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第三章 新たなる展開

3-17 マルス ~コンタクト その二(訪問者達)

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 翌朝夜明けと共に目覚めたマルスは、少し経ってからアンリのコンタクトを受けた。

『マルス様、おはようございます。』

『おはようアンリ殿。
 疲れは無いですか?』

『ええ、元気よ。
 気分爽快。
 でもとても変な感じ。
 顔も見ずにお話ができるなんて。
 これってどれぐらいの距離でできるのかしら。』

『さぁて、僕も初体験だからわからないけれど、余り距離は関係ないかもしれない。
 ゲリア大陸の人の意識も必要とあれば探ることができるからね。
 それよりも注意した方がいい。
 他の人の意識も読めるようになるかもしれないから。
 その場合、意図的に選択しないとパニックに陥る。
 百人の考えを一度に読んだら、多分支離滅裂になる。』

『はい、先生の言うことには従います。
 ねぇ、マルス様、今日は何かの練習はする。』

『いや、今日はよしておこう。
 アンリ殿が勝手に走り出すと僕でも止められないかも知れないから。』

『あら、私にはそんなつもりはないけれど。』

『君の意識はそうでも、能力の方は違うかもしれない。
 それに今日の夕刻には、モリソンとカレンがやってくるはずだし、赤の楽師団の方もお見えになるんじゃないのかい。』

『あ、そうだったわ。
 午前中はその練習をしなければならないわ。
 マルス様、一緒に付き合って下さるかしら。』

『いいですよ。
 父上からはアンリ殿の警護役を任ぜられていますから。
 アンリ殿のお側にいるのが僕の役目でしょう。』

 アンリはくすっと笑いながら言った。

『マルス様、それは方便ですよ。
 もう刺客は襲ってはこないのでしょう。
 私の両親とマルス様のご両親が二人をくっつけるためにわざわざ考えたのよ。
 きっと。』

『多分そうだろうね。
 仕方がないから変な虫がつかないように見張ってあげるよ。』

『私はこれから湯あみして着替えます。
 マルス様、覗かないでね。』

『えっ?
 覗くって、どうやって?』

『さぁ、知らないわ。
 魔女の先生ならそんなこと簡単にできるのじゃないの?』

 唐突にコンタクトが切られた。
 コンタクトを切るときの痛みはほとんどないぐらいだった。

 だが、アンリが言った言葉はマルスを驚かせた。
 覗くと言うことを今まで考えたことも無かったからである。

 マルスは、洗面台に向かったまま、外を覗くことを試みた。
 驚いた事に簡単にできてしまった。

 たまたまアンリがいない方向ではあったが、屋敷の壁を透かして人が見え、背景の景色まで見える。
 下を見れば階下で屋敷の者が忙しく働いている処だった。

 なるほど、必要に応じて使える能力だと納得した。
 その気になれば人が着ている衣装まで透かして見えることができそうだったが、それは余りに人の尊厳を軽視することになりそうだったので止めた。

 マルスは洗顔と歯磨きを終えて、寝室でくつろいでいた。
 ドアをノックする音が聞こえた。

 アンリであった。

「マルス様、朝食までの間、お庭を散歩しませんか?」

 昨日と変わって化粧気の無い顔は13歳な無邪気な顔に戻っていた。
 服装もドレスではないので、一層子供に見える。

 だが身長は大きい。
 ほとんどアマンダ夫人と同じかそれ以上の背丈がある。

 1.6レムになっているかもしれない。
 マルスとアンリは庭に出て広い邸内を散策した。

 二人の間にあまり言葉は要らない、二人きりの場合、思念の会話が多くなったからである。
 一方で、思念に偏っていると他の人に気づかれる恐れがあることから、人がいる場合には特に気を付けて言葉にするようにした。

 今のところ二人だけの秘密なのである。

『マルス様、今度剣の稽古をつけてくだいますか。』

『ええ、いいですよ。
 でもアンリ殿には長剣は向かないかな。
 小太刀か或いは素手の格闘術が女性には向いているかもしれない。』

『素手ですか?
 でも、素手ならば体力のある男性には勝てないのではありませんか。』

『力づくならばそうなるだろうね。
 でも力には技で対抗することもできるし、急所をつけば女でも男に対抗できると思いますよ。
 剣でも女性が扱う剣は余程細身で無いと相手に勝る速さは期待できないでしょう。
 だから重さの軽い小太刀を使うのです。
 仮に男と同じ剣を男と同じ速さで振り回すとなれば筋肉モリモリの女性になってしまう。
 それはあまりお勧めできない。』

