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第三章 新たなる展開?
3-4 造船所とオイルリグ
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ー 吉崎視点 ー
九十九里浜の外れに当たる千葉県夷隅郡大原町の中道海岸は、切り立った崖と暗礁が多い場所であり、また海岸部の崖の上の凹凸が激しく海岸部に道路を通すことのできない場所なのだ。
従って、海岸線で略南北約800m、海岸線から内陸部に向かって略東西600m前後の範囲は、人家も畑も無い未開の原野であるので、大地の凹凸さえ気にしなければ、人知れず造船所を造るのには適した場所なのである。
場合により、北海道あるいは四国辺りに造船所を造ることも考えていたのだが、やはり房総の方が近いので何かと便利がいいと思いなおした。
土地の確保に動き始めて二か月余り、1940年(昭和15年)の2月下旬には、菅野中佐の力添えもいただきながら、中道海岸の約15万坪の土地が手に入った。
その中で私有地はわずかに1%未満であり、国有地払い下げと私有地買収に要した経費は総額1万8700円余りと、非常に安く上がった方だと思う。
ついでに周辺の漁師さんとも話し合い、中道海岸の北側外れにある「大原」と南側にある「岩船」の二つの漁港整備をしてあげることで、漁師さんからの了解も無事得られた。
この時代の漁師さんは、「お国のためならば」と、二つ返事で了解してくれましたけれど、実は中道海岸の沖の岩礁地帯は凪の時はとても良い漁場だったようだ。
従って、その代わりと言う訳でもないんだが、大原漁港沖と岩船漁港沖に大きな鉄分入りの人工漁礁を沈めて新たな漁場を作ってあげた。
人口漁礁はこの時代初めてのものだろうけれど、私はジャングルジムの形状で一本一本の柱や梁が太い代物を海中に作り上げた。
海底の岩礁等を用いて作ったので材料費はかかっていないんだ。
水深20mのところに一辺1mの立方体形状のものを東西、南北に各5個ずつ25個を並べ、次段は16個、三段目は9個、最後は4個と、4mの高さに積み上げたピラミッド状の格子群をそれぞれの海域に20基設置した。
海が澄んでいるので、凪いでいる時は海上からもその位置がはっきり見える。
積み上げた格子状の人工漁礁には鉄分を多く含ませているで、海藻が着いて生育することにより、数年先には魚の繁殖場になるはずだ。
但し、どちらかというと網をかけるには少々不便で、釣りが最適だろうな。
航路を避けて沿岸近くに設置したが、海軍水路部に通知して、通行船に支障が無いように海図にも記入してもらうよう配慮しているほか、目印として周囲に浮きをいくつか配置してる。
全部で20基の浮きが配置され、そこに何かがあるということが昼間であれば遠くからも見えるはずだ。
もちろん、造船所の出入りに支障があるような場所ではないし、沿岸を通る貨物船の航路からも外れている。
外航船は、北米航路の場合、北上せずに勝浦沖から大圏航路を取るのが普通だから中道海岸は見えないんだ。
あるとすれば、ソ連若しくはその関りのある船がウラジオストック辺りに向かう場合は、沿岸部を北上して津軽海峡を通るようになるかもしれず、その場合は中道海岸の5海里ほど沖合を航行する可能性もある。
その為に、造船所は沖合から見たときにカモフラージュされるように迷彩柄で背景に溶け込んで造船所とわからないようぼかすようにしている。
造船所は、乾ドック方式を採用し、長さ480m、幅120mの大きさのものを二本、長さが300m、幅が40mのものを三本作った。
造船所の周囲は、陸側部分については、高さが10mを超える防壁のような柵で覆い、外から内部を窺えないようにしている。
この壁も迷彩柄を施してあるので周囲の緑野に溶け込んで非常に見分けにくくなっているんだ。
同時に乾ドックの一つ一つを建造物で覆い隠し、緑や薄茶の迷彩色を塗って仮に偵察機が上空を飛んでも容易には判別がつかないようにするとともに、内部を隠している。
大きな方の乾ドックの深さは海面下45m、建造物はその上を高さが60mまで覆ってる。
つまりは大きな乾ドックでは、長さが約500m、基部からの高さが105m、幅が130mの直方体の建物の様になる。
