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第三章 新たなる展開

3-2 第一次大戦の対応と初めての渡航

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 1814年(大正3年)6月のオーストリア皇太子暗殺事件から波及して、第一世界大戦のはしりであるドイツ帝国からロシアへ帝国の宣戦布告が8月1日になされました。
 次いでドイツ帝国は、ルクセンブルク、ベルギー、フランス、イギリスへと日替わりのように次々と宣戦布告を実施、これにオーストリア・ハンガリー帝国も参戦して欧州西部域は戦乱の渦に巻き込まれて行ったのです。

 帝国は欧州の戦況に関わりなく英米の顔色を窺いつつも太平洋海域での参戦の時期を推し計っている状況にありました。
 種々の情報が錯綜する中で、ドイツの横暴に対して英米ともに日本の参戦については反対しないという非公式表明があったのを契機として、帝国は大正3年10月を期して赤道以北のドイツ占領地域である太平洋島嶼群を攻略したのです。

 更には英国との密約を交えて、帝国は英軍と共同で青島チンタオ及び膠州こうしゅう湾を攻略しました。
 帝国はこれにより占領地域のドイツの権益を受け継ぐことになり、極めて少ない戦費で勝利を得ることができたのです。
 
 この後、二年後か三年後には、地中海へ16隻から18隻程度の帝国艦隊を派遣して参戦し、Uボート等との戦闘があることを宏禎王は承知していたので、海軍の諸住大佐を通じて、現有駆逐艦装備の改装を海軍に申し出ました。
 西浦造船所で造った長月型駆逐艦ならば全く問題ないのですが、海軍が1914年11月から1915年4月までに相次いで竣工させたかば型駆逐艦は、概ね600トンを超えていることから外洋哨戒能力が増大したものの、対潜能力に甚だしく欠けるものだったのです。
 そのため、少なくとも簡易型ソナーの装備、爆雷投射装置を新たに装備させることにしたのです。。

 ドイツ軍が保有する潜水艦に対して120ミリ砲や80ミリ砲、それに通常魚雷の兵装では、攻撃力はほとんどないに等しいのです。
 潜水艦が浮上しているところにたまたま行きあたるような幸運を考えているならば正真正銘の馬鹿と言われても仕方がありません。

 派遣された駆逐艦が地中海で実際にドイツ軍の海上戦闘艦と戦うイメージが宏禎王にはなかったので、投射型爆雷の備蓄を最優先に火薬庫を整理させ、1隻当たり六回戦分の小型投射爆雷を備えさせました。
 無論同行する補給艦にも相応の補給爆雷を搭載して地中海まで出向けるよう準備をしていたのです。

 そうして予想通り英国等連合軍の要請に基づき、艦隊を派遣することが決定されたのですが、その数が24隻と多かったので宏禎王を少々慌てさせました。
 宏恭王の予想を覆す数の派遣ではあったのですが、要は囮であるにしろ、飾りであるにしろ、海軍工廠で建造した戦艦、巡洋艦をお披露目したかったという海軍首脳部の国威発揚のエゴが大きく働いたらしいのです。

 それに輪をかけて、樺太油田開発の功績で燃料費が大幅に削減できたことも理由の一つであるらしいのです。
 これまで外国から輸入せざるを得なかった燃料が自前で安く生産できるのですから、海軍経理部はホクホクであったようですね。

 帝国海軍も日露戦争当時は石炭炊きボイラーでしたが、燃焼効率の関係から明治41年には重油炊きボイラーの試験運用を始め、石炭から重油へと徐々に転換している状況でした。
 まぁ金に糸目を付けない軍艦なのでできたことで、民間への普及はもう少し遅れましたし、民間では重油よりも更に効率の良い地脈発電装置とパラチウム電池の取り込みを始めていますけれどね。

 因みに樺太油田から運ばれた原油は国内各地で精製され、戦争特需で香港、シンガポールなどに盛んに輸出されています。
 シンガポールから先のインド洋や地中海にまで大量に送られているようなのですが、今のところ日本籍タンカーは数も少ないことからそこまで運んでいないようです。

 何れにしろ、1917年2月に編成された初の遠洋派遣艦隊は、戦艦2隻、巡洋艦2隻、駆逐艦16隻、補給艦4隻の堂々たる艦隊となっていたのです。
 そうして帝国艦隊が地中海に入るや否や飛鳥重工西浦造船所で改装された駆逐艦隊が大活躍をしました。

 数日で20隻近くのUボートを殲滅したのです。
 何しろ簡易型とはいえ、海中にある大規模な鉄に反応するように作られたソナーなので、仮に潜水艦が動かずにいてもその位置が明確にわかり、監視している間にもこれが動き出すとすぐに潜水艦と判断して投射爆雷で正確な攻撃を仕掛けるのです。

 一隻で一日に4隻も沈める剛の者も出るほどに、帝国艦隊の改装駆逐艦は活躍しました、
 このため連合軍司令部で計画されていた上陸部隊の護送任務等、地中海における依頼任務は滞りなく完遂され、居合わせた各国艦隊から非常に高い評価を受けたようです。

