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第一章 仇を追う娘
1ー5 彩華の願い
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「おのれ、人の恋路を邪魔しおって。」
そう言うなり、木崎は腕に覚えの必殺の剣を松倉に斬り付けた。
だが、そのひと振りは空を切った。
一寸の差で見切きられた太刀は勢い余って畳に深く突き刺さった。
「どうやら、お主、腕はともかく彩華殿の助太刀としては人格に問題があるようだな。
その様な男を抱えている藩もやや問題だが・・・。
仕方がないな。
お主には、武士を廃業してもらおうか。」
畳に刺さった刀を懸命に抜こうとしている間、刀に手もかけずに松倉はそう言った。
畳からようやく抜けた刀を再度松倉に向けた途端、松倉の脇差が一閃した。
ごつっと嫌な音がした瞬間、木崎の右腕が肘のところから変な風に折れ曲がっていた。
「ああっ。」
と奇妙な叫びをあげて木崎が刀を落とし、その場に蹲った。
「お主、刀はもう持てぬ。
藩への奉公も続けられぬだろうな。
自業自得と思え。」
木崎は呻きながら泣いていた。
「彩華殿、急ぎ身仕舞をされよ。
何にせよ。
斯様なところに長居は無用じゃ。
中屋敷までは儂が送り届けよう。」
彩華は、急いで身支度をするしかなかった。
身支度が終わってもまだ木崎はその場で座ったまま呻いていた。
「あの、木崎様はどうすれば・・・。」
「放っておくがよい。
自分の身の始末ぐらいは付けられよう。
医者に運んでも腕は治らぬ。
肘の間接を砕いた故、右腕は二度と使い物にならん。」
そういうと、松倉は背を向けて部屋を出て行った。
彩華は一瞬迷ったが、襲われた自分が木崎の身を案じても仕方がないと思い直し、松倉の後を追った。
女将が玄関脇の部屋で落ち着かなげにうろうろとしていた。
「女将、木崎何某と言う男、少々怪我をした。
命に別状はないだろうが、医者を呼んでやれ。」
松倉はそういうと、小判を一枚女将に手渡した。
松倉が茶屋を出るのを追いかけるようにして彩華も出た。
路地裏から広い通りに出ると人通りが多く目に入り、高ぶった気持ちがようやく落ち着いた。
「あの・・・。
松倉様は、どうしてここが?」
「うん?
あぁ、たまたまそなたたちが路地に入り込んだところを見かけたのでな。
あの路地には出会い茶屋しかないはずだったのでな。
そなたが承知で出会い茶屋に入ったならばともかく、要らぬおせっかいかもしれぬが、万が一を慮って後を尾けたまでのことだ。
そなたと木崎何某が相思相愛の仲なれば何も言わずに帰るつもりであった。」
「二度までも危ういところをお助けいただき、お礼の申しようもございませぬ。」
「まぁ袖すりあうも多生の縁という。
礼などはどうでもよいが、確か木崎何某は助太刀の武士だと聞いたな。
その助太刀の腕を壊してしもうた。
その点は謝らねばならぬな。
先ほども申したが、木崎何某、剣はもう握れぬ。
そなたたちどうする?」
「はい、・・・。
助太刀が無くなったのは確かに私どもに取っては不運。
ですが・・・。」
彩華は言うべきか、言わざるべきか大いに迷った。
「ですが、松倉様に代わりの助太刀をお願いできませぬでしょうか。」
松倉は、ふっと苦笑いした。
「助太刀を無くした責任を取れと申されるか?」
「いいえ、そんなことは思っておりませぬ。
ただ、松倉様ほどの剣客ならば、きっと塩崎勘兵衛などには負けぬと思いました故。」
「ふむ、・・・。
藩侯のお許しが出れば助太刀もできるやもしれぬが、仇討にはそれなりの作法がある。
少なくとも、そなたの父君に何らかのつながりが無い者では無理であろう。
儂にはそなたの父君の仇を討つべき理由がないでな。
藩侯もお許しにはならぬだろう。
水野忠之殿は律儀なお方と聞いている。
仇討の法を曲げても良いとは申されないはず。」
「確かにそうではございますが・・・・。
なれば、・・・、なれば、松倉様、私の許嫁になってはくれませぬか?