小さな方は、乾ドックの深さが30m、建造物はその上を高さが40mまで覆っており、全体では長さが320m、高さが70m、幅が50mの直方体だね。
五つの乾ドックの海側は、概ね沖合800mまで東方向に防波堤が飛び出して、更に突端から南北に防波堤が伸びて大きな四角い水域を形作り、その開口部はおよそ400mほどありますが、南東方向に伸びる沖防波堤により港内の静穏度を高め、波浪からドックを守っている。
この防波堤もまた岩に偽装しており直線形状ではないので余程接近しないと岩場と勘違いするように偽装しているんだ。
また、造船所港内北側部分の一画には小舟溜まりを設け、タグボートなどが係留できるようになっている。
南側の岩船地区には漁港を造ったほか、その漁港の北側で造船所との間には小さ目の港湾区域を造り、突堤と係船設備を設けて、新造商船などの一時的な係船場所を予定している。
この港も沖合からは岩や人工島に隠れて容易には見えないように工夫されている。
また、五つの乾ドックの区画ごとに長さ200mの個別の水路があって、乾ドックの水門とは別にもう一つの水門がある。
この二重の水門と防波堤によって、高さが14mまでの波浪に耐えられるようにしてあり、太平洋の荒波からドックの施設自体を防護するようになっているんだ。
同水路は使用しない場合は岩礁に見えるものが海底からせりあがって船が出入りできないようになっているので、仮に空中から確認しても大きな船が通行できる水路とは判断できないはずなんだ。
この偽装岩礁は、船が乾ドックから出渠若しくは入渠するときにのみ海底に沈み、水路を開けることになる。
乾ドックから艦船が出渠するときは、海側の建物の一部が巻き上げ式のシャッターになっているので、大きな船でも出渠・入渠が可能だし、外側の水門も必要に応じて開放することができるようになっている。
因みに外側の水門は乾ドックの閉鎖扉と同様に、浮揚式ゲートになっているので開閉する時はタグボートがついて開け閉めすることになる。
造船所用のタグボートは、造船所内の船溜まりに4隻備えることにしている。
これだけの規模の造船所を作り上げるには、この時代でも早くて三年から五年ほどはかかるのが普通だけれど、全ての機器・装置類などを含めて私は二か月半で竣工させたんだ。
その間に、造船所で必要な人員の募集をしたりしたので、私、代表取締役の吉崎は実質的に一日の休みも無く働きどおしだったな。
とんだブラック企業だが、自分で始めたことなので、これも止むを得ないだろうな。
お陰で1940年(昭和15年)5月半ばには造船所の一部が稼働できるようになった。
集めた技師や、職工さんたちの教育をしつつ、造船業も開始しなければならないわけである。
最初に作り始めたのは小さいドックの方で、タグボートが6隻だった。
四隻は吉崎重工中道造船所への出し入れで使うが、二隻は外洋タグと言って、外洋で大きな艀などを曳航したり、海上作業の支援活動を行ったりするためのタグボートだ。
小型のタグはシュナイダー・プロペラを採用した。
この手の推進機関を有するタグは、この世界では多分初めてのはずだ。
時間的余裕が余り無かったので、本番で造りながらの工員や技師たちの実習がメインだった。
例によって魔道具を使った知識習得と技能習得が効いたのか、ほぼ一月で大枠の作業の手順は覚えてくれて、四隻のタグボートは無事に完成したよ。
その余勢を駆って、二隻の大型タグボートの建造については半数の技師と作業員に任せたよ。
因みにエンジンと発電機等については、別のエンジニアたちが陸上の工場で製造しているが、こちらの知識や技術習得も非常に早くて助かっている。
採用時には、造船所での勤務経験のある者は一人も居なかったのだけれど、私が鑑定を使いながら選んだ人たちだから、それなりに能力のある人だったのだと思う。
残りの人員は、大型の乾ドックで試掘用リグの建造にあたってもらった。
リグ自体は、概ね百メートル四方の鋼鉄の枠組みで造った台船のようなものだ。
下部に浮き代わりの方形タンクがあって、リグを海上に浮かばせることができるんだ。
その浮いた状態で大型タグが曳航し、目的の海域まで到達したなら予定地点でアンカーを張って、昇降式の脚を生やし、リグによる海底試掘を開始することになる。
仮に原油が見つかれば、そのまま海底に固定させて、掘削リグはそのまま油井としての施設になる。
