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第三章 新たなる展開?
3ー16 ノモンハン事変の教訓
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海軍の十二試艦戦、陸軍の重戦闘機採用においてルー101改若しくはルー101が採用され、吉崎航空から陸・海軍への航空機の供給が始まっているわけだが、それぞれ年間100機~200機を納入しているところだ。
1941年末までの段階で、海軍においては既に200機、陸軍でも150機が導入されているのだが実戦配備はもう少し先になる見込みのようだ。
切実な問題として、陸海軍とも熟練パイロットの養成が間に合わないようだ。
特に高速の戦闘機は目測を誤りやすいから、余程訓練をしないと危険なのだ。
実際問題として、訓練中、操縦を誤り地上に激突して死亡したパイロットも居る。
コクピットの中で死亡したルー101のパイロットの死に様は酷いものだったらしいが、40度近い角度で機首から地上に激突した墜落機自体はほぼ原型を保っており、適切な修理・整備を行うとそのまま飛べることがわかった。
期せずしてルー101の頑丈さがパイロットたちに知れ渡ったわけである。
海軍航空部、陸軍航空本部とも今更のようにルー101及びルー101改の強度を確認に来た。
そうして海軍の毘式四十粍機銃を至近距離で受けても大丈夫な防弾構造であることを知って驚愕し、秘密保持のために現場配備が更に遅くなったのである。
海軍の艦載機では、その代わりに四菱のA6M1零式一型艦上戦闘機「旋風」が取り敢えず配備されたし、陸軍では同様に仲嶋の一式戦闘機「隼」が海外の現場に配備された。
陸海軍共に万が一にでも新型機が敵方の手に渡ってはならないので、パイロットが十分に育つまでは実戦配備を遅らせることとしたのである。
本当は各機体に自壊装置をつけているので、必要があれば遠隔若しくは自動で発動し、機体その他の重要部品は自壊するようになっているんだが、まぁ、用心に越したことはないので、その辺は敢えて伏せている。
また、仮に自壊装置が発動しない場合でもブラック・ボックスを不用意に開けると自壊装置が作動し、重要部分の機密は守られるようになっている。
航空機に使用している素材については、米国の技術では三十年経っても真似ができないはずだ。
何せ先進の素材知識を持っていた21世紀に生きた依田隆弘にしても存命中は作れなかった代物だ。
錬金術師シャルン・ドゥ・ボアルの特異な錬金術があって初めて生まれる素材なのだから、おそらくは金谷工場等に備えてある特殊機械なしには生まれるはずのないものでもある。
従って、実は敵方にこちらの航空機の秘密が漏れる心配はほとんど無い。
戦争が始まってからの現場への実戦配備ともなれば、いずれその辺の情報も陸海軍に提供せねばなるまいと考えているところだ。
収拾が難しいだろうと思われた支那事変も、宮様首相の起用であっけなく収まってしまったので、当面、前線での配備で戦闘が起きそうなのは対ソ連だけであり、そちらの方は一式戦闘機だけでも十分に小競り合い程度は対応できそうだと考えている。
◇◇◇◇
一方、ノモンハン事変は、依田の時間線では、1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、満洲国とモンゴル人民共和国の間の国境線を巡って発生した紛争であり、私(吉崎)の居る現世でもほぼ史実通りの動きを見せていた。
生憎とノモンハン事件は陸軍の扱いであり、私(吉崎)はまた陸軍さんにはさほど食い込んでいない時期の出来事であったのだ。
何しろ5月にようやくルー101改をお目見えさせただけの時期だったから、ノモンハン事件に関与する余裕が無かったとも言える。
実際問題として、ウチのロートルパイロットを使って、義勇軍で参加させする荒業が無かったわけではないが、この時点で陸軍があまり勝つと碌なことが無いと思っていたから、あえて干渉を避けたのだ。
ノモンハン事件に関わった関東軍やその兵隊さんには気の毒だけれど、ソ連軍に負けることで戦訓を学び取ってもらいたいと思っていたぐらいだ。