私の許嫁なれば名目が立ちまする。」
「それはまた、突拍子もないことを・・・。
名目だけの許嫁にござるかな?」
彩華は顔を紅潮させて言った。
「いいえ、名目だけに非ず、私の許嫁になっては下さりませぬか。
これは私の本心にございます。
実は、・・・。
私が十五の折に、とある易者に運勢を見てもらった卦がございます。
私は、二年後に私の二の腕を見られてしまった方に嫁ぐだろうと言われました。
そのときはどのような意味かは分かりませんでした。
でも、さきほど、・・・。」
彩華は真っ赤になって上目づかいで恥ずかしそうに小声で言った。
「松倉様には私の肌を見られてしまったのではないのですか?」
松倉は苦笑した。
「見なかったとは・・・言えぬな。
襖を開けた途端、そなたのあられのない姿を見てしまったからな。
だが、見ようと思って見たわけではないのでな。
そこは誤解なきよう。」
彩華は首筋まで赤くして頷いた。
「はい、あの場はやむを得ざる仕儀と思ってはおります。
ただ、私が初めて松倉様にお会いした時から、私は松倉様に思いを寄せておりました。
そうして、此度のご縁、さきほど私の肌を垣間見、また操を守ってくださりました。
私は松倉様が私の伴侶であってほしいと願っております。
ですから許嫁のことは決して名目ではなく私の本心からの願いにございます。」
「ほう・・・。
だが、そなた、私のことは何一つ知らぬのではないのか?」
「はい、伝馬町白木屋に逗留される素浪人松倉宗徳様としかお伺いしては居りませぬ。」
「そのようなことで、伴侶や許嫁を決めてよいものとは思えぬが。」
「確かに迂闊なことかもしれませぬが、私の感では松倉様は悪い方ではないと思っております。
一方で、木崎様は初めてお会いした時に好きになれないお方と感じました。
他人様にうまく説明はできませんが、昔からそのように私が感じたことは不思議に当たるのです。
木崎様に誘われたときにもっと疑いを持てば良かったのかもしれませぬが、仇討のためという義務感が、その判断を迷わせてしまいました。」
「そなた、儂が先ほどのような水茶屋に誘うたら、ついて参るのか?」
彩華は唖然とした。
まさか、松倉からそんな言葉が出ようとは思わなかったからである。
躊躇はしたが、すぐに決心した。
「松倉様が許嫁になって下さるならば、水茶屋でもどこにでもお供いたします。」
今度は、松倉の方が暫し言葉を失っていた。
「なるほど、さほどの覚悟を決められたか。
ならば、真剣に答えねばなるまいな。
暫し返答を待たれよ。」
そう言って、松倉は腕を組みながら考え込んだ。
とは言いながら、中屋敷の方へと着実に歩いており、彩華はその後について歩んでいるのだ。
水無月の半ばである。
乾いた土埃が舞う道であり、初夏の日差しは厳しいものがある。
だが、松倉は左程の汗もかかずにゆったりと歩いている。
朝方からせかせかと歩き回った木崎とは大分様相が違う。
今よくよく考えれば、木崎は彩華を疲れさせ、渇きを覚えさせるために歩き回り、出会い茶屋に誘ったのではないかと思える。
箱根からの道中で彩華は松倉の健脚を知っている。
松倉はあるいは疲れているであろう彩華の身を案じてゆっくりと歩いているのかもしれない。
暫く無言のままで、彩華の視界の中に中屋敷の門が見え始めたころ、ようやく松倉が立ち止まって振り向いた。
「彩華殿、とりあえずはそなたの許嫁役につき承諾しよう。
但し、二人の間では名目上としておこう。
期限付きの許嫁じゃ。
これより三月の間にそなたの気持ちが変わらなんだなら、その時に改めて許嫁となるかならぬか今一度考えよう。
儂にもそなたと言う女子はよう判らぬ存在じゃ。
たかだか三日ほど道連れの旅をしたからと言って、一人の人間の性格まではわからぬものじゃ。
まして女子は家の都合で嫁に行かされる場合もあろう。
斯波家の都合も考えなければならぬじゃろうし、・・・。