リグの建造を始めてから三か月足らず、7月終りには掘削リグの一号機が完成しました。
作業の段取りを含めて色々諸準備をしていると8月も半ばを過ぎ、北の海では間もなく秋口に掛かりますので、出発を来年に見送ろうかと思い始めたころ、予め編成していた石油掘削チームの担当者たちが一刻でも早くとの意気込みが凄く、結局8月25日には二隻の大型タグに曳かれて、掘削リグは北へ向かって出発した。
随伴船「あかつき丸」に乗船して、掘削リグに同行しているのは、新たに設立した吉崎石油開発の原油開発部の連中だ。
このあかつき丸も、小型ドックで作り上げた5000トン余りの貨客船だが、どちらかというと掘削作業に伴う作業員のホテルシップと補給船のような役割を担っている。
掘削リグの骨組みだけは、所謂鋼鉄で造ったが、タグボート及びあかつき丸はいずれも特殊素材を用いた船舶なんだ。
こちらにも航空機と同じセラカーボン素材を多用したよ。
軽く頑丈な上、錆びることもない優れものだからね。
タグボート及びあかつき丸の船体主要部に使用されている厚さ9ミリのセラカーボンは、これから作られるであろう戦艦「大和」の最も厚い装甲を凌ぐ強靭さを持っている。
但し、40センチ主砲弾等が当たれば船は無事でも、船ごと強烈な衝撃を受けますから、中にいる人は無事では済まない可能性はあるんだ。
それでも銃砲弾をある程度気にせずとも良いのは安心感があるよね。
掘削リグは、概ね5~6ノットで曳航されて北上した。
そのルートは、まっすぐ択捉島方面に向けて本州の東海上を進み、国後島と択捉島の間の国後水道を抜けてオホーツク海に入り、樺太の多来加湾東側、野頃沖の概位北緯48度53分20秒、東経144度33分24秒付近を目指す予定だ。
掘削リグが曳航されて北上中に、海軍省を巻き込みながら、内務省、商工省及び樺太庁に鉱区及び試掘の申請を出した。
あかつき丸と外洋タグ二隻が曳く掘削リグは、幸いなことにさしたる時化にも会わず、9月5日には無事に多来加湾に到着したのだった。
因みに運航要員はいくつかの海運会社から派遣船員を借りた。
能力的には多分ウチの者でも大丈夫なのだけれど、生憎と船員の海技資格を取るには時間が足りなかったんだ。
まぁ、海軍仕様と言うことで法律適用外にする方法もあったんだけれどね。
九十九里浜の外れに当たる千葉県夷隅郡大原町の中道海岸は、切り立った崖と暗礁が多い場所であり、また海岸部の崖の上の凹凸が激しく海岸部に道路を通すことのできない場所なのだ。
従って、海岸線で略南北約800m、海岸線から内陸部に向かって略東西600m前後の範囲は、人家も畑も無い未開の原野であるので、大地の凹凸さえ気にしなければ、人知れず造船所を造るのには適した場所なのである。
場合により、北海道あるいは四国辺りに造船所を造ることも考えていたのだが、やはり房総の方が近いので何かと便利がいいと思いなおした。
土地の確保に動き始めて二か月余り、1940年(昭和15年)の2月下旬には、菅野中佐の力添えもいただきながら、中道海岸の約15万坪の土地が手に入った。
その中で私有地はわずかに1%未満であり、国有地払い下げと私有地買収に要した経費は総額1万8700円余りと、非常に安く上がった方だと思う。
ついでに周辺の漁師さんとも話し合い、中道海岸の北側外れにある「大原」と南側にある「岩船」の二つの漁港整備をしてあげることで、漁師さんからの了解も無事得られた。
この時代の漁師さんは、「お国のためならば」と、二つ返事で了解してくれましたけれど、実は中道海岸の沖の岩礁地帯は凪の時はとても良い漁場だったようだ。
従って、その代わりと言う訳でもないんだが、大原漁港沖と岩船漁港沖に大きな鉄分入りの人工漁礁を沈めて新たな漁場を作ってあげた。
人口漁礁はこの時代初めてのものだろうけれど、私はジャングルジムの形状で一本一本の柱や梁が太い代物を海中に作り上げた。
海底の岩礁等を用いて作ったので材料費はかかっていないんだ。
水深20mのところに一辺1mの立方体形状のものを東西、南北に各5個ずつ25個を並べ、次段は16個、三段目は9個、最後は4個と、4mの高さに積み上げたピラミッド状の格子群をそれぞれの海域に20基設置した。
海が澄んでいるので、凪いでいる時は海上からもその位置がはっきり見える。
