葉に俺は少し考えた。
彼女と共に築く家族の姿が自然と心に浮かんだ。

「男の子ならアレンがいいと思う。女の子ならリーナ」

僕の提案にティナは嬉しそうに笑った。

「アレン……リーナ……素敵な名前」

子どもたちの名前を考えることがどれほどの喜びをもたらしてくれるのか、今の僕には実感できる。

僕はティナの額にそっとキスをした。ティナの柔らかな髪、透き通るような白い肌、そして愛に満ちた優しい瞳。その全てが僕にとってかけがえのないものだ。

「ティナ、愛してる。君と出会えて本当に良かった」

「私もよシオン。あなたと出会えたことは私の人生最大の喜びよ」

ティナは少しだけ潤んだ瞳で僕を見つめ返した。僕はティナの涙を指で拭い再び唇を重ねる。
永遠に続くかのような、温かくて優しいキスだった。

窓の外には夕暮れの空が広がり、森の木々をオレンジ色に染めている。

もうすぐこの小屋にも新しい家族が増える。
何があっても、どんな困難が待ち受けていようとも、僕はティナと子どもを守る。
それが失った記憶を超えて、今の僕が持つ唯一の宝物だった。
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