儂は素浪人。
所帯を持って日々の生活に困ることにもなりかねない。
その辺もこの先三月の間に篤と考えては貰えまいか。」
彩華の顔が喜色満面の笑顔となった。
そう言うなり、木崎は腕に覚えの必殺の剣を松倉に斬り付けた。
だが、そのひと振りは空を切った。
一寸の差で見切きられた太刀は勢い余って畳に深く突き刺さった。
「どうやら、お主、腕はともかく彩華殿の助太刀としては人格に問題があるようだな。
その様な男を抱えている藩もやや問題だが・・・。
仕方がないな。
お主には、武士を廃業してもらおうか。」
畳に刺さった刀を懸命に抜こうとしている間、刀に手もかけずに松倉はそう言った。
畳からようやく抜けた刀を再度松倉に向けた途端、松倉の脇差が一閃した。
ごつっと嫌な音がした瞬間、木崎の右腕が肘のところから変な風に折れ曲がっていた。
「ああっ。」
と奇妙な叫びをあげて木崎が刀を落とし、その場に蹲った。
「お主、刀はもう持てぬ。
藩への奉公も続けられぬだろうな。
自業自得と思え。」
木崎は呻きながら泣いていた。
「彩華殿、急ぎ身仕舞をされよ。
何にせよ。
斯様なところに長居は無用じゃ。
中屋敷までは儂が送り届けよう。」
彩華は、急いで身支度をするしかなかった。
身支度が終わってもまだ木崎はその場で座ったまま呻いていた。
「あの、木崎様はどうすれば・・・。」
「放っておくがよい。
自分の身の始末ぐらいは付けられよう。
医者に運んでも腕は治らぬ。
肘の間接を砕いた故、右腕は二度と使い物にならん。」
そういうと、松倉は背を向けて部屋を出て行った。
彩華は一瞬迷ったが、襲われた自分が木崎の身を案じても仕方がないと思い直し、松倉の後を追った。
女将が玄関脇の部屋で落ち着かなげにうろうろとしていた。
「女将、木崎何某と言う男、少々怪我をした。
命に別状はないだろうが、医者を呼んでやれ。」
松倉はそういうと、小判を一枚女将に手渡した。
松倉が茶屋を出るのを追いかけるようにして彩華も出た。
路地裏から広い通りに出ると人通りが多く目に入り、高ぶった気持ちがようやく落ち着いた。
「あの・・・。
松倉様は、どうしてここが?」
「うん?
あぁ、たまたまそなたたちが路地に入り込んだところを見かけたのでな。
あの路地には出会い茶屋しかないはずだったのでな。
そなたが承知で出会い茶屋に入ったならばともかく、要らぬおせっかいかもしれぬが、万が一を慮って後を尾けたまでのことだ。
そなたと木崎何某が相思相愛の仲なれば何も言わずに帰るつもりであった。」
「二度までも危ういところをお助けいただき、お礼の申しようもございませぬ。」
「まぁ袖すりあうも多生の縁という。
礼などはどうでもよいが、確か木崎何某は助太刀の武士だと聞いたな。
その助太刀の腕を壊してしもうた。
その点は謝らねばならぬな。
先ほども申したが、木崎何某、剣はもう握れぬ。
そなたたちどうする?」
「はい、・・・。
助太刀が無くなったのは確かに私どもに取っては不運。
ですが・・・。」
彩華は言うべきか、言わざるべきか大いに迷った。
「ですが、松倉様に代わりの助太刀をお願いできませぬでしょうか。」
松倉は、ふっと苦笑いした。
「助太刀を無くした責任を取れと申されるか?」
「いいえ、そんなことは思っておりませぬ。
ただ、松倉様ほどの剣客ならば、きっと塩崎勘兵衛などには負けぬと思いました故。」
「ふむ、・・・。
藩侯のお許しが出れば助太刀もできるやもしれぬが、仇討にはそれなりの作法がある。
少なくとも、そなたの父君に何らかのつながりが無い者では無理であろう。
儂にはそなたの父君の仇を討つべき理由がないでな。
藩侯もお許しにはならぬだろう。
水野忠之殿は律儀なお方と聞いている。
仇討の法を曲げても良いとは申されないはず。」
「確かにそうではございますが・・・・。
なれば、・・・、なれば、松倉様、私の許嫁になってはくれませぬか?
