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第二章 それぞれの出会い
2-5 アリス ~出逢い その一(ジムナシア)
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翌朝は6時半に起床、身だしなみを整えた。
いつものラフなスタイルである。
黄色い色合いのジャンプスーツに薄い緋色のカーディガン、それにぺったんこのモカシン靴である。
髪はまとめてバンドで止めてポニーテールにしている。
化粧は無し。
カスリンは昨日とはうって変わって紺地のメイド用制服で7時ちょうどに部屋に現れた。
カスリンに聞くと昨日の出で立ちは公式行事の制服で、普段の制服は今着ているメイド服なのだそうだ。
確かに昨日の制服よりは動きやすいようだ。
私は、カスリンと入れ違いに部屋を出て朝食に向かった。
朝食はやはりレストランではあるが、レ・ビスタという名で昨日の会食場所とは異なる。
カフェテリアのような雰囲気を有するレストランである。
セルフサービスで好きなものをトレイにとって食べる方式である。
朝食はしっかり取るのがゲーブリング家の伝統である。
栄養のバランスを考えながら結構たくさんの品数を少なめに選んだ。
今のところは朝も早い性か数人の船客しか見当たらない。
ここも特一等と一等の船客だけが利用するレストランなのである。
一人黙々と朝食を食べ、部屋に戻った。
今日の予定は、昨夜の内に考えていた。
朝食後はスポーツウェアに着替えて、ジムナシアに行き少なくとも30分のランニング、そのあと、体力錬成用のトレーニングマシーンを使うことにしている。
これも概ね30分の予定である。
1時間の体力訓練を終えたら、暫しの休憩をとってから図書館に行ってみるつもりである。
専門書がどれほど置いてあるか確認するつもりなのだ。
昔ながらの紙ベースの書籍もあるようだが、場所や重量の問題もあって、ほとんどが電子図書である。
電子図書は部屋からでも閲覧出来るが、本物の書籍は実際に見てみないと始まらない。
それと趣味の類なのだが、音楽室には多種多様の楽器が置いてある。
完全防音の音楽室は大小12室ほどあり、楽器を借りて演奏もできるようだ。
私は子供のころから弦楽器のヤーヴェロンを嗜んでいた。
だから相応のヤーヴェロンがあるならば、日々の稽古の時間に加えようと思っていた。
子供のころから慣れ親しんだ私のヤーヴェロンは左程いいものではなかったが、此度の家財整理で処分されているものの一つである。
船内では各種お稽古事のテーマがあるのだが、フェルシェやバリ・アルショークの教室はあっても、残念ながらヤーヴェロンの教室は無い。
昨夜の晩餐会では楽団がバックミュージックを奏でていたし、その中にヤーヴェロンの演奏者もいたからできないわけではないのだろうが、フェルシェやバリ・アルショークのように必ずしも一般に普及していない楽器であるから仕方がないのかもしれない。
キティホークでは色々な催し物がある。
歌唱や舞踊のショー、観劇、演奏会、講和等々である。
そうした中で、今回の目玉の一つは、ディフィビア連合圏でも高名なバリ・アルショーク演奏家のケイシー・ドグマンの独演会がある。
これは出航25日目から三日間、音楽ホールで開催されるので是非聞きに行きたいと思っている。
昼食を食べて午後は、部屋に籠って、少し勉強をするつもりでいる。
時間にすると1時から4時までの三時間である。
修士課程は中退したものの、一応の成果としてレポートはまとめておきたいと思ったのである。
それに昨日聞いたケルヴィスの話も気になった。
私が以前に調べた限りは、有機結晶であるケルヴィスの特性については若干の文献もあるが、極めて不安定な触媒として紹介されているだけで、これまで余り注目された形跡がないのである。
だが実際にケルヴィスを使って有効な薬品を生み出しているとなれば、調べる価値は十分にある。
少なくとも知的興味を抱かせるに十分な材料である。
私はスポーツウェアに着替えて部屋を出た。
3階層下のジムナシアに着いたのは8時少し前である。
