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第一章 プロローグ

1-2 アリス ~旅立ち

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 私はアリス。
 アリス・ゲーブリングという。

 自分で言うのもおこがましいけれど、少しばかり元気が良くて、おつむの良い19歳の女の子。
 それに美人であった母の遺伝子を貰ったお蔭で少し見栄えがいいかも。

 普通の子と同じく6歳で入った初等学校なのだが、普通ならば9年間の初等学校を7年で卒業してしまい、地元のハーパー学園の高等科3年課程を2年で卒業。
 かくして15歳でハーパー学園大学部の大学生になってしまった。

 そうして、17歳で大学も卒業、修士課程になって、それも後半年で修了見込みであった。
 埋まれ育ったのはディフィビア連合の企業惑星アルタミル。

 母がアルタミルでも有数の生化学者だったから経済的にはかなり裕福であったはず。
 母フェリシアは、惑星を牛耳っているマクバニー社の生化学部門研究所の副所長をしていた。

 マクバニー社のお抱え研究者なので、中々母が思うような研究ができない等融通の利かない部分もあったようではあるが、会社からは大事に扱われていたようだ。
 父はトーマス・ガバーンという男らしいが、私は父の顔を知らない。

 私が生まれて間もなく父は母の元を去ったのだ。
 その理由を教えてもらってはいないが、普段の母の様子を見る限り父の方に問題が有ったのではないだろうかと思っている。

 或いは別の女と駆け落ちでもしたのではないかと思っている。
 だから家には母方の祖父母のホロはあるけれど、父のホロはない。

 父が去って1年後には母が全て処分したらしい。
 私が大学に入った年に祖父母が流行り病で相次いで亡くなった。

 そして、さらにある日大学で午後のゼミを受講中に大学の 事務長が私を教室から呼び出した。
 事務長が講堂の廊下で告げたのは思いもかけないことだった。

 アルタミル星都のセントラルシティから約6200セトラン離れた地方都市デラントにある生化学プラントの建設現場に会社の要請で三日前から出張していた母であるが、その帰途、搭乗していた超音速高軌道旅客機が離陸後間もなくに爆発炎上し、死んだという知らせだった。
 私は唐突にめまいを感じ倒れそうになったが、何とか踏みとどまった。

 ただ、その後の数時間の出来事はほとんど何も覚えていない。
 漸く我に返った時には、家にいた。

 翌日、私はデラントに赴いたが母の遺体を見ることは適わなかった。
 搭乗者はいずれも爆発とその後の墜落で遺体が判別できないほどにバラバラになっていたのである。

 事故から数週間後、DNA検査で母の遺体の一部とされた肉片と骨片が小さな容器に入れられて自宅に戻って来た。
 母の残した遺産と会社からの遺族弔慰金それにマクバニー社航空部門からの慰謝料を合わせると、1億ルーブを超える金額が私の手元に残された。

 事故原因がエンジンの整備不良と判明したのもその頃であり、マクバニー社航空部門は叩かれ、その幹部は引責辞任をしたようだった。
 私が受け取る金は大金ではあるものの、母が生きて戻って来るならばそんな金は要らないと心底思った。

 アルタミルでは九分九厘どこの家庭でも同じなのだが家は社宅であった。
 母が死んだことにより清算管理を告げるためにやって来たマクバニー社の顧問弁護士が遺憾の意を示しながらも付け加えたのは、会社の規則で三か月間の猶予はあるものの社宅を出て欲しいということだった。

 ほとんど遺骸の無い母の形ばかりの葬儀に立ち会ってくれたのは研究所の所長さんを始め数人の同僚と近所の人たち多数、それに母と私の友人たちであった。
 会社幹部の人間は同じ市内に住んでいるはずなのに誰も来なかった。

 一つには航空機が墜落した場所が、母が出張で赴いた会社の大事な施設であったことが災いしたのだろう。
 莫大な経費をかけて建設中のプラントに大きな被害が生じたのである。

 施設の後処理もあって幹部全員がセントラルシティを離れている状況であったのだ。
 私がマクバニー社に入社を希望すれば、相応の職にもつけるし、それなりの社宅も与えられるのだろうが、何となく会社の冷たい仕打ちにその気も失せていた。

 惑星のほぼ全部が会社の私有財産であるアルタミルでは、個人の家を持つことは非常に難しい。
 無論、会社が経営する賃貸住宅がさほど多くは無いものの市内各地に存在するが、家賃はビジネスホテルの宿泊料に匹敵する。

