上 下
25 / 35
悲鳴をあげる心

しおりを挟む

そしてまた、シルヴィアもこれ以上ないほど素敵な女性だった。

公爵家の姫であるにも関わらず、6歳で路頭に迷っていたリサを拾い、引き取って一緒に暮らせるように父親である公爵に頼んでくれた。

以来居心地が悪くならないようにと仕事をさせてくれたのも、シルヴィアの配慮だったとリサは分かっていた。

レスピナードでは黒髪の人間は珍しい。きっとどこかの異民族の血が混じっているであろう自分を側に置くことで、シルヴィアが周囲の人間からどう思われるのかが不安だった。

城の使用人らは愛らしく懸命に働くリサを皆が好いていたが、他の者がそうとは限らない。

それで花婿候補が来る前に出ていこうとしたリサを、シルヴィアはなおも引き止めてくれた。

こんなに素敵な女性は世界中探してもいないに違いないし、互いのことを知り合えば惹かれ合わないわけがない。
まさにおとぎ話のお姫様と王子様でお似合いの2人。

頭では本当にそう思っているのに、心が大きな悲鳴を上げる。ローランの前だというのに、一旦涙が滲み出すとぽろぽろと止まらなくなってしまった。

昨夜一生分の涙を流しきったと思っていたのに、多少なりとも食事をしたせいで涙が生成されてしまったようだ。

リサの急な涙を見て、ローランも驚いたように目を見張っている。困ったように眉尻を下げて、涙で濡れた頬に手を伸ばしてきた。

「申し訳ない。泣かせるつもりは」
「いえ、すみません」

シルヴィアの恰好でこれは大失態だ。これではこの婚姻を嫌がっている風に見えてしまうのではないかとリサが慌てて涙を拭っていると。

「何をしている」

初めて出会った日の馬車で見た険しい顔以上に不機嫌そうな表情のジルベールが、リサの涙を見るや否や、彼女に伸ばされたローランの手を睨みつける。

「なにがあった」

抑揚のない低い声はジルベールの抑えきれない苛立ちを如実に示している。リサは思わず身体を竦ませるが、ローランは全く気にもとめない様子でリサに笑いかけた。

「先程の答えは、いずれまた聞かせてください」
「え、あの……」
「では、僕はこれで」

ローランは従者にしては慇懃無礼とも取れるほど恭しくリサとジルベールにお辞儀をしてみせると、その穏やかな微笑みを絶やすことなくその場を去って行った。

ローランの問いに答えられずに涙してしまい気まずくはあったものの、ここで彼が立ち去りジルベールと2人にされてしまう方がもっと困ってしまう。

リサは焦って自分もこの場を立ち去ろうとしたが、その行動を読んでいたであろうジルベールに簡単に阻まれてしまう。

「何があった?」

先程ローランに向けた同じ言葉が、幾分優しげな声音でリサに届けられる。しかしリサはその問いに答えない。

何があったわけでもない。ただローランにシルヴィアとしてジルベールをどう思うかと聞かれただけ。それに対し何も言えず、ただジルベールを想って泣いてしまっただけ。

そんなこと、目の前の彼に言えるはずがなかった。

「……なにも」
「リサ」

ゆっくりと近付いてくるジルベール。リサは俯いたままその場を動くことが出来なかった。

昨夜は闇が味方してくれたが、太陽が真上にある明るい状態で踵を返し走り出したところで、ものの数秒で捕まってしまうことは火を見るよりも明らかだった。

それに今自分はシルヴィアのドレスを身に纏っている。いくら城のみんなもジルベールも入れ替わりをわかっているとはいえ、ローランをはじめラヴァンディエからやってきた騎士達は自分をシルヴィアだと思っているのだ。粗相は出来ない。