準備運動で十分に筋を延ばした後でジムナシアの外側に位置する走路に入った。
幅が6トランほどの走路は、5トラン程度の上下の起伏や階段もあり結構楽しめそうである。
腕時計のストップウォッチを始動させ、私は走り始めた。
透明な隔壁を通して全体を見渡してみると、走路を走っているのは10名に満たないほどである。
高齢者は無理であろうし、小さな子供も無理はしないだろう。
従って10代後半から30代ぐらいまでがジョギングをする主流なのだろうが、稀にお年寄りもいる。
1周400トランの距離を20周するのが当座の目的である。
ここしばらくはジョギングもあまりしていないし、慣れない道であれば相応の注意も必要である。
私は比較的ゆっくりとしたペースで走ったのだが、当然のように他に走っている人たちを追い越すことになる。
アルタミル大学恒例の30セトラン長距離走大会では陸上部男子に伍して常時上位に入っていたから、普通のランナーなら追い越せない筈はないのである。
だが、3周目で異変が起きた。
後方から誰かが追い付いて来ている足音が聞えたのである。
特に気にする必要もないのだろうが、その足音はかなり速いペースなのである。
まもなく、すっと追い抜かれてしまった。
若い男性である。
女性では身長のある私よりも5テールほども高いのではないかとおもう。
速いペースではあるが、実に綺麗なフォームであり、気負って走っているわけではないことが見て取れた。
それに追い抜かれるときに垣間見た彼のマスクはとても印象的だった。
ハンサムだった。
痩身、濃いブラウンの髪、青い瞳が目に焼き付いていた。
顔立ちから見ると20代の前半以上ではない。
彼が6トランほども前に出た時、コロンであろうか微かにヒュー・オレンジの香りがした。
不意に興味をそそられて彼のスピードに合わせて走ることにした。
距離は8トランほども離れているから彼の走りの邪魔にはならないだろう。
だが、思いのほか彼の走りは早かった。
5週目ぐらいまではゆとりも有ったが、6週目以降はかなりきつい破目になった。
最終的に8周目で彼について行くのは断念せざるを得なかった。
その時点で弧を描いている走路から彼の姿は見えなくなっていた。
若干ペースを落としてトータルで15周を終えた所で、休憩用の場所に足を止めた。
予定よりも短い周回であったが止むを得ない。
クールダウンをしている間にも彼は見事な速度で走り続けていた。
一周するのに1分少々、10周では11分程になるだろうか。
4セトランで11分はかなり早い。
しかもアップダウンもあれば階段もあるコースだ。
このペースで走れば、30セトランでは1時間半を切ることになる。
私の記録は30セトランで1時間35分が最高である。
或いは陸上競技の選手なのかもしれない。
普通のジョギングスピードではありえないからだ。
いずれにしろ、予定より少し早くコースから外れて運動器具が置かれている部屋に入った。
高い天井と透明な隔壁に囲まれた場所がいくつもあり、かなりの数のマシーンが置かれている。
その内の三分の一も埋まってはいないだろう。
私は上半身の筋肉のトレーニングマシーンに取り付いた。
両腕、腹筋、それに背筋が同時に鍛えられる。
負荷をいつもの値に設定して、ゆっくりと始めた。
その間も先ほどの彼氏はずっとコースを走っているのが見えた。
白っぽいトレーニングウェアに黒い線が二本入っているからすぐに彼の位置がわかる。
結局、トレーニングマシーンに私が取りついている間、ずっと彼氏は走っていた。
ジムナシアのエリアに入って概ね1時間が過ぎたので、私はトレーニングを切り上げた。
部屋に戻ってからも、彼の走っている姿を思い浮かべていた。
結構イケてる男性だと思うが、きっとあんな人には素敵な彼女がいるんだろうなと半ば諦めてもいる。
部屋でシャワーを浴びて、部屋着のゆったりとしたトレーナーに着替えた。
時間は10時半を過ぎていた。
カスリンがメーカーでフレビーを用意してくれているのでいつでも部屋ではフレビーを飲むことができる。
淡い赤色のフレビー茶はどこに行ってもお目に掛かれるはずである。