 その程度の出費で私に残された遺産はびくともしないが、会社とは無縁のそうした滞在者を会社自体が余り喜ばない風潮なのである。
 惑星の管理主体である会社が、管理できない者や物をできるだけ排除しようとしているからである。

 家には幼い頃から面倒を見てくれたベアトリスさんがメイドでいたが、当然のように彼女も家には住めなくなる。
 幸い娘さん夫婦が最寄りの都市に居るので、ベアトリスさんはいよいよとなればそこに身を寄せるという。

 色々迷った末に、私は、アルタミルを出ることを決意した。
 家に残った母との思い出の品々を整理し、僅かの荷物を持って家を出たのは母が亡くなってから二か月後の事であった。

 別れに際し、ベアトリスさんには100万ルーブの小切手を渡した。
 それだけの金額があれば親子4人が少なくとも15年ほどはかなり贅沢できるはずである。

 ベアトリスさんは受け取りを固辞したが、私は無理にでも受け取ってもらった。
 彼女は長年私の乳母役を務めてくれた人だし、母が生きていればまだ10年やそこらは家のメイドを勤めてもらっていたはずである。

 大学新卒者の初任給が1万5千ルーブほどになるから、年間15万から20万ルーブになる。
 ベアトリスさんは月に2万ルーブほどを貰っていたので、10年間の給料ならばその倍以上の金額になるはずだからである。

 大学は修士課程を中退した。
 ゼミのヨハネス教授が私の才能を惜しんではくれたが、母のいない今、大学に残るつもりは無かった。

 大学自体も会社の経営する組織の一部であるからである。
 私は、大きなトランク二つを持って、別れを惜しむベアトリスさんに見送られながら、長年住んだ家を離れ、シャトル基地へ向かっていた。

 仲の良かった友人たちが前日に送別会を催してくれて、彼らとは既に別れを告げている。
 それらの友人たちは大学のゼミが有ったり、仕事があったりしてシャトル基地まで見送りに来る余裕は無かった。

 惑星を支配する会社が単なる見送りなど非生産的な私的活動をほとんど認めないからである。
 母の葬儀にあれだけの人々が集まってくれただけでも十分に大変なことなのである。

 シャトル基地は、セントラルシティの郊外南部にある。
 そこまでは、予約していたフリッターを使う。

 フリッターは行く先を告げれば、自動運転で運んでくれる便利な空中浮揚艇である。
 フリッターの機内は広く、座席の背後に十分な荷物スペースが有るのでトランク二つはそこにベルトで固定した。

 秋口の空はどこまでも澄みきっており、フリッターの誘導路にあたる街路は早くも黄色く色づいたボサノール並木が驚くほど綺麗であった。
 これでアルタミル特産のボサノールも見納めかと思うと何となく感傷的になる。

 30分程でシャトル基地のシンボルでもある高い管制塔が右斜め前に見え出した。
 管制塔は、赤と黒に色分けされた鉄骨がよじれた紐のように綺麗に組み合わされてできており、名前は忘れてしまったがディフィビア連合でも高名な建築デザイナーの作品の一つだと聞いたことがある。

 シャトル基地で、乗船予定のキティホーク号の乗船券を見せれば、シャトルにはそのままで乗れるはずである。
 乗船券にはシャトル便の料金も含まれていると旅行代理店からは聞いている。

 キティホーク号の行く先は、周辺宙域では自由貿易惑星として知られているメィビスである。
 アルタミルからはどこへ行くにしてもメィビスを経由しなければならない。

 アルタミルからはディフィビア連合の星系6つに直行する客船が就航しており、メィビス以外の星系に行くには、メィビスとアルタミルをつなぐワームホールを出た後に、大きく迂回しながら別の星系に繋がるワームホールに飛び込むのである。
 メィビスはアルタミルのような企業惑星ではない。

 きちんとした政府が存在し、自由貿易を管理しているのである。
 しかしながら一方でアルタミル以外の星系を知らない私にとっては全くの未知の世界であることに間違いはない。

 下調べは繰り返し行ったし、地元の法令も習慣もネットで調べられる限りのことはやったが、不安は残る。
言葉の問題はほとんどない筈である。
 アルタミルもメィビスもディフィビア連合の標準語であるコリデル語であるからだ。

 卑しくもディフィビア連合圏内であれば、如何に辺鄙へんぴな所でもコリデル語が通じるものとされている。
 尤も自分自身で確認したわけではないから、実際に行ってみないとわからない点でもある。