 まぁ、国際的評価の裏側には相応の仮想敵国としての警戒心もあったようですね。
 いずれにせよ、帝国の地中海派遣艦隊は一隻の被害を出すこともなく無事に帝国へ戻ってくることができました。

 この後、暫くの間は各国からソナーや投射爆雷の提供について打診があったのですが、海軍さんには軍機ということで全て突っぱねてもらいました。
 何しろオーバーテクノロジーで、少なくとも20年は未来の代物ですから、各国が刺激されて同じようなモノを開発するのは構いませんが、技術提供などで簡単には入手させるようなことはしないのです。

 ◇◇◇◇

 時間は前後しますが、欧州での第一次大戦の動きを横に見ながら、大正4年(1915年)8月18日、私(宏禎王)は横浜港大桟橋に係留中の明日香丸船上にあって、大勢の見送りを受けている最中です。
 一緒に同行するのは伊藤侍従と坂崎侍従、それにメイドである栗山さやかと坊城明子、更に警護の武官である深山みやま喜朗よしろう陸軍大尉と神澤かみさわ幸四郎こうしろう海軍中尉の計6名です。


 出発の数日前まで島津由紀子嬢が盛んに私に付いて行きたいと駄々をこねていましたが、結局諦めてもらいました。
 尤も、帰国したなら由紀子嬢との婚約を正式に検討するとの約束までさせられましたけれどね。

 彼女も数えで18歳ですから本気で嫁ぎ先を決めねばならない時期なんです。
 沢山来ているであろう縁談を断るには私と婚約間近とのお墨付きが欲しいのだそうです。

 まぁ、彼女のことですから、そんなものが無くても片っ端から撃破するのでしょうけれど、やはり何か約束めいたものが欲しいようでした。
 私から見ても最近はとみに女らしくなって色気づいてきたように思います。

 ところで明日香丸は、ハワイを経由して直接北米東岸のボストンへ向かいます。
 従って、ハワイに渡航する乗客や、東海岸に向かう商社員などが二十人ほど乗船しています。

 この時代、ハワイや南米などに移民をしている事例が多いのですが、流石に移民は乗船していません。
 官制移民は既に終わり民間主導の移民方式に変わっていましたし、移民船に比べると運賃が高いですからね。
 
 それに宮家の一員が乗船するということで移民の対応窓口である民間会社も流石に忌避したようです。
 ですから本当に急ぎの用事で渡航する人だけが乗船しているのです。

 パナマ運河は1915年4月にようやく完成しました。(史実ではパナマ運河は1914年の夏場に完工していたはずなのですが、私のいるこの世界では何でも伝染病の発生で半年ほども完成が遅れたらしいのです。)
 そもそも、横浜から米国東海岸へ直接行く航路と言うのは基本的になかったのです。

 それよりも一旦米国西岸で降りて、大陸横断鉄道で東海岸に向かうのが一番早くて経済的でもあるのです。
 但し、明日香丸の運航計画を見て、明日香丸に乗船及び貨物の運送を申し込んできたのが純友商事などいくつかの商社でした。

 輸出貨物がハワイ及び北米西岸向けで五千トン余りと北米東岸向けで三千トン余り、乗客は私達主従を除いてハワイ下船予定客11名と東海岸下船予定客10名で併せて21名になりました。
 因みに帰途には西インド諸島や南米に寄港して輸入品を積み込む手配もなされています。

 元々、明日香丸は通常西浦湾港に係留しており、私が必要とする時だけに運航するような不定期船であって次回の運航計画も決まっていませんから、商社が色々と明日香海運にお願いしてきた結果がそうなったのです。
 乗組員は全員ゴーレムですので私としては帰路の運航については心配していません。

 なお、先行している大工さん(ゴーレムです。)を連れ戻すのも帰路の仕事なんです。
 私が二年後に帰国する時にも明日香丸に迎えに来ては貰いますが、その際は東海岸ではなく西海岸からの帰国になるかもしれません。

 8月18日午前10時に横浜港を出港し、向かうのはハワイのホノルル港です。
 横浜港からホノルル港まで凡そ6300キロ、明日香丸の巡航速力30ノットでは、足掛け5日(4日と17時間)なので、入出港にかかる時間を考え併せてもハワイ時間で8月22日午前9時か10時頃にはホノルル港に着く予定なのです。

 ちょうど台風シーズンなのですが幸いにして明日香丸は台風にもかち合わず順調に航海を続けています。
 フィン・スタビライザーが良い仕事をしている関係で、船内はほとんど横揺れがありません。

 一緒に乗船した商社マンたちが随分揺れない船なんですねとびっくりしていました。
 彼らのほとんどは所謂二等船客での乗船なのですが、華族のご夫婦が一等船客でハワイまで一緒の旅をされました。

 北陸道の某藩当主であった松平泰隆やすたか侯爵です。奥様の土岐子ときこ様とご一緒に米国の農業事情を視察するために明日香丸に乗船されたとのこと。
 宮家親王と一緒の旅と知って随分恐縮していましたが、「若輩者です余りお気にせず色々と教えてください。」と言って、侯爵の得意分野である農業について二日ほど教えていただきました。