どうやってこの場を切り抜けようかと寝不足の頭で考えていると、あっという間に目の前まで来たジルベールが人差し指の背でリサの目元を撫でる。

「……赤い」

たったそれだけの仕草で、リサの全身がジルベールに向かって抱きつきたいと訴えてくる。
それを理性で必死に抑え込み、唇を噛み締めてただ立ち尽くすしか出来ない。

「ジル……」
「俺は君を逃さない。絶対に」

意味もなく名前を呼べば、目元に触れていた指先が耳を包み込むように広げられる。その時。

「リサー! ここにいたのね!」
「あっ……」

バラ園に足を踏み入れてきたのは、メイド服姿のシルヴィア。

2人が一緒にいるところを間近で見るのは想像以上に辛く直視出来ない。

しかしそれ以上に彼女がドレス姿の自分をジルベールの前で『リサ』と呼んでしまったことに焦るが、シルヴィアは何事もなかったかのようにジルベールに膝を折る。

「ジルベール様、彼女を一旦お返し願えますか」
「……あぁ」
「ふふ、では後ほど。リサ、行くわよ」

何がなんだかわからないままシルヴィアについて行く。彼女はジルベールが入れ替わりに気付いていると知っていたのだろうか。

自分が知らない所で、シルヴィアとジルベールが秘密を共有していた。そう考えると、大恩あるシルヴィア相手に嫉妬の炎が燻りだす。

リサは慌てて自分の思考を振り払う。何を考えているのだろう。ジルベールが早々に入れ替わりに気付いてしまったことを黙っていたのは自分だ。

シルヴィアがそれを知ったことをリサに黙っていたからといって、シルヴィアを妬むなど言語道断。ブンブンと頭を左右に振っているリサを見て、シルヴィアが怪訝な顔をしていた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

失踪バケーション

石田空
恋愛
高校で講師をしている遙佳深月は、日々の業務に疲れ果てて「私がなりたかったのってこういう大人だったっけ?」と思い悩んでいると、「あなたの人生は間違いなく変わる」と占い師に言われ、お守りをもらう。 半信半疑でそのお守りを持って帰った次の日、見知らぬ家で寝て、見知らぬ男性と同居していた。 突然自分はアパレルで働く「綾瀬陽葵」と名乗る女性で、彼氏の岸雄真と同居している生活に送られてしまい、混乱の果てにどうにか元の体の深月に連絡を取ろうとするが、何故か深月の体を持った陽葵に失踪されてしまう。 「もういっそ、たまの休みを取ったと思えばいいんじゃない?」 真に付き合ってもらい、元の体を目指して追いかけっこをすることとなってしまう。 深月は元の体に戻れるのか、そもそも陽葵はどうして失踪したのか。おかしな関係になってしまった真との関係は……?

異世界で王城生活~陛下の隣で~

恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。  グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます! ※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。 ※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

魔剣士と光の魔女(完結)

わたなべ ゆたか
ファンタジー
異世界に転成した内藤迅ーージン・ナイトは同じく転生者で、魔術師ギルドの魔女であるステフ・アーカムと一緒に、ダンジョンの最奥にある玄室で暮らしていた。 世界を闇に閉ざすとされた予言に書かれた子として、異世界に転生した二人。互いに一定の好意はあるものの、恋愛方面の進展は、まったくなかった。 おさんどん(飯炊き)として日々を過ごしていたジン。そんなある日、魔術師ギルドの案内人から、ジンに魔術師ギルドの入門試験を受けさせよ、という通達が届いた。 二人は仕方なく、修行を開始させるが。。。という、お話です。 色々あって、供養もかねての投稿です。 少しでも楽しんで頂けたら幸いです

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

クラスでカースト最上位のお嬢様が突然僕の妹になってお兄様と呼ばれた。

新名天生
恋愛
クラスカースト最下位、存在自体録に認識されていない少年真、彼はクラス最上位、学園のアイドル、薬師丸 泉に恋をする。  身分の差、その恋を胸に秘め高校生活を過ごしていた真。  ある日真は父の再婚話しを聞かされる、物心付く前に母が死んで十年あまり、その間父一人で育てられた真は父の再婚を喜んだ。  そして初めて会う新しく出来る家族、そこに現れたのは……  兄が欲しくて欲しくて堪らなかった超ブラコンの義妹、好きで好きで堪らないクラスメイトが義理の妹になってしまった兄の物語 『妹に突然告白されたんだが妹と付き合ってどうするんだ』等、妹物しか書けない自称妹作家(笑)がまた性懲りも無く新作出しました。 『クラスでカースト最上位のお嬢様が突然僕の妹になってお兄様と呼ばれた』  二人は本当の兄妹に家族になるのか、それとも…… (なろう、カクヨムで連載中)

婚約破棄された地味姫令嬢は獣人騎士団のブラッシング係に任命される

安眠にどね
恋愛
 社交界で『地味姫』と嘲笑されている主人公、オルテシア・ケルンベルマは、ある日婚約破棄をされたことによって前世の記憶を取り戻す。  婚約破棄をされた直後、王城内で一匹の虎に出会う。婚約破棄と前世の記憶と取り戻すという二つのショックで呆然としていたオルテシアは、虎の求めるままブラッシングをしていた。その虎は、実は獣人が獣の姿になった状態だったのだ。虎の獣人であるアルディ・ザルミールに気に入られて、オルテシアは獣人が多く所属する第二騎士団のブラッシング係として働くことになり――!? 【第16回恋愛小説大賞 奨励賞受賞。ありがとうございました!】  

処理中です...