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プロローグ
プロローグ
しおりを挟む都心から発されるネオン光が届かない程度に離れた深夜の住宅街。
「草木も眠る丑三つ時」と表現される深夜帯であったが、ある一軒家の二階からは閉じられた厚めのカーテンの隙間から僅かな光が漏れていた。
電気がつけられている部屋の中にはテレビの前を陣取る男と、その男の肩に寄りかかって眠る少女が一人。
男の手には4つのボタンと2つのキーパッドで構成されたゲームのコントローラーが握られ、○ボタンを親指でひたすら連打している。
男は休憩をしていないのか、彼の目は充血し、どこか虚ろな 眼でゲームのモニターである32インチ程のTV画面の中で繰り広げられる訓練の様子をじっと見つめていた。
「………なぜ俺はこんなことをしてるんだ。」
そう呟いて自分の隣でさっさと寝落ちした少女の顔を見る男……もとい、天野悟は自分がこの仕事を安易に引き受けたことを後悔していた。
事の発端は今から数時間前、会社から一週間の休みを与えられた悟が実家に里帰りした日の夜のこと。
悟の住む地方から実家のある都心に行くために半日を有したため、彼は疲労が溜まっていることを両親に伝えると、彼らが用意してくれた和室に布団を敷いて眠りにつこうとした…その時だった。
「助けて!兄さん!!」
部屋の襖がスパァン!と勢いよく開かれ、廊下の光とともに彼の妹である桜が入ってきた。
「……なんだよ桜。お兄ちゃんはもう疲れてヘトヘトなんだから、用があるなら明日にしてくれないか…?」
ようやく熟睡できると思っていた悟は眠そうに目をこすりながら、騒々しい妹に対して半目で睨むことによって抗議の意を示す。
「えぇー、お願いだから話を聞いてよぉ…」
「そう言って直ぐ人に頼る癖は直した方がいいぞ?お前だってあと数年後には社会人になるんだ。今のうちに自分一人でやり遂げることを身につけた方がいい。」
涙目で懇願する妹に悟は聞く耳を持たず、ぴしゃりと言い放つと彼は再び布団に潜り込んだ。
「私だって頑張ったからぁ!何時間もかけてクリアしようとしたもん……でも、ダメだったから兄さんに頼んでるの!!」
せめて話だけでも、と必死に訴えている桜は兄が潜り込んだ布団の上に跨ると、掛け布団の端をグイグイと引っ張り、彼の着込む鎧を剥ぎ取ろうと奮闘した。
そんな状況が続いて数分後、自分にのしかかっている喧しい妹の重みと布団の中にいることの暑苦しさから、今の状況では眠ることはできないと判断したのか、布団からスポンと頭だけを出した状態で悟は口を開いた。
「…とりあえず話は聞く。けど、話をしたら眠らせてくれ。今日は本当に疲れているんだ…」
そう告げると桜の表情は目に見えて明るくなり、感極まったのか布団ごと悟の身体を強く抱きしめた。
布団越しにパジャマの上からも確認できる彼女の起伏に富んだ身体が、悟に押し付けられる。
「ありがとう兄さん!本当にありがとう!!」
「わかったから上から退いてくれ。暑苦しくてかなわん……」
ただ、実兄である悟にとっては妹からのスキンシップであり、慣れているのか特に感じるものはないようであった。
悟は改めて妹の話の詳細を聞くため、天井にある電灯から吊り下げられた紐を引いた。
一度は消された明かりを灯し、掛け布団を畳んで部屋の隅に追いやって即席の話し合いのスペースを作ると、悟は妹が乗り込んで来た理由について聞くことにした。
「それで、俺を起こしてまで助けてほしいことってなんだ?」
「えっとね……これを攻略してほしいの!」
そう言うと桜はどこからか縦に長い長方形の箱を取り出し、兄の前に置いた。
悟に向けて置かれた箱の表面には五人の男が一人の少女を囲うように配置されているアニメ調のイラストが描かれており、描かれているキャラクター全員は共通して非常に整った顔つきをしていた。
