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第二章 共に生きるために
2ー1 浅草寺
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彩華には日課があった。
朝起きると最初に松倉と共に剣の稽古をする。
それから食事をして、白木屋の娘である舞にお稽古事を教えるのである。
これは仇討が成就してから、白木屋に逗留を願い出た折に、伝兵衛からお願いされたことである。
町娘が武家の躾を知っていても損はないし、実のところ彩華を姉のように慕う舞がそれを望んだのである。
朝方の内は、立ち居振る舞いと言葉使いを教えるのが主であり、昼餉の後は、習字や華道などを教えた。
舞はまだ十歳で遊びたい盛りではないかとも思うのだが、舞は彩華と一緒にいることが嬉しくて仕方が無いようである。
どうしてと彩華が聞くと、彩華様は私の綺麗なお姉さまだからと言う。
彩華が琴を教えると舞はその調べに夢中になった。
そうして舞はどうやら音曲に才があるようだねと松倉が教えてくれた。
彩華は、音曲の分野では、琴しか教えられなかったが、松倉は三味線や笛も教えることができた。
彩華と舞の前で松倉は横笛を吹き、三味線を弾いてくれた。
松倉はそのいずれも見事にこなしたのである。
彩華は改めて松倉の新たな一面を見た思いがした。
一方で舞はそのいずれにも目を輝かせて聞き惚れていた。
後日、松倉は常磐津の師匠と笛の師匠を白木屋に連れてきて、舞に引き合わせたのである。
その日以降、常磐津の師匠は、二のつく日に、笛の師匠は五のつく日に白木屋を訪れるようになった。
長月に入って、彩華は約束の日が近づいて来ているのを感じていた。
長月十日、松倉に誘われて、彩華は浅草寺に詣でた。
菊花が浅草寺境内で展示されているのであり、それを見に行ったのである。
秋の初めであり、日差しはまだ強いが、一時の厳しいまでの暑さはもう過ぎていた。
松倉と出かけるのは久しぶりの事であった。
舞のお稽古事も今日はお休みにしている。
伝馬町から日本橋通りを北へ進み、日本橋を渡って、宝町から神田へ抜け、昌平橋を渡り、下谷広小路、稲荷町を経て東本願寺脇を通り、浅草寺に至る道筋である。
浅草寺境内は大勢の参詣客で賑わっていた。
五つ時に白木屋を出て、一刻後に浅草寺の境内に入った二人は、浅草寺にお参りし、丹精込めた菊の花の鉢を眺めて回った。
松倉は結城紬の着流し姿、彩華は母から譲られた振袖姿である。
道行く人は、男も女もこの二人連れを振り返る。
いい男といい女が二人連れならばとにかく目立ってしまう。
女は松倉をうっとり眺め、男は彩華の艶姿を眺めてにやけているのである。
そろそろ午の刻近くであり、何処か食事のできる小料理屋でも行こうかと二人で話あっている頃、境内の一角で騒ぎが持ち上がった。
怒声が響き、それに呼応するように威勢のいい啖呵を切っている者が大声を上げている。
「やいやい、どサンピン。
ここは天下の浅草寺だい。
そんな無法が通るもんかい。
やれるものならやってみろい。」
「貴様、言うに事欠いて儂を愚弄するか。」
どうやら、侍と町人の言い争いの様だが、声の加減から言うと今にも武家の方が刀でも抜きそうな気配である。
松倉は少し顔をしかめて言った。
「余り、関わりたくはないが、放置すれば血を見るやもしれぬな。
彩華殿、お節介をしようと存ずるがよいかな?」
「松倉様、私に断る必要はありませぬ。」
「そうかも知れぬが、折角、二人での道行き、余り下らぬことで邪魔はされたくはないのだが・・・。」
「松倉様が助太刀は弱きを助ける方にございましょう。
ご遠慮なさいますな。
私も必要とあれば助太刀します。」
「彩華殿の手を借りる必要は無かろうが・・・。
危ないやも知れんでな。
少し離れていてくれるかな。」
「はい、畏まりました。」
そう言うと二人は騒ぎの持ち上がっている一角に向かった。
大勢の人の輪の中に、町人姿の男と武家三人がいた。