尤も最近は、ハーブ茶を楽しむ人も増えてきたみたいで、カスリン曰くハーブ茶も種類は少ないが用意できるということだった。
私は物心ついた時からフレビー茶なので、フレビーにしてもらっている。
お茶を飲みながら船内LANを操作して、今日の催し物を確認する。
今日の夕食後には、ダンス教室、専属バンドによる演奏会、それに3D映画が二本上映されるようだ。
フォーマル・ダンスは、大学に入った際にオリエンテーションの一環で先輩学生から教えてもらったので一通りのステップはできるが、特別に彼氏がいたわけでもなく、その必要性も無かったのでそれ以上は入り込んではいない。
いずれ必要な場合には、覚えることになるかもしれないが、今はその必要性も感じてはいなかった。
3D映画も時代劇物と恋愛物で有り、題名と僅か数行の概要を見る限り、余り興味をそそるものではなかった。
日中は、船内のプールで水泳教室もあるようだが、その時間は勉強の時間と決めている。
結局、情報端末からメィビスの情報を選び出して、色々と調べてみることにした。
メィビスの歴史は古い。
483年前には、最初の入植者が入っていた。
無論ディフィビア連合の主星デンサルからの入植者である。
その頃にはまだヒルブレン共産同盟もブーラ原理教会連邦も成立してはいなかった。
ヒルブレン共産同盟は468年前、ブーラ原理教会連邦はその12年後に何れも発足し、ギデオン帝国は、249年前にディフィビア連合の海軍の一艦隊が脱走して建国したものである。
ヒルブレンの前身は、タムディに有ったアーガス共産主義連邦であり、現在の主星ヒルブレンがアーガス共産主義連邦の調査船によって発見された途端、当時、デンサルにあった世界連盟を脱退し、ヒルブレンの領有を宣言して、国民全てを送り込んだのである。
同様に、ブーラ原理教会連邦は、デンサルで当時最も優勢な宗教であったマーブレス教徒の中でも過激な思想で有名なブーラ導師が、教会から破門されたのを切っ掛けに、自らの信徒とその一族を引き連れて30年間の放浪の末に現在の主星ウルモントに到達して建国したのが始まりである。
メィビスはそのいずれよりも歴史があるのである。
因みにアルタミルは250年ほど前に最初の入植者があり、その助成をしたのがマクバニー社であり、236年前にはその助成金を質にして入植者から惑星全土を買い取ったのである。
メィビスは資源の少ない惑星である。
そのために主な産業は農林水産業と商業である。
もともと惑星表面の8割が海洋であり、僅か2割の土地に20億人の住民が住んでいる。
11時になったので私は再度着替えて図書館へ向かった。
図書館は結構な広さがあったものの、やはり学術書は置いていない。
専門書も少なく所謂古典文学作品の立派な表装が施されている本がほとんどであった。
これならば電子書籍の方が気楽でよいだろう。
少なくとも立派な本を汚したり破いたりすることは無いからである。
図書館の後に音楽室に廻ってみた。
機材は専門の係員が保管しており、頼めば無料で借りられる。
但し、演奏は付属している12の音楽室でのみ許される。
音楽室以外の場所での演奏は個別にその都度許可を得なければならないのだ。
一応は各部屋も防音構造にはなっているが、他の船客に迷惑をかけないための配慮であるらしい。
係の人に確認するとヤーヴェロンも二つ保管してあるとのことであった。
たまたま最も大きな音楽室で演奏が行われており、二階席で暫しその演奏を聴いていた。
色々な吹奏楽器を手にした若い人たちであり精々ハイスクールの年齢のように思える。
指揮棒を振っているのは少し年増の叔父さんであり、ハイスクールの吹奏楽部のように思えた。
そう言えば母が亡くなる少し前にアルタミルでハイスクールの吹奏楽コンテストがあったようだ。
その優勝校はご褒美にメィビスでのヤノシア方面コンテストに出場できると聞いていた。
ヤノシア方面とはメィビスに繋がる6つのディフィビア連合圏内の星系からなる地区である。
だからこの生徒たちはアルタミルでの優勝チームなのであろう。