積み上げた格子状の人工漁礁には鉄分を多く含ませているで、海藻が着いて生育することにより、数年先には魚の繁殖場になるはずだ。
但し、どちらかというと網をかけるには少々不便で、釣りが最適だろうな。
航路を避けて沿岸近くに設置したが、海軍水路部に通知して、通行船に支障が無いように海図にも記入してもらうよう配慮しているほか、目印として周囲に浮きをいくつか配置してる。
全部で20基の浮きが配置され、そこに何かがあるということが昼間であれば遠くからも見えるはずだ。
もちろん、造船所の出入りに支障があるような場所ではないし、沿岸を通る貨物船の航路からも外れている。
外航船は、北米航路の場合、北上せずに勝浦沖から大圏航路を取るのが普通だから中道海岸は見えないんだ。
あるとすれば、ソ連若しくはその関りのある船がウラジオストック辺りに向かう場合は、沿岸部を北上して津軽海峡を通るようになるかもしれず、その場合は中道海岸の5海里ほど沖合を航行する可能性もある。
その為に、造船所は沖合から見たときにカモフラージュされるように迷彩柄で背景に溶け込んで造船所とわからないようぼかすようにしている。
造船所は、乾ドック方式を採用し、長さ480m、幅120mの大きさのものを二本、長さが300m、幅が40mのものを三本作った。
造船所の周囲は、陸側部分については、高さが10mを超える防壁のような柵で覆い、外から内部を窺えないようにしている。
この壁も迷彩柄を施してあるので周囲の緑野に溶け込んで非常に見分けにくくなっているんだ。
同時に乾ドックの一つ一つを建造物で覆い隠し、緑や薄茶の迷彩色を塗って仮に偵察機が上空を飛んでも容易には判別がつかないようにするとともに、内部を隠している。
大きな方の乾ドックの深さは海面下45m、建造物はその上を高さが60mまで覆ってる。
つまりは大きな乾ドックでは、長さが約500m、基部からの高さが105m、幅が130mの直方体の建物の様になる。
小さな方は、乾ドックの深さが30m、建造物はその上を高さが40mまで覆っており、全体では長さが320m、高さが70m、幅が50mの直方体だね。
五つの乾ドックの海側は、概ね沖合800mまで東方向に防波堤が飛び出して、更に突端から南北に防波堤が伸びて大きな四角い水域を形作り、その開口部はおよそ400mほどありますが、南東方向に伸びる沖防波堤により港内の静穏度を高め、波浪からドックを守っている。
この防波堤もまた岩に偽装しており直線形状ではないので余程接近しないと岩場と勘違いするように偽装しているんだ。
また、造船所港内北側部分の一画には小舟溜まりを設け、タグボートなどが係留できるようになっている。
南側の岩船地区には漁港を造ったほか、その漁港の北側で造船所との間には小さ目の港湾区域を造り、突堤と係船設備を設けて、新造商船などの一時的な係船場所を予定している。
この港も沖合からは岩や人工島に隠れて容易には見えないように工夫されている。
また、五つの乾ドックの区画ごとに長さ200mの個別の水路があって、乾ドックの水門とは別にもう一つの水門がある。
この二重の水門と防波堤によって、高さが14mまでの波浪に耐えられるようにしてあり、太平洋の荒波からドックの施設自体を防護するようになっているんだ。
同水路は使用しない場合は岩礁に見えるものが海底からせりあがって船が出入りできないようになっているので、仮に空中から確認しても大きな船が通行できる水路とは判断できないはずなんだ。
この偽装岩礁は、船が乾ドックから出渠若しくは入渠するときにのみ海底に沈み、水路を開けることになる。
乾ドックから艦船が出渠するときは、海側の建物の一部が巻き上げ式のシャッターになっているので、大きな船でも出渠・入渠が可能だし、外側の水門も必要に応じて開放することができるようになっている。
因みに外側の水門は乾ドックの閉鎖扉と同様に、浮揚式ゲートになっているので開閉する時はタグボートがついて開け閉めすることになる。
造船所用のタグボートは、造船所内の船溜まりに4隻備えることにしている。
これだけの規模の造船所を作り上げるには、この時代でも早くて三年から五年ほどはかかるのが普通だけれど、全ての機器・装置類などを含めて私は二か月半で竣工させたんだ。
その間に、造船所で必要な人員の募集をしたりしたので、私、代表取締役の吉崎は実質的に一日の休みも無く働きどおしだったな。