町人の方は胡坐をかいて地面に座っており、一人の武家が刀に手を掛けていて、今にも刀を抜かんばかりの様子であるが、それを二人の武家が必死に抑えているのである。
「ほう、角次ではないか。
如何いたした。」
町人の男がそう呼びかけられて振り返り、ほっとしたような表情を見せた。
「松倉の旦那ぁ。
偉いところを見られてしまいやした。
いえね、このどサンピンが、屋台の者に難癖つけやがったんですよ。
それをちょいと注意したら。
俺っちが生意気だから斬ると抜かしやがるんでさぁ。
こっちも売り言葉に買い言葉、後には引けなくなってしまった次第でやす。」
「ほう、・・・。
そこなお方、事情は知らぬが、ここは大勢の人が集まるところ、ましてや浅草寺の境内にて刃傷沙汰など起こされては、御勤め先にも御難が降りかかりましょう。
ここは穏便に引かれては如何か。」
「ならぬ。
武家を泥棒呼ばわりするなど持ってのほか、無礼討ちにしてくれる。」
「おうおう、屋台の品物を食ってから金を屋敷に取りに来いと言ったのはどこのどいつだい。
ここらの屋台は現金取引が当たり前、掛取りなんざしてねぇんだよ。
それも聞けば芝口の中屋敷だとぉ。
そんなところまで高々百文余りの金を受け取りに出かけたら足が出ちまうじゃねえか。」
「まぁ、角次そう憤るな。
どこのどなたかは存ぜぬが。
金を持たずに飲み食いをいたしたなら食い逃げと呼ばれても致し方ないのだが、・・・。
金子の持ち合わせは無いのかな。」
「金子ならばある。
あるが・・・。
小銭の持ち合わせがない。
それで一両を出したならば、店の者がそれでは困ると申したでな。
ならば後刻藩邸まで取りに参れと申したまで。」
「おうおう、それをいいことにてめぇら三軒目じゃねぇか。
こちとら、御見通しだぜぃ。
両替屋じゃあるめぇし、昼前に小判を出されたからってつり銭があるわきゃないだろうが。
最初っからそれ狙いの食い逃げだろうが。」
「ウヌッ、重ね重ねの悪口雑言許せぬ。」
そう言いざま、武家の一人が刀を抜いて角次と言う男に袈裟懸けで切り付けた。
だが、キンという音でその刀が弾かれた。
驚いたのは、切り付けられた角次であり、切りかかった武家である。
確かに、刀と刀がぶつかり合ったのだが、松倉の刀は既に鞘に収まっていた。
「刀を収められよ。
さもなくば、誰ぞが怪我をすることになる。
さすれば寺社奉行が配下の手に委ねられよう。
仮にそこもとらに落ち度が無くとも、場合によっては若年寄がお耳に入るやもしれぬ。
さすれば藩侯にまで迷惑をかけることになろう。
そこもとら、三人もいて本当に一分銀一つもないのか?
それに藩邸の名を明かして取りに参れなど、藩侯の名を辱めるに等しい所業ではないのか。
本当に取り立てに行ってよいのであれば、これより拙者がそなたらの言う藩邸に参って留守居役殿にお目にかかるがそれでも良いか。
一体、どこの藩邸じゃ。」
「掛川藩と言ってやしたが、本当かどうか?」
「掛川藩とな。
確か藩侯は小笠原山城守殿のはずじゃが・・・。
しかと左様か。」
慌てて、止めに入っていた武家の一人が言った。
「あいや、暫く、待たれよ。
某、危急の時にと女房が襟に縫い込んだ金があるはず。
それをお出ししよう。
額は知らねど一分銀の一枚ぐらいはあるやもしれぬ。」
男はそう言うと、襟元を改めて、縫い目を少し割き、金を取り出した。
一分銀ではなく二分金ではあったが、それでも屋台ではつり銭の出せる範囲ではあろう。
「角次、これで、足りるであろうし、つり銭は出ような?」
「へい、これなら大丈夫で。
ちょっとお待ちなすって、あっしが三軒の屋台で支払いを済ませておつりをもってまいりやす。」
「いや、それには及ばぬ。
釣りは要らぬ。
その方の手間賃と迷惑料じゃ。
些少じゃが、受け取ってくれい。
我らはこれにて失礼する。」
そう言うと三人の武家はしっぽを巻いて逃げ出した。
それを呆気にとられて見ていたが、やがて角次が小声で言った。
「けっ、あるんなら、はなから出せば騒ぎが無かったものを・・・。
松倉さん、ちょいとここでお待ちになってください。
わっちは、支払いを済ませてまいりやす。」