『うーん、確かにそれは問題ね。
 私が小太りしたらマルス様に嫌われてしまいそう。』

『適度な運動をしていれば小太りはしないはずですけれどね。
 今のところはアンリ様も新陳代謝が旺盛だから太ったりは中々しないはずです。
 でもいずれ新陳代謝が緩やかになってくるとその分が脂肪に廻ってくることになるでしょうね。
 だから適度な運動を続けることが大事です。』

『じゃぁ、マルビスに着いたなら、毎朝朝食前に稽古をつけてください。
 午前中は色々と習い事が多いんです。』

『どんなことを習っているのかな。』

『歴史、荘園経営のための算術、交易のための基礎的知識、海の慣習法が所謂お勉強の科目で、家政学、育児術、医療・看護術が花嫁修業の一つ、料理、裁縫もあるのだけれどこれは余りやらせては貰えない。
 私はそちらの方が好きなのですけれどね。
 生け花や家の中の改装を中心にした美術もある。
 どれも月に3回ほどしかないのだけれど、午前中に二つの科目があるの。』

『午後は?』

『午後はほとんど身だしなみと交際術に時間を取られるわ。
 礼儀作法のお勉強と思っていいわね。
 その中に舞踊も入っている。
 でも、多分マルス様のお蔭で舞踊の授業は無くなるかもしれない。
 だって宮廷舞踊師の方にお誉めを頂いたんですもの。』

『お休みは、無いの?』

『お休みは10日に一日だけ。』

『それは大変だね。
 少しは余裕を持った方がいいのに。
 或いは、僕がお役にたてるかもしれないね。』

『勉強で?』

『うん、僕の知っていることが君に伝達できるんじゃないかと思う。
 それもマルビスに着いてから試してみよう。
 大半の授業が必要なくなるんじゃないかと思うよ。』

 庭先の話はこれで終わった。
 朝食の後でアンリのモルゼックの練習に付き合った。

 午後は特段の用事がなかったのだが、客を迎える準備が始まっていたし、マルスのお伴も午後夕刻までには着くことになっていた。
 午後からは予定外の訪問客もあった。

 近衛騎士団のアラヤ騎士団団長と、副長、それにモアディス子爵と騎士団副長の四人が連立って公爵家を訪れ、マルスに王宮内での騒ぎを未然に防いでくれたことについてわざわざ礼を言いに来たのである。
 二つの騎士団とも下手をすれば信用を失っていたかもしれないからである。

 あくまで先例ではあるが、王宮の慶事に際して私闘から互いに血を流した貴族は、双方ともに2年の蟄居を王命で命じられたことがあるらしい。
 騎士団が2年も蟄居を命じられれば解散するしかなくなるだろう。

 本来ならばその場にいる年長者が治めねばならない筈であった。
 どちらの騎士団も無論マルスより年長者ばかりである。

 だがいさかいを起こした者が、残っていた中では最年長者であったし、それぞれの騎士団の中でも発言力が強いものであったことが災いになったのである。
 とにもかくにも大事にならずに済んだのは一重ひとえにマルスのお蔭であった。

 サディス公爵が主として対応し、マルスは傍に控えているだけであったが、それだけで十分に役立っていた。
 逆に、お礼を申し述べる相手がいなければアラヤ騎士団長もモアディス子爵も困ったであろう。

 不意の来客が帰って間もなく、午後も陽が高いうちにモリソンとカレンは公爵別邸に姿を現した。
 公爵夫妻を含めて一家にご挨拶をさせてから、執事と侍女に案内されてそれぞれの割り当てられた部屋に落ち着いた。

 そのすぐ後に赤の楽師団の長マクセルとモルゼック奏者のカサンドラが別邸を訪れた。
 当然のようにマルスもその対応に引っ張り出されていた。

 マルスはマクセルとカサンドラとも何度か会って顔見知りであるが、公爵夫妻は聴衆として二人を知っていても左程親しいわけではない。
 もともと楽音に興味を持っていないクレインは論外であり、アンリですらも聴衆の一人として演奏を聴く側の立場であったから、二人を見知っているわけではない。