戦訓の一つは、戦車等機械化部隊の起用であり、今一つはロジスティックの重要性だ。
ノモンハンの航空戦においては、当初帝国陸軍の方が優勢であった。
然しながら、多少なりとも損傷を受ければ飛べなくなるのが航空機なのだ。
帝国陸軍は、ソ連の物量と航空機の速力に負けた。
使用されたソ連側の航空機はいずれも航続距離が短いものなんだが、比較的に頑丈なうえに、速度が速かったのだ。
空戦において軽戦闘機の利点はその身軽さにあり機動性にあるんだが、高速機体で一撃離脱戦法を駆使されると対応できないんだ。
それでも何とか踏ん張ってはいたんだが、機体の損耗が激しくなるに従って、修理がおぼつかなくなり、制空権を奪われたのが敗因の一つである。
また、航空機の運用戦術にも差があったことが知られている。
帝国陸軍の航空隊は主として制空権の奪取を目指しての空戦が多い一方で、ソ連軍は偵察と地上支援爆撃にかなりのウェイトを置いていた。
そのために帝国陸軍部隊の動きがソ連側に筒抜けであったし、ソ連機による空中から支援攻撃のために帝国陸軍は苦戦を免れなかった。
この当時の地上爆撃が左程に精密なものではないし、爆弾も破壊力の大きなものではなかったが、それでも大量の地上走行車両を含めた物量で重要拠点を襲撃されると、逃げ場のない平原では歩兵部隊は負けるのである。
戦闘場所がハルハ川という帝国陸軍の駐屯地から遠距離にあることが帝国陸軍の弱点をさらけ出したともいえる。
ソ連軍は700キロ以上にも及ぶ兵站線を築き、同時に前線基地を擁したにもかかわらず、少なくとも8月攻勢の前段階では関東軍司令部はそのことを知らなかったし、依田の時間線では、戦後50年以上も経ってからようやくその歴史的事実を知る程度であった。
少なくとも戦争をするなら相手の兵站線や前進基地ぐらい抑えて置けよと言いたくもなるが、日露戦争から30年ほどしか経っていないこの時点では、そうした戦略的な発想が無いのは止むを得ないことかもしれない。
前にも述べたかもしれないが、帝国陸軍も海軍も戦争に対する発想は局地戦に勝利して講和を結ぶことを前提にしており、そもそも、日清・日露とも外地での戦闘であったから、戦争によって内地が侵略され、国家が滅びるかもしれないと言う危機意識が比較的に乏しかったのだ。
確かに極東から遠いモスクワなりスターリングラードまで攻め上ることができるなどと言う発想はできないだろうし、その力もなかったのだから、局地戦で勝利を収めて収拾を図るという考え自体は誤りではない。
しかしながら、その逆(ソ連に日本本土が侵攻される状況)は国力故にあり得るのだということを気づかねばならなかった。
そうした旧態然とした考えを改めてほしくて、干渉できたかもしれない局面で、私が投入できる戦力を敢えて使わなかった。
尤も、傭兵制度なんか無い時代だから、私兵が勝手に戦闘に参加したなら法的には種々問題が生じるんだけどね。
多くの将兵を助けられたかも知れないのに、それもしなかったという後悔は多少なりともあるが、仮にそこで動けば、ソ連との全面戦争に発展したかもしれないし、帝国陸軍の驕りを抱えたままになってしまう可能性もあった。
まして、帝国に特別に優秀な戦闘機があると知られれば、米国等に対策を立てられるかもしれない。
実はノモンハンに配備されていた陸軍の97式戦闘機も、当時としてはかなり優秀な機体であり、ソ連軍はそれに対抗する研究をした上で空陸の物量作戦で押してきたのである。
この時点で、事前の諜報活動でも負けていると言っても差し支えないかもしれない。
満州と言う地域は色々な人種がまじりあって住んでいる地域である。
当然に中国共産党の息のかかった工作員も基地周辺には多数居たはずであった。
中でも西のはずれの満州里などはソ連との国境も近いので、ソ連の人も頻繁に出入りしていた場所だ。
ノモンハン事変における日本側の損害はかなり酷いものであったのだが、おそらくはソ連の思い通りには戦闘状況は運ばず、同じくソ連側もかなりの損害を被っていたのである。
その後のにらみ合いではソ連側有利に交渉をまとめたが、ソ連は大いに日本軍を恐れたに違いない。
四倍もの兵力で臨んだにかかわらず日本軍以上の損害を出していたからである。