角次と言う男はそう言うと、すぐに動き出した。
角次は間もなく戻ってきた。
朝起きると最初に松倉と共に剣の稽古をする。
それから食事をして、白木屋の娘である舞にお稽古事を教えるのである。
これは仇討が成就してから、白木屋に逗留を願い出た折に、伝兵衛からお願いされたことである。
町娘が武家の躾を知っていても損はないし、実のところ彩華を姉のように慕う舞がそれを望んだのである。
朝方の内は、立ち居振る舞いと言葉使いを教えるのが主であり、昼餉の後は、習字や華道などを教えた。
舞はまだ十歳で遊びたい盛りではないかとも思うのだが、舞は彩華と一緒にいることが嬉しくて仕方が無いようである。
どうしてと彩華が聞くと、彩華様は私の綺麗なお姉さまだからと言う。
彩華が琴を教えると舞はその調べに夢中になった。
そうして舞はどうやら音曲に才があるようだねと松倉が教えてくれた。
彩華は、音曲の分野では、琴しか教えられなかったが、松倉は三味線や笛も教えることができた。
彩華と舞の前で松倉は横笛を吹き、三味線を弾いてくれた。
松倉はそのいずれも見事にこなしたのである。
彩華は改めて松倉の新たな一面を見た思いがした。
一方で舞はそのいずれにも目を輝かせて聞き惚れていた。
後日、松倉は常磐津の師匠と笛の師匠を白木屋に連れてきて、舞に引き合わせたのである。
その日以降、常磐津の師匠は、二のつく日に、笛の師匠は五のつく日に白木屋を訪れるようになった。
長月に入って、彩華は約束の日が近づいて来ているのを感じていた。
長月十日、松倉に誘われて、彩華は浅草寺に詣でた。
菊花が浅草寺境内で展示されているのであり、それを見に行ったのである。
秋の初めであり、日差しはまだ強いが、一時の厳しいまでの暑さはもう過ぎていた。
松倉と出かけるのは久しぶりの事であった。
舞のお稽古事も今日はお休みにしている。
伝馬町から日本橋通りを北へ進み、日本橋を渡って、宝町から神田へ抜け、昌平橋を渡り、下谷広小路、稲荷町を経て東本願寺脇を通り、浅草寺に至る道筋である。
浅草寺境内は大勢の参詣客で賑わっていた。
五つ時に白木屋を出て、一刻後に浅草寺の境内に入った二人は、浅草寺にお参りし、丹精込めた菊の花の鉢を眺めて回った。
松倉は結城紬の着流し姿、彩華は母から譲られた振袖姿である。
道行く人は、男も女もこの二人連れを振り返る。
いい男といい女が二人連れならばとにかく目立ってしまう。
女は松倉をうっとり眺め、男は彩華の艶姿を眺めてにやけているのである。
そろそろ午の刻近くであり、何処か食事のできる小料理屋でも行こうかと二人で話あっている頃、境内の一角で騒ぎが持ち上がった。
怒声が響き、それに呼応するように威勢のいい啖呵を切っている者が大声を上げている。
「やいやい、どサンピン。
ここは天下の浅草寺だい。
そんな無法が通るもんかい。
やれるものならやってみろい。」
「貴様、言うに事欠いて儂を愚弄するか。」
どうやら、侍と町人の言い争いの様だが、声の加減から言うと今にも武家の方が刀でも抜きそうな気配である。
松倉は少し顔をしかめて言った。
「余り、関わりたくはないが、放置すれば血を見るやもしれぬな。
彩華殿、お節介をしようと存ずるがよいかな?」
「松倉様、私に断る必要はありませぬ。」
「そうかも知れぬが、折角、二人での道行き、余り下らぬことで邪魔はされたくはないのだが・・・。」
「松倉様が助太刀は弱きを助ける方にございましょう。
ご遠慮なさいますな。
私も必要とあれば助太刀します。」
「彩華殿の手を借りる必要は無かろうが・・・。
危ないやも知れんでな。
少し離れていてくれるかな。」
「はい、畏まりました。」
そう言うと二人は騒ぎの持ち上がっている一角に向かった。
大勢の人の輪の中に、町人姿の男と武家三人がいた。
町人の方は胡坐をかいて地面に座っており、一人の武家が刀に手を掛けていて、今にも刀を抜かんばかりの様子であるが、それを二人の武家が必死に抑えているのである。
「ほう、角次ではないか。
如何いたした。」