 侯爵ご自身は英国に留学して農業を学んできた経歴のある方で、英語も得意ですし、大変温厚な方でした。
 今回は主として米国の西岸部と中西部の酪農を視察する目的なのだそうです。

 さしたる時化にも合わず、予定通り8月22日午後10時にはホノルル港の突堤に接岸しましたが、検疫・通関の手続きで思いのほか時間がかかり夕刻近くになってようやく乗客の下船と貨物の積み下ろしが終わりました。
 松平侯爵ご夫妻とはここでお別れです。

 米国の入国手続きは一応済ませ、日没前後にホノルル市内の散策をしました。
 ハワイは米国人入植者が武力で王政を打破し、無理やり米国の植民地にした土地柄ですので、やはり、どうしても白人優先が目立つ社会です。

 20世紀も後半以降では国際的な観光地になり、そうした有色人種蔑視べっしの傾向は収まりましたが、明治から大正にかけては依然として白人優位の世界が続いていたのです。
 このため街を歩いていても何かとちょっかいをかけてくる白人が居ました。

 まぁ、ヒュプノで追い払っていましたのでこちらに実害はないのですけれどね。
 害意を持って近づくものが多いのには本当に閉口します。

 この当時、ワイキキの浜辺はありませんでした。
 私が訪れた後に、ハワイをリゾート地にするために埋め立てを行い、他所から砂が持ち込まれてワイキキの浜と水路が出来上がったのです。

 特段土産を買おうという気にはなりませんでしたが、唯一、現状を記録しておこうと思い、超小型ビデオで撮影をしておきました。
 暗視カメラでもあるので、日没後でも使えます。

 ビデオカメラなんて代物はこの時代にはまだありませんので、勿論、魔道具ですし、周囲には内緒のモノですよ。
 ホノルルでの小冒険は二時間足らずで終わりました。

 翌日は午前10時に出港ですので、外出は難しいです。
 精々早朝に埠頭周辺でジョギングや体操をするぐらいでしょうか。

 ところで、明日香丸の到着は海底ケーブルを使って米国国務省に電話で知らされたようです。
 駐日大使館から8月18日10時に横浜大桟橋を出港したことは知らされていますが、こちらへの入港届により、4日と20時間ほどでホノルルに到達したことに驚いている筈です。
 因みに日本と米国の間には1906年に設置された海底ケーブルがあって、連絡が取れるのですが通信費用がとても高いのが玉にきずです。

 明日香丸の巡航速力が米国に知られてもどうと言うことはありません。
 その結果として、いずれかの組織が無茶をしようとしたなら、相応の対処をするだけです。

 明日香丸は私が常時見守っていますからね。
 たとえ軍によっても動きを止められないのです。

 午前8時から開始された岸壁に着岸しながらの積み荷作業は非常に早く、500トンほどの輸入品積み込みは一時間ほどで作業が終了していました。
 明日香丸は、予定通り10時にホノルル港を出港しました。

 ここから米国東岸のボストン港外まではパナマ経由で1万3000キロほど。
 30ノットの巡航速力では約233時間とほぼ10日、パナマの通峡で丸一日かけても11日後には到着予定であり、ボストンとホノルルの時差は5時間ですので、ボストン郊外に到着するのは9月4日になるでしょうか。


 途中で多少の時化はあるかもしれませんが、その場合は少し速力を落とし、海象が良くなってから速力を上げればいいだけのことです。
 非公開ながら明日香丸の最大速力は40ノットを超えるんです。


 当代では世界最速の貨客船であるはずです。
 19世紀末に造られた小型タービン船が36ノットを超える速力を出している筈ですので現状で世界一速い船かどうかは不明なのです。
 往々にして軍艦は金に糸目をつけませんし最高速力は秘匿されて公開されないので不明なのです。


 パナマ経由の場合、赤道まであとわずかながら南半球に到達しないので、赤道祭は行われません。
 その代わりに初めてのパナマ通峡と言うことで、大西洋に出た際に無礼講の立食パーティを行いました。

 生憎と私は飲めないので、侍従二人に任せました。
 メイドの二人は遠慮して飲みませんでしたね。

 まぁ、女性がへべれけになるまで飲めるのは昭和も後半以降なのでしょうね。
 それまでは女が酒を飲むなんてとんでもないと言う世相の筈でしたから。

 ところで明日香丸の航海中、海難にも海賊にも遭遇しませんでした。
 まぁ、無線電信が未だ普及していない時代のことですから何かあっても周囲の船に伝える手段が少ないんですね。

 タイタニック号の遭難の際は信号弾を打ち上げたりしたのですが、それを見た貨物船は客船が花火を打ち上げているとしか思わなかったそうなんで、どんな場合でも意思の疎通は非常に大事なことだと思います。
 救助が可能な船が、遭難を知らずにいたために救助できなかった不幸なお話です。
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