ソ連は、従来(日露戦争を含む)から三倍以上の兵力で事に当たる戦術を使っていた。
従って、彼らにとっては必勝の作戦であったにもかかわらず、損害が大きかったことがソ連軍幹部にとっては予想外のことだったのだ。
従って、ノモンハン事件以後も、ソ連がその被害を詳細には語らず、むしろプロパガンダで日本軍の損害をことさらに大きく報道していたという事実がある 。
帝国軍の戦車なんぞは紙装甲だったから役に立たなかったのは仕方がないとしても、ソ連(モンゴル軍も含む)の装甲車両も400両ほどは喪失しているから、帝国陸軍将兵がいかに善戦したかがわかるというものだ。
尤も、そのために師団が壊滅しているわけではあるが・・・。
仮に義勇軍を指揮して私が戦闘に参加するとなれば、戦略的には、後方に控える補給陣地を航空爆撃でまず叩いただろうな。
ソ連軍の航空主力であったI-16は最大速度は460キロ程度で頑丈にはできているが、ルー101の敵ではない。
但し、平原のどこにでも降りられるような航空機だから、分散されるとまとめて攻撃することは難しいのだが、どの道、航続距離が短いので対応はしやすいのである。
哨戒機で位置を確認し、機銃掃射を行えばすぐにも破壊できる代物である。
飛行場は低空飛行による爆撃で破壊できる。
当然に戦車部隊や師団規模の駐屯地への航空爆撃も有効だ。
地上兵力に対する攻撃ならば、50キロ爆弾程度で十分であり、ルー101に8個ぶら下げて爆撃すれば相当数の被害をもたらすことができただろう。
一応想定していたのは、ルー101が6機程度、哨戒機が1機か2機程度で、基地要員が20名前後を考えていた。
しかも、ノモンハンから600キロも離れた場所から出撃すればソ連側から空襲を受ける心配はない。
但し、満州駐在の帝国陸軍が無断で行ったタムスク爆撃により、モンゴル領域における空爆は東京から明確に禁止されたので、陸軍航空隊では敵地への空爆はできなくなり、また、仮に義勇軍を派遣しても同様に敵軍陣地への攻撃が難しくなっただろうから、ある意味で専守防衛を強いられる結果に終わっていただろうとは思っている。
この時点でソ連との本格戦争が始めたなら、この先、ナチス・ドイツを利することになるので、そもそも騒ぎを大きくしたくなかったという思いもあったんだ。
1941年末までの段階で、海軍においては既に200機、陸軍でも150機が導入されているのだが実戦配備はもう少し先になる見込みのようだ。
切実な問題として、陸海軍とも熟練パイロットの養成が間に合わないようだ。
特に高速の戦闘機は目測を誤りやすいから、余程訓練をしないと危険なのだ。
実際問題として、訓練中、操縦を誤り地上に激突して死亡したパイロットも居る。
コクピットの中で死亡したルー101のパイロットの死に様は酷いものだったらしいが、40度近い角度で機首から地上に激突した墜落機自体はほぼ原型を保っており、適切な修理・整備を行うとそのまま飛べることがわかった。
期せずしてルー101の頑丈さがパイロットたちに知れ渡ったわけである。
海軍航空部、陸軍航空本部とも今更のようにルー101及びルー101改の強度を確認に来た。
そうして海軍の毘式四十粍機銃を至近距離で受けても大丈夫な防弾構造であることを知って驚愕し、秘密保持のために現場配備が更に遅くなったのである。
海軍の艦載機では、その代わりに四菱のA6M1零式一型艦上戦闘機「旋風」が取り敢えず配備されたし、陸軍では同様に仲嶋の一式戦闘機「隼」が海外の現場に配備された。
陸海軍共に万が一にでも新型機が敵方の手に渡ってはならないので、パイロットが十分に育つまでは実戦配備を遅らせることとしたのである。
本当は各機体に自壊装置をつけているので、必要があれば遠隔若しくは自動で発動し、機体その他の重要部品は自壊するようになっているんだが、まぁ、用心に越したことはないので、その辺は敢えて伏せている。
また、仮に自壊装置が発動しない場合でもブラック・ボックスを不用意に開けると自壊装置が作動し、重要部分の機密は守られるようになっている。
航空機に使用している素材については、米国の技術では三十年経っても真似ができないはずだ。