とんだブラック企業だが、自分で始めたことなので、これも止むを得ないだろうな。
お陰で1940年(昭和15年)5月半ばには造船所の一部が稼働できるようになった。
集めた技師や、職工さんたちの教育をしつつ、造船業も開始しなければならないわけである。
最初に作り始めたのは小さいドックの方で、タグボートが6隻だった。
四隻は吉崎重工中道造船所への出し入れで使うが、二隻は外洋タグと言って、外洋で大きな艀などを曳航したり、海上作業の支援活動を行ったりするためのタグボートだ。
小型のタグはシュナイダー・プロペラを採用した。
この手の推進機関を有するタグは、この世界では多分初めてのはずだ。
時間的余裕が余り無かったので、本番で造りながらの工員や技師たちの実習がメインだった。
例によって魔道具を使った知識習得と技能習得が効いたのか、ほぼ一月で大枠の作業の手順は覚えてくれて、四隻のタグボートは無事に完成したよ。
その余勢を駆って、二隻の大型タグボートの建造については半数の技師と作業員に任せたよ。
因みにエンジンと発電機等については、別のエンジニアたちが陸上の工場で製造しているが、こちらの知識や技術習得も非常に早くて助かっている。
採用時には、造船所での勤務経験のある者は一人も居なかったのだけれど、私が鑑定を使いながら選んだ人たちだから、それなりに能力のある人だったのだと思う。
残りの人員は、大型の乾ドックで試掘用リグの建造にあたってもらった。
リグ自体は、概ね百メートル四方の鋼鉄の枠組みで造った台船のようなものだ。
下部に浮き代わりの方形タンクがあって、リグを海上に浮かばせることができるんだ。
その浮いた状態で大型タグが曳航し、目的の海域まで到達したなら予定地点でアンカーを張って、昇降式の脚を生やし、リグによる海底試掘を開始することになる。
仮に原油が見つかれば、そのまま海底に固定させて、掘削リグはそのまま油井としての施設になる。
リグの建造を始めてから三か月足らず、7月終りには掘削リグの一号機が完成しました。
作業の段取りを含めて色々諸準備をしていると8月も半ばを過ぎ、北の海では間もなく秋口に掛かりますので、出発を来年に見送ろうかと思い始めたころ、予め編成していた石油掘削チームの担当者たちが一刻でも早くとの意気込みが凄く、結局8月25日には二隻の大型タグに曳かれて、掘削リグは北へ向かって出発した。
随伴船「あかつき丸」に乗船して、掘削リグに同行しているのは、新たに設立した吉崎石油開発の原油開発部の連中だ。
このあかつき丸も、小型ドックで作り上げた5000トン余りの貨客船だが、どちらかというと掘削作業に伴う作業員のホテルシップと補給船のような役割を担っている。
掘削リグの骨組みだけは、所謂鋼鉄で造ったが、タグボート及びあかつき丸はいずれも特殊素材を用いた船舶なんだ。
こちらにも航空機と同じセラカーボン素材を多用したよ。
軽く頑丈な上、錆びることもない優れものだからね。
タグボート及びあかつき丸の船体主要部に使用されている厚さ9ミリのセラカーボンは、これから作られるであろう戦艦「大和」の最も厚い装甲を凌ぐ強靭さを持っている。
但し、40センチ主砲弾等が当たれば船は無事でも、船ごと強烈な衝撃を受けますから、中にいる人は無事では済まない可能性はあるんだ。
それでも銃砲弾をある程度気にせずとも良いのは安心感があるよね。
掘削リグは、概ね5~6ノットで曳航されて北上した。
そのルートは、まっすぐ択捉島方面に向けて本州の東海上を進み、国後島と択捉島の間の国後水道を抜けてオホーツク海に入り、樺太の多来加湾東側、野頃沖の概位北緯48度53分20秒、東経144度33分24秒付近を目指す予定だ。
掘削リグが曳航されて北上中に、海軍省を巻き込みながら、内務省、商工省及び樺太庁に鉱区及び試掘の申請を出した。
あかつき丸と外洋タグ二隻が曳く掘削リグは、幸いなことにさしたる時化にも会わず、9月5日には無事に多来加湾に到着したのだった。
因みに運航要員はいくつかの海運会社から派遣船員を借りた。
能力的には多分ウチの者でも大丈夫なのだけれど、生憎と船員の海技資格を取るには時間が足りなかったんだ。
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