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間もなく約束の時

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彰人と別れたのは、知らない女性と腕を組んでマンションに入っていったのを目撃してから半年も後、今から一年半前のことだった。

私はそのことを問い詰めることもせず、仕事も資格の勉強も疎かにすることなく、彰人との時間も確保しようと必死だった。

以前のように月に二度ほど会える日を作り、彼のマンションに行けば食事を作ったり家事を手伝い、仕事の愚痴を聞き、乗り気ではないセックスも求められるままに応えた。

彰人が本当に浮気をしていたのかは今となってはわからない。

私が勝手に頑張り、勝手に追い詰められ、勝手に倒れて限界を感じて別れを切り出すまで、彰人は変わらず優しかった。

彰人の部屋に入るたび、他の女性の影がないか探ってしまう。

会話をしていて知らない名前が出るたびに、女性なのか、どんな関係なのかと気になってしまう。

独占欲や嫉妬と呼ぶには私の気持ちは冷めていたように思う。

ほとんど彼に恋愛感情はなくなっていたのを自覚していながら、馬鹿みたいなプライドでその恋の舞台から降りるのを拒んでいた。

三年も付き合っていたので少なからず執着もしていて、自分以外の女性に心がいってしまう彼を許せなかった。

忙しさと自己嫌悪から食欲もわかず、夜は眠れなくなり。身体も心もボロボロになって、ついに職場で倒れて病院に運ばれた。

ただの過労で二時間の点滴が終われば帰れると言われたものの、職場に迷惑をかけてしまった自分が許せずにポロポロと涙が止まらない。

意地を張るのは限界だった。馬鹿なプライドは捨てて、別れを選ぶ時が来たと働かない頭で理解した。

病院まで付き添ってくれた水瀬は、泣きじゃくる私の頭を無言でずっと撫でてくれた。

『よく頑張ったな』

『お前は悪くない』

『俺がそばにいるから』

乾いた大地に水が染み渡るように、低くて優しい声が私の心に入り込んでくる。

その手が大きくて温かくて、余計に泣けてしまったのを今でも鮮明に覚えている。


来週訪問予定の営業先へ持っていく資料を粗方作成し終え、時計を見るとあと数分で定時の十七時半を迎えようというところ。

周りを見渡せば、水曜日ということで既に帰り支度を始めている人も少なくない。

もうすぐ約束の時間。逃げないと言ってしまったからには行かなくては。

水瀬に会うのにこんなに緊張しないといけなくなったのはいつからだっただろう。

彼と初めて会ったのは入社式。

インターンシップで一緒になった人達から、この会社は一族経営で、都内でも有数の建築学科に通っている同い年の御曹司がいるのだと聞いていた。

なんでも成績も優秀で、さらにはイケメンだと女子が騒いでいるのも耳にした。

ここにいる人達は全員ではないものの、一年後には共に働く同期になる。

グループワークで『建築とまちづくり』について話し合う中、『水瀬帝国の王子』というワードが多々出てきて、私は会ったこともない彼に同期としての親しみを勝手に感じていた。

入社式で隣になったインターンシップでは見かけなかった男子に自己紹介をすると、彼こそが『水瀬帝国の王子』だった。

『あー! 噂の水瀬帝国の王子! 蓮って“一蓮托生”の蓮の字? 私の座右の銘なんだ。同期だし正にだね。よろしく!』

色々噂を聞いていたせいで勝手に仲間意識を持っていて、ようやく会えたとテンションの上がってしまった私と違い、初対面で馴れ馴れしく声を掛けられた水瀬はかなり引いていたと思う。

切れ長の大きな目でじっと見つめられたのは、怒っていたのか呆れていたのか。今となってはわからないけど。

『……座右の銘が“一蓮托生”って微妙じゃね?』とツッコまれ、『運命共同体になってみんなで頑張ろうっていう良い言葉じゃん?』と返した私に呆気に取られつつも『変な女』と笑ってくれた。

その笑顔に当時彰人という彼氏がいたにも関わらず見惚れてしまったのは、最早人類である以上致し方ない反射反応だと思う。

どちらかといえばクールな印象を受けるのに、なんだかとても嬉しいことがあったみたいな、子供が見せるみたいな無邪気な笑顔。

初対面で王子と呼ばれるほどのイケメンにそんな表情を見せられたら、誰だって戸惑うし見惚れもする。

後々仲良くなったあとに橋本くんから『初対面のくせに面と向かって水瀬に帝国の王子とか言えんのはお前だけだ』って呆れられたけど、水瀬はあの私の突拍子もない発言のおかげで同期と壁が出来ずに済んだと、いつだったか二人で飲んでいた時に言っていた。

そんな私にとっては思い出すと恥ずかしくなる黒歴史な初対面のあと。

一年目は別々の事務所に勤めていたので、顔を合わせるのは三ヶ月に一度の頻度で開かれていた同期会のみ。

その頃、水瀬が席を外し、電話で彼女と別れ話をしている所に遭遇したことがあった。

聞けば高校の時からだというからかなり長い付き合いらしい。なぜ別れることになったのかは聞かなかった。

二年目からは本社の営業課で一緒になり、同期会以外にも一緒にご飯を食べたり飲みに行く機会があった。

さらに彰人の浮気疑惑や決定的な別れを経て、予定が合えば水曜日に飲みに行くのはもはや定番のようになっていた三年目。

でも、ずっと同期だった。

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