何せ先進の素材知識を持っていた21世紀に生きた依田隆弘にしても存命中は作れなかった代物だ。
錬金術師シャルン・ドゥ・ボアルの特異な錬金術があって初めて生まれる素材なのだから、おそらくは金谷工場等に備えてある特殊機械なしには生まれるはずのないものでもある。
従って、実は敵方にこちらの航空機の秘密が漏れる心配はほとんど無い。
戦争が始まってからの現場への実戦配備ともなれば、いずれその辺の情報も陸海軍に提供せねばなるまいと考えているところだ。
収拾が難しいだろうと思われた支那事変も、宮様首相の起用であっけなく収まってしまったので、当面、前線での配備で戦闘が起きそうなのは対ソ連だけであり、そちらの方は一式戦闘機だけでも十分に小競り合い程度は対応できそうだと考えている。
◇◇◇◇
一方、ノモンハン事変は、依田の時間線では、1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、満洲国とモンゴル人民共和国の間の国境線を巡って発生した紛争であり、私(吉崎)の居る現世でもほぼ史実通りの動きを見せていた。
生憎とノモンハン事件は陸軍の扱いであり、私(吉崎)はまた陸軍さんにはさほど食い込んでいない時期の出来事であったのだ。
何しろ5月にようやくルー101改をお目見えさせただけの時期だったから、ノモンハン事件に関与する余裕が無かったとも言える。
実際問題として、ウチのロートルパイロットを使って、義勇軍で参加させする荒業が無かったわけではないが、この時点で陸軍があまり勝つと碌なことが無いと思っていたから、あえて干渉を避けたのだ。
ノモンハン事件に関わった関東軍やその兵隊さんには気の毒だけれど、ソ連軍に負けることで戦訓を学び取ってもらいたいと思っていたぐらいだ。
戦訓の一つは、戦車等機械化部隊の起用であり、今一つはロジスティックの重要性だ。
ノモンハンの航空戦においては、当初帝国陸軍の方が優勢であった。
然しながら、多少なりとも損傷を受ければ飛べなくなるのが航空機なのだ。
帝国陸軍は、ソ連の物量と航空機の速力に負けた。
使用されたソ連側の航空機はいずれも航続距離が短いものなんだが、比較的に頑丈なうえに、速度が速かったのだ。
空戦において軽戦闘機の利点はその身軽さにあり機動性にあるんだが、高速機体で一撃離脱戦法を駆使されると対応できないんだ。
それでも何とか踏ん張ってはいたんだが、機体の損耗が激しくなるに従って、修理がおぼつかなくなり、制空権を奪われたのが敗因の一つである。
また、航空機の運用戦術にも差があったことが知られている。
帝国陸軍の航空隊は主として制空権の奪取を目指しての空戦が多い一方で、ソ連軍は偵察と地上支援爆撃にかなりのウェイトを置いていた。
そのために帝国陸軍部隊の動きがソ連側に筒抜けであったし、ソ連機による空中から支援攻撃のために帝国陸軍は苦戦を免れなかった。
この当時の地上爆撃が左程に精密なものではないし、爆弾も破壊力の大きなものではなかったが、それでも大量の地上走行車両を含めた物量で重要拠点を襲撃されると、逃げ場のない平原では歩兵部隊は負けるのである。
戦闘場所がハルハ川という帝国陸軍の駐屯地から遠距離にあることが帝国陸軍の弱点をさらけ出したともいえる。
ソ連軍は700キロ以上にも及ぶ兵站線を築き、同時に前線基地を擁したにもかかわらず、少なくとも8月攻勢の前段階では関東軍司令部はそのことを知らなかったし、依田の時間線では、戦後50年以上も経ってからようやくその歴史的事実を知る程度であった。
少なくとも戦争をするなら相手の兵站線や前進基地ぐらい抑えて置けよと言いたくもなるが、日露戦争から30年ほどしか経っていないこの時点では、そうした戦略的な発想が無いのは止むを得ないことかもしれない。
前にも述べたかもしれないが、帝国陸軍も海軍も戦争に対する発想は局地戦に勝利して講和を結ぶことを前提にしており、そもそも、日清・日露とも外地での戦闘であったから、戦争によって内地が侵略され、国家が滅びるかもしれないと言う危機意識が比較的に乏しかったのだ。
確かに極東から遠いモスクワなりスターリングラードまで攻め上ることができるなどと言う発想はできないだろうし、その力もなかったのだから、局地戦で勝利を収めて収拾を図るという考え自体は誤りではない。