町人の男がそう呼びかけられて振り返り、ほっとしたような表情を見せた。
「松倉の旦那ぁ。
偉いところを見られてしまいやした。
いえね、このどサンピンが、屋台の者に難癖つけやがったんですよ。
それをちょいと注意したら。
俺っちが生意気だから斬ると抜かしやがるんでさぁ。
こっちも売り言葉に買い言葉、後には引けなくなってしまった次第でやす。」
「ほう、・・・。
そこなお方、事情は知らぬが、ここは大勢の人が集まるところ、ましてや浅草寺の境内にて刃傷沙汰など起こされては、御勤め先にも御難が降りかかりましょう。
ここは穏便に引かれては如何か。」
「ならぬ。
武家を泥棒呼ばわりするなど持ってのほか、無礼討ちにしてくれる。」
「おうおう、屋台の品物を食ってから金を屋敷に取りに来いと言ったのはどこのどいつだい。
ここらの屋台は現金取引が当たり前、掛取りなんざしてねぇんだよ。
それも聞けば芝口の中屋敷だとぉ。
そんなところまで高々百文余りの金を受け取りに出かけたら足が出ちまうじゃねえか。」
「まぁ、角次そう憤るな。
どこのどなたかは存ぜぬが。
金を持たずに飲み食いをいたしたなら食い逃げと呼ばれても致し方ないのだが、・・・。
金子の持ち合わせは無いのかな。」
「金子ならばある。
あるが・・・。
小銭の持ち合わせがない。
それで一両を出したならば、店の者がそれでは困ると申したでな。
ならば後刻藩邸まで取りに参れと申したまで。」
「おうおう、それをいいことにてめぇら三軒目じゃねぇか。
こちとら、御見通しだぜぃ。
両替屋じゃあるめぇし、昼前に小判を出されたからってつり銭があるわきゃないだろうが。
最初っからそれ狙いの食い逃げだろうが。」
「ウヌッ、重ね重ねの悪口雑言許せぬ。」
そう言いざま、武家の一人が刀を抜いて角次と言う男に袈裟懸けで切り付けた。
だが、キンという音でその刀が弾かれた。
驚いたのは、切り付けられた角次であり、切りかかった武家である。
確かに、刀と刀がぶつかり合ったのだが、松倉の刀は既に鞘に収まっていた。
「刀を収められよ。
さもなくば、誰ぞが怪我をすることになる。
さすれば寺社奉行が配下の手に委ねられよう。
仮にそこもとらに落ち度が無くとも、場合によっては若年寄がお耳に入るやもしれぬ。
さすれば藩侯にまで迷惑をかけることになろう。
そこもとら、三人もいて本当に一分銀一つもないのか?
それに藩邸の名を明かして取りに参れなど、藩侯の名を辱めるに等しい所業ではないのか。
本当に取り立てに行ってよいのであれば、これより拙者がそなたらの言う藩邸に参って留守居役殿にお目にかかるがそれでも良いか。
一体、どこの藩邸じゃ。」
「掛川藩と言ってやしたが、本当かどうか?」
「掛川藩とな。
確か藩侯は小笠原山城守殿のはずじゃが・・・。
しかと左様か。」
慌てて、止めに入っていた武家の一人が言った。
「あいや、暫く、待たれよ。
某、危急の時にと女房が襟に縫い込んだ金があるはず。
それをお出ししよう。
額は知らねど一分銀の一枚ぐらいはあるやもしれぬ。」
男はそう言うと、襟元を改めて、縫い目を少し割き、金を取り出した。
一分銀ではなく二分金ではあったが、それでも屋台ではつり銭の出せる範囲ではあろう。
「角次、これで、足りるであろうし、つり銭は出ような?」
「へい、これなら大丈夫で。
ちょっとお待ちなすって、あっしが三軒の屋台で支払いを済ませておつりをもってまいりやす。」
「いや、それには及ばぬ。
釣りは要らぬ。
その方の手間賃と迷惑料じゃ。
些少じゃが、受け取ってくれい。
我らはこれにて失礼する。」
そう言うと三人の武家はしっぽを巻いて逃げ出した。
それを呆気にとられて見ていたが、やがて角次が小声で言った。
「けっ、あるんなら、はなから出せば騒ぎが無かったものを・・・。
松倉さん、ちょいとここでお待ちになってください。
わっちは、支払いを済ませてまいりやす。」
角次と言う男はそう言うと、すぐに動き出した。
角次は間もなく戻ってきた。
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