私の許嫁なれば名目が立ちまする。」
「それはまた、突拍子もないことを・・・。
名目だけの許嫁にござるかな?」
彩華は顔を紅潮させて言った。
「いいえ、名目だけに非ず、私の許嫁になっては下さりませぬか。
これは私の本心にございます。
実は、・・・。
私が十五の折に、とある易者に運勢を見てもらった卦がございます。
私は、二年後に私の二の腕を見られてしまった方に嫁ぐだろうと言われました。
そのときはどのような意味かは分かりませんでした。
でも、さきほど、・・・。」
彩華は真っ赤になって上目づかいで恥ずかしそうに小声で言った。
「松倉様には私の肌を見られてしまったのではないのですか?」
松倉は苦笑した。
「見なかったとは・・・言えぬな。
襖を開けた途端、そなたのあられのない姿を見てしまったからな。
だが、見ようと思って見たわけではないのでな。
そこは誤解なきよう。」
彩華は首筋まで赤くして頷いた。
「はい、あの場はやむを得ざる仕儀と思ってはおります。
ただ、私が初めて松倉様にお会いした時から、私は松倉様に思いを寄せておりました。
そうして、此度のご縁、さきほど私の肌を垣間見、また操を守ってくださりました。
私は松倉様が私の伴侶であってほしいと願っております。
ですから許嫁のことは決して名目ではなく私の本心からの願いにございます。」
「ほう・・・。
だが、そなた、私のことは何一つ知らぬのではないのか?」
「はい、伝馬町白木屋に逗留される素浪人松倉宗徳様としかお伺いしては居りませぬ。」
「そのようなことで、伴侶や許嫁を決めてよいものとは思えぬが。」
「確かに迂闊なことかもしれませぬが、私の感では松倉様は悪い方ではないと思っております。
一方で、木崎様は初めてお会いした時に好きになれないお方と感じました。
他人様にうまく説明はできませんが、昔からそのように私が感じたことは不思議に当たるのです。
木崎様に誘われたときにもっと疑いを持てば良かったのかもしれませぬが、仇討のためという義務感が、その判断を迷わせてしまいました。」
「そなた、儂が先ほどのような水茶屋に誘うたら、ついて参るのか?」
彩華は唖然とした。
まさか、松倉からそんな言葉が出ようとは思わなかったからである。
躊躇はしたが、すぐに決心した。
「松倉様が許嫁になって下さるならば、水茶屋でもどこにでもお供いたします。」
今度は、松倉の方が暫し言葉を失っていた。
「なるほど、さほどの覚悟を決められたか。
ならば、真剣に答えねばなるまいな。
暫し返答を待たれよ。」
そう言って、松倉は腕を組みながら考え込んだ。
とは言いながら、中屋敷の方へと着実に歩いており、彩華はその後について歩んでいるのだ。
水無月の半ばである。
乾いた土埃が舞う道であり、初夏の日差しは厳しいものがある。
だが、松倉は左程の汗もかかずにゆったりと歩いている。
朝方からせかせかと歩き回った木崎とは大分様相が違う。
今よくよく考えれば、木崎は彩華を疲れさせ、渇きを覚えさせるために歩き回り、出会い茶屋に誘ったのではないかと思える。
箱根からの道中で彩華は松倉の健脚を知っている。
松倉はあるいは疲れているであろう彩華の身を案じてゆっくりと歩いているのかもしれない。
暫く無言のままで、彩華の視界の中に中屋敷の門が見え始めたころ、ようやく松倉が立ち止まって振り向いた。
「彩華殿、とりあえずはそなたの許嫁役につき承諾しよう。
但し、二人の間では名目上としておこう。
期限付きの許嫁じゃ。
これより三月の間にそなたの気持ちが変わらなんだなら、その時に改めて許嫁となるかならぬか今一度考えよう。
儂にもそなたと言う女子はよう判らぬ存在じゃ。
たかだか三日ほど道連れの旅をしたからと言って、一人の人間の性格まではわからぬものじゃ。
まして女子は家の都合で嫁に行かされる場合もあろう。
斯波家の都合も考えなければならぬじゃろうし、・・・。
儂は素浪人。
所帯を持って日々の生活に困ることにもなりかねない。
その辺もこの先三月の間に篤と考えては貰えまいか。」
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