 そのために年若いマルスが赤の楽師団と公爵一家の橋渡しになっていた。
 楽音にも憧憬どうけいの深いマルスは、その橋渡しを十分に果たしていた。

 夕餉ゆうげの前にアンリの演奏が二人の高名な演奏家の前で披露された。
 すぐ後でカサンドラが講評をしてくれた。

「正直に申し上げて、13歳の公爵ご令嬢の演奏であれば単なる暇つぶしにしかならないだろうと思っていた私にとってまさに驚きの演奏でした。
 率直に申し上げて大変素晴らしい演奏でございます。
 アンリ様の選曲が大変お見事でしたね。
 アンリ様は手の指が体格に応じて長いのが有利です。
 その御歳の平均的な体格ならば、モルゼックの運指にすこし困るかもしれませんが、アンリ様の指の長さは演奏に十分対応が可能です。
 欲を言えば今少し長いと更に楽な演奏ができて、余裕が生まれると思います。
 そうして肺活量に今少し余裕があればタムセールも楽にこなせると思いますが、今のままでは少し苦しいかもしれませんね。
 その意味ではクラセールの湖上の舞は大変上手な選曲でしたし、曲の解釈も見事でした。
 おそらくアンリ様が演奏するクラセールやラソールの演奏に限って言えば、曲によっては既に私にも及ばない水準に達しているのではないかと思われます。
 ご本人が望めばいずれの楽師団でも入れる可能性があります。
 勿論、今すぐには無理でございます。
 楽師団の入団には18歳以上と言う年齢制限がございますので、アンリ様がその資格を得るためにはまだ5年近くの時間が必要です。
 いずれにしてもアンリ様のモルゼックの腕は本物であることは保証いたします。」

 この講評を聞いて公爵夫妻は大変満足そうな笑みを浮かべていた。
 楽師団の長マルセルは講評の代わりにアンリに訊いた。

「アンリ様、先ほどお伺いしたところでは、マルス殿はマルビスへご招待されてこの屋敷に逗留中とのことですが、此度の演奏ではマルス殿が何事か関与されましたかな?」

「はい、マルス様には披露する選曲のお手伝いを頂きました。
 私は、一昨日までは湖上の舞を聞いたことはあっても自分で演奏をしたことがありませんでした。
 マルス様は、譜面を読んで、曲想を得ることを教えて下さった上に、私が練習をした後に実際に演奏されて私に聞かせてくれました。
 その後何度か私の演奏を手直しする際にもいろいろと助言をしてくれました。
 今日カサンドラ様にお誉めを頂いたのもマルス様のお蔭と思っています。」

「そうですか、マルス様がそのような形で関与を・・・。
 では、アンリ様は実際にマルス様の演奏をお聞きになられたのですね。
 演奏を聞かれてどのような感想を抱かれましたか?」

「マルス様は、モルゼックに関しても素晴らしい演奏技術を持っておられます。
 今日演奏に用いたモルゼックは半年ほど前にマルス様に贈られた品にございます。
 私がそれまで使っていたモルゼックは、少し音階がずれているものでした。
 私が伸び悩んでいたのもそれが原因の一つだと指摘されましたが、音階が64分の3の範囲に渡って少しずつずれているために納得のできる演奏ができなかったようです。
 でも、マルス様はその音階のずれたモルゼックを指で調節しながら私と二重奏をしてくださいました。
 その時に私が奏でるモルゼック一つでは決して達成できない音楽を聴くことができましたし、心底、感動したのを覚えています。
 私にはまだできませんが、上達すれば古いモルゼックで調整しながら演奏することも可能になると言われました。」

 それを聞いたカサンドラが顔色を変えた。

「アンリ様、差し支えなければその音階のずれているというモルゼックを拝見させて頂けますか?」

「あ、はい、少々お待ちいただけますか。」

 アンリは、自分の部屋にお婆様から頂いたモルゼックを取りに行った。
 マルセルが言った。

「マルス殿は、やはり演奏をなされるのですね。
 単に楽音に詳しいだけではなく演奏者でもあられる。
 そうして実際にその演奏を聴いた者がいるとは・・・・。
 マルス殿、我らにも是非その演奏をお聞かせいただけまいか。」

 傍からアマンダが口を挟んだ。

「マルス殿の演奏ならば私どもも半年ほど前に拝聴しております。
 アンリがモルゼックを、マルス殿がサリューズを演奏なされました。
 何故かモルゼックの独奏曲を選曲されたようですけれど、サリューズとの重奏もあるのですね。
 とてもいい演奏だったのを覚えています。」
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