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モテる彼氏はいりません
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しおりを挟むシメにブランド鶏の卵を使ったカルボナーラを食べ終わると、背中に置いているオフホワイトの鞄の中でスマホが震えた。
確認すると昨日と今日、体調不良で休んでいる爽くんからのメッセージ。
【莉子先輩、もう家帰っちゃってますか?】
もうすぐで十九時になろうというところ。いつもならまだ会社にいる時間だけど、今日は水曜日だからノー残業デー。
この焼き鳥屋さんに入って一時間半が経過していた。
水瀬に「ちょっとごめん」と一言断りを入れて【まだだけど、どうしたの?】と返信を送る。
そのままスマホをカウンターに置いていたら、すぐにメッセージではなく電話の着信が鳴った。
食事前の水瀬とのやりとりを思い返せば、ここで爽くんと電話をするのは憚られる。
出るか迷っていると、ディスプレイに表示された『水瀬爽』の文字を見て眉間に皺を寄せた水瀬が「出れば」と一言呟いた。
さらに少しの間逡巡し、昨日今日と体調を崩して欠勤している後輩が気になり電話に出る。
「もしもし?」
『あ、莉子先輩。今いいですか?』
「うん、ちょっとなら。どうしたの?」
席を立たずにカウンターで話しているため、必然的に小声になる。
『すいません、飯の途中でした?』
「大丈夫。声ガラガラだね。風邪辛いの?」
『はい、それでちょっと頼みたくて……』
どうやら本当に辛いらしく、病院に行ったものの薬だけもらって食料などは何も買わずにタクシーで帰ってきてしまったらしい。
適当な食べ物と飲み物を買ってきてほしいというお願いの電話だった。
男友達とか歴代の彼女に頼めないのかという疑問も浮かんだけど、前者はきっと何を買ってくるのか不安で頼めず、後者は余計な揉め事の種になると踏んだんだろう。
「もう、しょうがないなぁ。住所メッセージで送っておいて」
『すみません。めっちゃ喉乾くんで飲み物多めでお願いします』
「大量の水分って重いって知ってる?」
『だってぇ……』
図々しく頼んでくる後輩にわざと冷たい声で言えば、尻尾を垂らしたようにしょんぼりとした様子が浮かんでクスッと笑えてしまう。
「大丈夫、ちゃんと買っていくから。それまで寝てて。わからなかったら電話するから」
『はい。お願いします』
通話を終了させてハッとする。途中からすっかり水瀬といることを忘れていた。
「あ、あのね」
真横にいたのだから、いくら小声で話していた所で会話は筒抜けだったはず。
それでも事情を説明しようと水瀬の方を向き直ると、向けられたことのない鋭い視線が私を貫いた。
「家まで行くの?」
「う、うん。部屋には上がらずに届けたらすぐ帰るけど」
なんでこんな風に言い訳してるみたいになっているのか。
何も悪いことなんてしていないはずなのに、背中を嫌な汗が伝う感触にどこか後ろめたさを感じている気になる。
「俺が部屋に行っても上げないのに、爽の家には行くの?」
いつかのちょっとした会話を引き合いに出す水瀬の考えていることがわからない。
たとえ話と、今現実に病人の手伝いをするのでは意味が全く違うのに。
「水瀬、何言ってるの? 全然違う話でしょ」
「……あいつだから?」
「え?」
「爽だから、そこまですんの?」
水瀬が何を言っているのかわからずに、鋭い視線に怯みつつ見つめ返す。
お酒が入った頭を必死に働かせて、彼が私に何を言いたいのかを掴もうともがく。
水瀬が暗に言いたいことを否定するように、なるべく冷静にいようと心を落ち着けて口を開いた。
「今一緒に動いてる一人暮らしの後輩が風邪を引いて、電話で手伝いを頼まれたら、私は爽くんじゃなくても買い物くらい手伝うよ」
「……あいつが、社長の息子じゃなくても?」
放たれた言葉に大きく目を見開く。
頭が真っ白になるという体験を初めてした。
まさか水瀬がそんなこと言うなんて思わなくて、投げつけられたセリフを理解するのに時間がかかった。
ようやく理解したその一言は、私の水瀬への信頼をズタズタに踏みにじるには十分すぎて、すぐに反応することが出来なかった。
「それを……水瀬が、私に言うの?」
ショックという言葉では表しきれない感情が目の前を暗く塗りつぶす。
水瀬にとったら、所詮私だってその程度の人間だということなんだろうか。
『水瀬帝国の王子』なんて言葉を使わなかったわけじゃない。むしろ積極的に使っていたかもしれない。
でもそれは水瀬や爽くんの立場を正しく認識して使っていた言葉じゃない。『御曹司』なんて、『背が高い』とか『協調性がある』とか『ナルシスト』みたいな個性のひとつ。
本人の資質と無関係に在するという観点で言えば、いっそ価値のないものにすら思えるもの。
ただその人が持っている個性を面白可笑しく話しただけ。背が高い人をのっぽと呼ぶのと一緒で、御曹司の水瀬を王子と呼んだだけ。
その程度の認識で接していた私にとって、『御曹司』というだけで七光だと妬む男も、玉の輿だと群がる女も理解出来なかった。
いや、理解は出来ても私とは違う考え方だなと一線を引いていた。
それがまさか『社長の息子だから』後輩の爽くんにいい顔をしているのかと、なんなら媚を売っているのかと、『社長の甥』である水瀬に言われるとは思わなかった。
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