音楽室の二階席にあたる傍聴席には4人ほどの壮年男女が座っているが、おそらくはPTAの代表と引率者なのだろう。
生徒たちの演奏は未だ荒削りではあるけれど結構上手ではある。
一曲だけ傾聴して、私は音楽室を後にした。
いつものラフなスタイルである。
黄色い色合いのジャンプスーツに薄い緋色のカーディガン、それにぺったんこのモカシン靴である。
髪はまとめてバンドで止めてポニーテールにしている。
化粧は無し。
カスリンは昨日とはうって変わって紺地のメイド用制服で7時ちょうどに部屋に現れた。
カスリンに聞くと昨日の出で立ちは公式行事の制服で、普段の制服は今着ているメイド服なのだそうだ。
確かに昨日の制服よりは動きやすいようだ。
私は、カスリンと入れ違いに部屋を出て朝食に向かった。
朝食はやはりレストランではあるが、レ・ビスタという名で昨日の会食場所とは異なる。
カフェテリアのような雰囲気を有するレストランである。
セルフサービスで好きなものをトレイにとって食べる方式である。
朝食はしっかり取るのがゲーブリング家の伝統である。
栄養のバランスを考えながら結構たくさんの品数を少なめに選んだ。
今のところは朝も早い性か数人の船客しか見当たらない。
ここも特一等と一等の船客だけが利用するレストランなのである。
一人黙々と朝食を食べ、部屋に戻った。
今日の予定は、昨夜の内に考えていた。
朝食後はスポーツウェアに着替えて、ジムナシアに行き少なくとも30分のランニング、そのあと、体力錬成用のトレーニングマシーンを使うことにしている。
これも概ね30分の予定である。
1時間の体力訓練を終えたら、暫しの休憩をとってから図書館に行ってみるつもりである。
専門書がどれほど置いてあるか確認するつもりなのだ。
昔ながらの紙ベースの書籍もあるようだが、場所や重量の問題もあって、ほとんどが電子図書である。
電子図書は部屋からでも閲覧出来るが、本物の書籍は実際に見てみないと始まらない。
それと趣味の類なのだが、音楽室には多種多様の楽器が置いてある。
完全防音の音楽室は大小12室ほどあり、楽器を借りて演奏もできるようだ。
私は子供のころから弦楽器のヤーヴェロンを嗜んでいた。
だから相応のヤーヴェロンがあるならば、日々の稽古の時間に加えようと思っていた。
子供のころから慣れ親しんだ私のヤーヴェロンは左程いいものではなかったが、此度の家財整理で処分されているものの一つである。
船内では各種お稽古事のテーマがあるのだが、フェルシェやバリ・アルショークの教室はあっても、残念ながらヤーヴェロンの教室は無い。
昨夜の晩餐会では楽団がバックミュージックを奏でていたし、その中にヤーヴェロンの演奏者もいたからできないわけではないのだろうが、フェルシェやバリ・アルショークのように必ずしも一般に普及していない楽器であるから仕方がないのかもしれない。
キティホークでは色々な催し物がある。
歌唱や舞踊のショー、観劇、演奏会、講和等々である。
そうした中で、今回の目玉の一つは、ディフィビア連合圏でも高名なバリ・アルショーク演奏家のケイシー・ドグマンの独演会がある。
これは出航25日目から三日間、音楽ホールで開催されるので是非聞きに行きたいと思っている。
昼食を食べて午後は、部屋に籠って、少し勉強をするつもりでいる。
時間にすると1時から4時までの三時間である。
修士課程は中退したものの、一応の成果としてレポートはまとめておきたいと思ったのである。
それに昨日聞いたケルヴィスの話も気になった。
私が以前に調べた限りは、有機結晶であるケルヴィスの特性については若干の文献もあるが、極めて不安定な触媒として紹介されているだけで、これまで余り注目された形跡がないのである。
だが実際にケルヴィスを使って有効な薬品を生み出しているとなれば、調べる価値は十分にある。
少なくとも知的興味を抱かせるに十分な材料である。
私はスポーツウェアに着替えて部屋を出た。
3階層下のジムナシアに着いたのは8時少し前である。
準備運動で十分に筋を延ばした後でジムナシアの外側に位置する走路に入った。
幅が6トランほどの走路は、5トラン程度の上下の起伏や階段もあり結構楽しめそうである。