しかしながら、その逆(ソ連に日本本土が侵攻される状況)は国力故にあり得るのだということを気づかねばならなかった。
そうした旧態然とした考えを改めてほしくて、干渉できたかもしれない局面で、私が投入できる戦力を敢えて使わなかった。
尤も、傭兵制度なんか無い時代だから、私兵が勝手に戦闘に参加したなら法的には種々問題が生じるんだけどね。
多くの将兵を助けられたかも知れないのに、それもしなかったという後悔は多少なりともあるが、仮にそこで動けば、ソ連との全面戦争に発展したかもしれないし、帝国陸軍の驕りを抱えたままになってしまう可能性もあった。
まして、帝国に特別に優秀な戦闘機があると知られれば、米国等に対策を立てられるかもしれない。
実はノモンハンに配備されていた陸軍の97式戦闘機も、当時としてはかなり優秀な機体であり、ソ連軍はそれに対抗する研究をした上で空陸の物量作戦で押してきたのである。
この時点で、事前の諜報活動でも負けていると言っても差し支えないかもしれない。
満州と言う地域は色々な人種がまじりあって住んでいる地域である。
当然に中国共産党の息のかかった工作員も基地周辺には多数居たはずであった。
中でも西のはずれの満州里などはソ連との国境も近いので、ソ連の人も頻繁に出入りしていた場所だ。
ノモンハン事変における日本側の損害はかなり酷いものであったのだが、おそらくはソ連の思い通りには戦闘状況は運ばず、同じくソ連側もかなりの損害を被っていたのである。
その後のにらみ合いではソ連側有利に交渉をまとめたが、ソ連は大いに日本軍を恐れたに違いない。
四倍もの兵力で臨んだにかかわらず日本軍以上の損害を出していたからである。
ソ連は、従来(日露戦争を含む)から三倍以上の兵力で事に当たる戦術を使っていた。
従って、彼らにとっては必勝の作戦であったにもかかわらず、損害が大きかったことがソ連軍幹部にとっては予想外のことだったのだ。
従って、ノモンハン事件以後も、ソ連がその被害を詳細には語らず、むしろプロパガンダで日本軍の損害をことさらに大きく報道していたという事実がある 。
帝国軍の戦車なんぞは紙装甲だったから役に立たなかったのは仕方がないとしても、ソ連(モンゴル軍も含む)の装甲車両も400両ほどは喪失しているから、帝国陸軍将兵がいかに善戦したかがわかるというものだ。
尤も、そのために師団が壊滅しているわけではあるが・・・。
仮に義勇軍を指揮して私が戦闘に参加するとなれば、戦略的には、後方に控える補給陣地を航空爆撃でまず叩いただろうな。
ソ連軍の航空主力であったI-16は最大速度は460キロ程度で頑丈にはできているが、ルー101の敵ではない。
但し、平原のどこにでも降りられるような航空機だから、分散されるとまとめて攻撃することは難しいのだが、どの道、航続距離が短いので対応はしやすいのである。
哨戒機で位置を確認し、機銃掃射を行えばすぐにも破壊できる代物である。
飛行場は低空飛行による爆撃で破壊できる。
当然に戦車部隊や師団規模の駐屯地への航空爆撃も有効だ。
地上兵力に対する攻撃ならば、50キロ爆弾程度で十分であり、ルー101に8個ぶら下げて爆撃すれば相当数の被害をもたらすことができただろう。
一応想定していたのは、ルー101が6機程度、哨戒機が1機か2機程度で、基地要員が20名前後を考えていた。
しかも、ノモンハンから600キロも離れた場所から出撃すればソ連側から空襲を受ける心配はない。
但し、満州駐在の帝国陸軍が無断で行ったタムスク爆撃により、モンゴル領域における空爆は東京から明確に禁止されたので、陸軍航空隊では敵地への空爆はできなくなり、また、仮に義勇軍を派遣しても同様に敵軍陣地への攻撃が難しくなっただろうから、ある意味で専守防衛を強いられる結果に終わっていただろうとは思っている。
この時点でソ連との本格戦争が始めたなら、この先、ナチス・ドイツを利することになるので、そもそも騒ぎを大きくしたくなかったという思いもあったんだ。
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