「桜…コレはなんだ?」
「えっ?なにって…“僕恋”っていうゲームだよ。前にメッセージで買ったって連絡したよね?」
うーん、みんなかっこいいよね~と、パッケージのキャラを見ながらウットリとする桜の姿を尻目に、悟は急激に頭の中が冷めていく感覚に陥った。
「そうか……話は聞いたから俺は寝させてもらう。」
「えっ!?待って!待ってよ!まだ話は終わってないからぁ!!」
掛け布団を取りに向かった悟の足にしがみついてでも話を聞いてもらおうとする桜。側から見ると恋人の男に捨てられまいと縋り付く女の図である。
「どうせこのゲームを自分の代わりにやれとでも言うつもりだろ?」
「うぇっ!?そ、ソンナコトナイヨー…ただ手伝ってもらおうとしただけだヨー…やだなぁ……」
「(図星だな…)」
動揺が全く隠せていない桜の様子を見て、彼は未だに自分の足から離れない彼女と話を続けることにした。
「桜。お前この前メッセージで『新しく買ったこのゲームは今度こそ自分一人の力でクリアして、イラストをコンプリートするんだー』って息巻いてたじゃないか。」
「絵じゃなくてセル画だよ、お兄ちゃん。」
「どちらでも変わらん。で?その“僕恋”とやらは一人でクリアするんじゃなかったのか?」
「………ねぇ、お兄ちゃん。乙女ゲーのゲームオーバーって三分あればできるんだよ。」
「相変わらず重症だな…」
目からハイライトが消え、どこか定まらない視線で虚空を見つめて乾いた笑いを漏らしている桜の様子を見て、悟は未だに彼女のゲームの腕が上達していないことを察した。
「しかし桜。その手のゲームは選択肢によってストーリーが進められる仕様が多いと思うけど、違うのか?」
「まあ、シナリオパートの大半は選択式なんだけど……そこを乗り越えても育成パートで失敗し続けて、次の戦闘パートで負けに負けて退学…とかね。」
「お、おぅ…」
悟は最近の乙女ゲームに育成要素とバトル要素があることに興味が生まれ、もう少し詳しく聞いてみたいと思ったが、トラウマの数々を思い出し、益々どんよりした黒いオーラを放つ妹に対して、話を蒸し返す気にはなれなかった。
話の路線がズレ、このままでは進展がないと考えた悟はなんとかこの状況を打破しようと口を開いた。
「とりあえず、だ。簡潔にまとめると、お前は新しいゲームを買ったが何度もゲームオーバーを繰り返した結果挫折した。そこで、昔みたいに俺にゲームのクリアを手伝ってほしい…と?」
「う、うん、そうだよ。兄さんがアドバイスをしてくれれば私もクリアできると思うんだ…だからお願い!一周目だけでもクリアできれば後は自然とできると思うの!!」
「………」
「お願い…」
「……………」
「本当に何やってんのかねぇ…」
結局桜の涙目 +上目遣いのコンボに根負けした悟は、その夜から彼女のゲームアシストをすることになり、現在に至る。
「しっかし、乙女ゲームもバカにできないな…グラフィックも綺麗だし、全キャラフルボイスとは…」
彼が目を向けるゲーム画面では、同じ制服を着た深い青色の髪を持つ少年と空色の髪を持つ少年が木製の剣を手に対峙している。
「たしかこの青髪がルイスで、戦ってる相手がマーシュだったか?……くぁふ…桜も寝てるようだし、この一戦が終わったら俺も寝るとしよう……?」
口の端からヨダレを垂らしながら眠っている桜を見て呟いた時だった。
彼は突如、尋常ではない強烈な眠気に襲われた。
「ん……ヤバい……これ、もう…寝る…」
コントローラーを握る手の感覚がなくなり、瞼が強制的に閉じられていく。
「(レベリングは終わらなかったけど…まあ、明日桜と一緒にやればいいか…)」
そう頭の中で浮かべ、彼の意識は闇へと沈んでいった。
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