腕時計のストップウォッチを始動させ、私は走り始めた。
透明な隔壁を通して全体を見渡してみると、走路を走っているのは10名に満たないほどである。
高齢者は無理であろうし、小さな子供も無理はしないだろう。
従って10代後半から30代ぐらいまでがジョギングをする主流なのだろうが、稀にお年寄りもいる。
1周400トランの距離を20周するのが当座の目的である。
ここしばらくはジョギングもあまりしていないし、慣れない道であれば相応の注意も必要である。
私は比較的ゆっくりとしたペースで走ったのだが、当然のように他に走っている人たちを追い越すことになる。
アルタミル大学恒例の30セトラン長距離走大会では陸上部男子に伍して常時上位に入っていたから、普通のランナーなら追い越せない筈はないのである。
だが、3周目で異変が起きた。
後方から誰かが追い付いて来ている足音が聞えたのである。
特に気にする必要もないのだろうが、その足音はかなり速いペースなのである。
まもなく、すっと追い抜かれてしまった。
若い男性である。
女性では身長のある私よりも5テールほども高いのではないかとおもう。
速いペースではあるが、実に綺麗なフォームであり、気負って走っているわけではないことが見て取れた。
それに追い抜かれるときに垣間見た彼のマスクはとても印象的だった。
ハンサムだった。
痩身、濃いブラウンの髪、青い瞳が目に焼き付いていた。
顔立ちから見ると20代の前半以上ではない。
彼が6トランほども前に出た時、コロンであろうか微かにヒュー・オレンジの香りがした。
不意に興味をそそられて彼のスピードに合わせて走ることにした。
距離は8トランほども離れているから彼の走りの邪魔にはならないだろう。
だが、思いのほか彼の走りは早かった。
5週目ぐらいまではゆとりも有ったが、6週目以降はかなりきつい破目になった。
最終的に8周目で彼について行くのは断念せざるを得なかった。
その時点で弧を描いている走路から彼の姿は見えなくなっていた。
若干ペースを落としてトータルで15周を終えた所で、休憩用の場所に足を止めた。
予定よりも短い周回であったが止むを得ない。
クールダウンをしている間にも彼は見事な速度で走り続けていた。
一周するのに1分少々、10周では11分程になるだろうか。
4セトランで11分はかなり早い。
しかもアップダウンもあれば階段もあるコースだ。
このペースで走れば、30セトランでは1時間半を切ることになる。
私の記録は30セトランで1時間35分が最高である。
或いは陸上競技の選手なのかもしれない。
普通のジョギングスピードではありえないからだ。
いずれにしろ、予定より少し早くコースから外れて運動器具が置かれている部屋に入った。
高い天井と透明な隔壁に囲まれた場所がいくつもあり、かなりの数のマシーンが置かれている。
その内の三分の一も埋まってはいないだろう。
私は上半身の筋肉のトレーニングマシーンに取り付いた。
両腕、腹筋、それに背筋が同時に鍛えられる。
負荷をいつもの値に設定して、ゆっくりと始めた。
その間も先ほどの彼氏はずっとコースを走っているのが見えた。
白っぽいトレーニングウェアに黒い線が二本入っているからすぐに彼の位置がわかる。
結局、トレーニングマシーンに私が取りついている間、ずっと彼氏は走っていた。
ジムナシアのエリアに入って概ね1時間が過ぎたので、私はトレーニングを切り上げた。
部屋に戻ってからも、彼の走っている姿を思い浮かべていた。
結構イケてる男性だと思うが、きっとあんな人には素敵な彼女がいるんだろうなと半ば諦めてもいる。
部屋でシャワーを浴びて、部屋着のゆったりとしたトレーナーに着替えた。
時間は10時半を過ぎていた。
カスリンがメーカーでフレビーを用意してくれているのでいつでも部屋ではフレビーを飲むことができる。
淡い赤色のフレビー茶はどこに行ってもお目に掛かれるはずである。
尤も最近は、ハーブ茶を楽しむ人も増えてきたみたいで、カスリン曰くハーブ茶も種類は少ないが用意できるということだった。