 私としてはとにかくアルタミルを離れることだけを考えていたから、メィビスで何をするかはまだ決めていない。
 メィビスに着いてからじっくりと考えるつもりであった。

 1億ルーブの金額は、何もせずとも一生涯優雅に暮らせる金額ではあるものの、私としては何か仕事を始めることを漠然と考えていたのである。
 経済的に余裕があるからと言う理由で遊んで暮らすのは私の性分ではない。

 新たな事業を始めてもいいだろうし、極普通のオフィスガールでもいいと思っていた。
 シャトル基地は、三層構造の大きな建物であり、階層の一つ一つが天井の高い造りになっている。

 その中でも、カウンターのある出発ロビーはとにかく広い。
 三層をぶち抜いた出発ロビーの天井は、私がボールを投げあげても届かない高さがある。

 300トラン四方の広場に6つのカウンターが散りばめられており、さほど混み合っているわけではないが結構な人数がロビーには集まっていた。
 特にブースとも呼ばれるカウンター前はかなり混みやすい。

 私は、列に並び、10以上もある受付カウンターの一つで乗船券を提示して、トランク二つを預けた。
 手に持っているのは、お気に入りのハンドバック一つだけである。

 シャトルに乗るためには、二階の搭乗口に行かねばならなかった。
 次のシャトル便の搭乗開始までに1時間近く時間が有ったので、チェックイン手続きを済ませてからシャトル基地内の三階にあるモールでウィンドウ・ショッピングと決め込んだ。

 三階のモールは免税店でもある。
 土産品が色々並ぶ店先でアルタミル特産の土産が結構あることを初めて知ったし、衣料品店では、アルタミルでは中々見かけないファッションが多数あることにも気づいた。

 私が着ているものは、アルタミルでは極ありふれた薄緑のジャンプスーツに地味な色合いの牛革ジャケットである。
 アルタミルの学生街を歩いたならば間違いなく8割の若い女性はこの格好の筈である。

 無論、色合いや柄などは千差万別なのだが、私の姿が概ね女子大生の制服と見てもいいぐらいなのである。
 私が身に付けているものでオシャレと言えるものがあるとすれば、母の形見でアルタミル特産の緋色翡翠のイヤリングとペンダントだけであろう。

 靴は動きやすいようにアルタミル鹿のモカシンを履いている。
 トランクの中に二足ほどお出かけ用の靴は入っているが、そのほかの靴はすべて処分してしまった。

 これから行くメィビスに決まった家があるわけではないから引っ越し荷物を送るわけにも行かないのである。
 コンテナに入れて保管しておくという手も無いわけではないが、旅客船にしろ、貨物船にしろ、かさと重量で運送料金が高くなる。

 仮に社宅に有った荷物を全てメィビスまで運ぶとしたなら3000万ルーブは間違いなくかかるだろう。
 それだけあればメィビスでも庭付きの立派なお邸が買えるぐらいの値段である。

 つまりは運ぶよりも到着先で品物を揃えた方がはるかに安く付くということである。
 宇宙旅行の場合、手荷物の容量と重量にも制限があり、制限を超えるとかなりの金額が要求されることになるのだが、幸い私の場合は悠々と制限範囲に収まっている。

 仮に私が三等船客であっても大丈夫な筈であった。
 客船の運賃は三等船室で200万ルーブ、二等船室で300万ルーブ、一等船室では500万ルーブ、特一等船室では750万ルーブである。

 それよりも安い料金を望むならば不定期の貨客船に乗るしかない。
 不定期貨客船の場合、かなり料金格差はあるようで、一番安い料金は100万ルーブを切るがサービスは期待できない代物であり、ネット情報によれば5段階のクラスの最低評価になっており、誉めている情報が一つもない。

 部屋の清掃が行き届いていないとか食事が貧相だとか、苦情のオンパレードである。
 従って女の一人旅になる私の場合はセキュリティもしっかりしている正規の客船を選ぶしかない。

 船内での三食は料金に含まれているし、旅客用の施設は8割近くが無料である。
 少々高いようにも思えるが、概ね50日近い日数を高級ホテルで過ごし、高級レストランで毎度の食事を食べることを考えれば意外と割安かも知れない。

 シャトル基地でウィンドウ・ショッピングを始めたものの、左程長くは続かなかった。
 モールが沢山ありすぎて全部まわるだけの時間が無いうちに搭乗案内がアナウンスされたからである。

 メィビス行き139便が私の搭乗すべきキティホーク号であった。
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