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6.守りたい彼女《Side翔》

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信じがたいが肯定の言葉が返ってきて、どんなリアクションを取るべきなのかわからずに固まる。

「小田部長と。それがどこからか会社にバレたみたいで……」

先日耳にした彼女の噂。

こちらに三週間だけ出張だなんて訳アリだとは思っていたけど、まさか不倫の事実関係を確認する間、相手から引き離されているだなんて思いもしなかった。

手に持った冷たいはずのビールジョッキが温度を失くしていく。

二つ上の彼女は当時新入社員の俺から見たら超人のような仕事ぶりで、大学を卒業したばかりの俺は女性に負けるなんて悔しいと馬鹿げた考えでがむしゃらに仕事をこなした。

見当違いな発言をして上司に睨まれるなんてことも少なくなかった生意気な新人時代。

そのたびにケラケラと笑いながらフォローをしてくれたのが彼女、紅林美樹だった。

俺の教育係をしてくれた彼女はとにかく仕事が好きで一直線。

決して独りよがりでなく、まだ三年目だった彼女は俺の面倒を見ながらも先輩からの教えを素直に受け入れ、メキメキと力を付けていた。

そんな彼女の姿勢に男とか女とかくだらないことに囚われていた自分が恥ずかしくなり、なんとか近付きたくて仕事ぶりを見て学んだ。

共に企画部に異動してからは先輩後輩というよりは仕事仲間とか同志に近い存在で、会社帰りに飲みに行ったり、休日に映画を観に行くくらいには仲良くなった。

お互い好感は持っていたと思う。いつの間にか仕事以外では名前で呼び合うようになった。

ようやく企画部での仕事のなんたるかがわかってきた頃、美樹が関西支社立ち上げのメンバーにと打診されたと聞かされた。
俺は頑張れと彼女を励まし関西へ送り出した。

美樹への想いは憧れだったのか、はたまた恋愛感情だったのか。過去に付き合ってきた何人かの恋人と呼ばれる彼女たちよりは、遥かに近しく感じていた。

ただ、男と女の関係には一度たりともならなかった。

当時の俺がどう感じていたのかはもう覚えてもいないが、企画部で二年という日々を過ごしながら一度もそういうことにならなかったというのは、やはり恋愛というよりは親愛の情を感じていただけだったように思う。

ただ教育係をしてくれていた頃から今も、仕事への姿勢や人として尊敬していることは確かだ。

そんな彼女が……不倫。

五年ぶりに会ったということを差し引いても、彼女と結びつく単語ではなかった。

「なんで。奥さんいること知ってただろ」

無言の彼女は後ろめたそうな顔をして俯いた。

「美樹」
「……似てたから。翔に」

最初の一口飲んでからそのままになっているレモンサワーのグラスはすでに汗をかいている。

美樹が三週間泊まるビジネスホテルから徒歩三分にある居酒屋の個室。俯いたままぽつりと零す声は、俺が知っている溌剌とした美樹のものとは違い戸惑う。

「ずっと翔が好きだった。自分で希望して転勤したのに、翔のこと忘れられなくて。当時課長だった小田さん、仕事も出来て、人望もあって一生懸命で翔みたいだなって。一度誘われたら、もう止められなかった……」

美樹はそう言いながらも俺を見ることはなく、華奢な手首にはめられた腕時計にしきりに触れていた。

それを見て、もう俺へ気持ちは全く残っておらず、四十二歳という若さで関西支社の企画部長を務めている小田さんの腕には対の時計がはまっているのだろうと勝手に思った。

何をどう言ったらいいのかわからず、ただ黙って美樹の話を聞くことしか出来ない。

「でも今は本当にあの人が好きなの」
「美樹」
「一年くらい前から離婚について話し合ってるとは聞いてるの。どうなるかは……わからないけど」

そのまま沈黙が続き、手に持っていたビールを半分以上一気に流し込む。

目の前の彼女は涙こそ流していないが、ボロボロに傷付いているように見えた。

「ごめんね、久しぶりの飲みでこんな話」
「いや」
「でもちょっとスッキリした。明日も仕事だしちゃっちゃと食べて帰ろう。こんなの社の女の子に見られたらまた噂が広がるわ」
「あぁ。なんだろうな、うちの女子社員のえげつない噂話」

それでも前を向いて明るく振る舞う美樹の言葉で、先日出くわした不快な現場を思い出した。

給湯室で聞いた蜂谷を貶める暴言。

彼女はそれを平然とした態度で受け流し、慣れていると言っていた。

蜂谷を認識した二年前からずっと感じていた、男に対する警戒心。

頑なに一線を引いて笑顔を見せないでいたのは、やはり周りの女達からのやっかみのせいなのだと先日の一件で確信した。

あの容姿だ。きっと昔から少し男と話すだけでも色々心無い言葉を言われてきたのだろう。

職場で男絡みで身に覚えのない中傷を受けないため、彼女は女性から人気のあるいわゆる『イケメン』を遠ざけてきたのだ。

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