私は物心ついた時からフレビー茶なので、フレビーにしてもらっている。
お茶を飲みながら船内LANを操作して、今日の催し物を確認する。
今日の夕食後には、ダンス教室、専属バンドによる演奏会、それに3D映画が二本上映されるようだ。
フォーマル・ダンスは、大学に入った際にオリエンテーションの一環で先輩学生から教えてもらったので一通りのステップはできるが、特別に彼氏がいたわけでもなく、その必要性も無かったのでそれ以上は入り込んではいない。
いずれ必要な場合には、覚えることになるかもしれないが、今はその必要性も感じてはいなかった。
3D映画も時代劇物と恋愛物で有り、題名と僅か数行の概要を見る限り、余り興味をそそるものではなかった。
日中は、船内のプールで水泳教室もあるようだが、その時間は勉強の時間と決めている。
結局、情報端末からメィビスの情報を選び出して、色々と調べてみることにした。
メィビスの歴史は古い。
483年前には、最初の入植者が入っていた。
無論ディフィビア連合の主星デンサルからの入植者である。
その頃にはまだヒルブレン共産同盟もブーラ原理教会連邦も成立してはいなかった。
ヒルブレン共産同盟は468年前、ブーラ原理教会連邦はその12年後に何れも発足し、ギデオン帝国は、249年前にディフィビア連合の海軍の一艦隊が脱走して建国したものである。
ヒルブレンの前身は、タムディに有ったアーガス共産主義連邦であり、現在の主星ヒルブレンがアーガス共産主義連邦の調査船によって発見された途端、当時、デンサルにあった世界連盟を脱退し、ヒルブレンの領有を宣言して、国民全てを送り込んだのである。
同様に、ブーラ原理教会連邦は、デンサルで当時最も優勢な宗教であったマーブレス教徒の中でも過激な思想で有名なブーラ導師が、教会から破門されたのを切っ掛けに、自らの信徒とその一族を引き連れて30年間の放浪の末に現在の主星ウルモントに到達して建国したのが始まりである。
メィビスはそのいずれよりも歴史があるのである。
因みにアルタミルは250年ほど前に最初の入植者があり、その助成をしたのがマクバニー社であり、236年前にはその助成金を質にして入植者から惑星全土を買い取ったのである。
メィビスは資源の少ない惑星である。
そのために主な産業は農林水産業と商業である。
もともと惑星表面の8割が海洋であり、僅か2割の土地に20億人の住民が住んでいる。
11時になったので私は再度着替えて図書館へ向かった。
図書館は結構な広さがあったものの、やはり学術書は置いていない。
専門書も少なく所謂古典文学作品の立派な表装が施されている本がほとんどであった。
これならば電子書籍の方が気楽でよいだろう。
少なくとも立派な本を汚したり破いたりすることは無いからである。
図書館の後に音楽室に廻ってみた。
機材は専門の係員が保管しており、頼めば無料で借りられる。
但し、演奏は付属している12の音楽室でのみ許される。
音楽室以外の場所での演奏は個別にその都度許可を得なければならないのだ。
一応は各部屋も防音構造にはなっているが、他の船客に迷惑をかけないための配慮であるらしい。
係の人に確認するとヤーヴェロンも二つ保管してあるとのことであった。
たまたま最も大きな音楽室で演奏が行われており、二階席で暫しその演奏を聴いていた。
色々な吹奏楽器を手にした若い人たちであり精々ハイスクールの年齢のように思える。
指揮棒を振っているのは少し年増の叔父さんであり、ハイスクールの吹奏楽部のように思えた。
そう言えば母が亡くなる少し前にアルタミルでハイスクールの吹奏楽コンテストがあったようだ。
その優勝校はご褒美にメィビスでのヤノシア方面コンテストに出場できると聞いていた。
ヤノシア方面とはメィビスに繋がる6つのディフィビア連合圏内の星系からなる地区である。
だからこの生徒たちはアルタミルでの優勝チームなのであろう。
音楽室の二階席にあたる傍聴席には4人ほどの壮年男女が座っているが、おそらくはPTAの代表と引率者なのだろう。
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