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大好きな絵本の世界
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しおりを挟む「……あそこに倒れていたのはそれが狙いか?」
急に目の前に座るジルベールの声が低くなった。どういう意味か分からずに首を傾げる。
「今日の夜までに王子が城へ向かってくると知って待ち伏せていたのか」
どうしよう。梨沙は自分が見ている夢なのに、登場人物が何を言っているのか意味がわからず戸惑ってしまう。
「それだけ愛らしければ主人の花婿候補に見初められると踏んだのか。あそこで倒れておいて、助けてもらい顔を売る気だったか?」
「……花婿?」
「そうなれば、君は一体なにを望む」
突拍子もない梨沙の夢は展開も早いらしい。それになぜか急に言葉に棘を感じる。それでも精一杯会話についていこうと、じっと目の前の男の言葉に耳を傾ける。
「側室にでもなれば欲しいものは何だって手に入るだろう」
「そっ、側室?!」
思わず素っ頓狂な声を上げた。聞き慣れない単語ではあるが、意味は知っている。
一夫多妻制の夫婦関係において、正妻以外の女性のことだ。つまり、お妾。
何の話の展開でそんな単語が出たのか未だに理解は出来ていないが、側室になりたいのかと聞かれればハッキリと否定したい。
それでも元来自分の意見を口にするのが苦手な梨沙は、ぶんぶんと首を横に振るだけしか出来ない。
そんな彼女の態度をどう受け取ったのか、ジルベールの眉間に深く皺が寄った。
「正妃じゃないと不満とでも?」
そうじゃない。そういうことではなくて……。
梨沙は自分の口下手をもどかしく感じながら必死に言葉を紡いだ。
「私が望むのは、私だけの家族です」
正妃とか、側室とか。いくら夢の中だって一夫多妻制だなんて冗談じゃない。
梨沙は憤慨する気持ちを押さえてゆっくりと否定した。
「家族? 金や地位は?」
目の前の男の顔に『信じ難い』と正直に書いてあるようで苦笑する。
夢の中でくらい、しっかりと自己主張してみよう。ここで練習したところで、現実で役立つかどうかは置いておいて。
梨沙はそう自分を奮い立たせ、なんとか心の中で思っていることをゆっくりと丁寧に言葉に乗せいていく。
「それは……お金はあるに越したことはありませんが、たくさんはいりません」
施設で育った梨沙が唯一覚えている母の顔は、寂しそうな笑顔だった。
未婚で梨沙を産んだ母は、きっと一人で大変な思いをしただろう。お金がたくさんあったらもう少し長生き出来たのかもしれない。
それでも、きっとお金よりも支えてくれる家族が欲しかったんじゃないかと思うのは、あの寂しそうな笑顔が頭から離れないから。
「毎日平和で健康で、お互いだけを愛し合っている人が側にいる。私だけの家族。私はお金より、そっちのほうが大切に思えます」
寝る前に絵本を読んだせいか、そんな理想を語ってしまっていた。
ジルベールが驚いたように目を見開いているのを見て、梨沙は急に我に返って恥ずかしくなった。
(夢の中とはいえ、初対面の男の人に何の話をしているんだろう)
ひとり頭を抱えたくなるが、でもそれは急に彼が側室とか正妃だとかよくわからないことを言い出すからだと頭の中でジルベールに責任転嫁をしつつ、今度は梨沙から彼に質問をすることにした。
「じゃあ、あの……あなたは?」
「え?」
「これから城へ芝居をしに行くのでしょう?」
城というのがよくわからないが、さっきから王子や側室という単語が飛び交っているくらいだ。きっと王様だっているのだろうと梨沙は思った。
「芝居をして、王様に気に入られて『褒美をとらせよう』みたいなことになったら…。あなたは何を望むんですか?」
――――――君が欲しい。
ジルベールが思わず零した呟きは、馬車のガタガタと揺れる大きな音で掻き消され梨沙には届かなかった。
(何を言っているんだ、俺は)
その直後すぐに表情を圧し殺し口元を押さえたが、自分でも思っても見なかった感情に胸の奥が支配され、戸惑いが徐々に膨らんでいく。
女性に対し苦手意識を持っているジルベールは、今目の前にいる梨沙のような考え方をする女がいるとは思わず、強く興味を引かれた。
愛らしい顔立ちで強かに計画を練り、あの場で王子が乗る馬車が来るのを今か今かと待っていたのだと思っていた。メイドという立場でありながら、仕えるべき主人の花婿に取り入ろうとしているのだと思った。女性とは可憐さの裏側にそうした狡猾な思考を巡らせているものだと。
しかし彼女は、金よりも身分よりも家族が大事だと言った。互いだけを愛し合う存在、自分だけの家族を何よりも望むと。
そんな女性ならば、自分も愛せるのではないか。ジルベールは首の下の心臓がドクドクと大きく鼓動を早めていくのを深い呼吸をもって収めなくてはならなかった。
ジルベールの心の内に気が付かない梨沙が聞き返そうと口を開きかけた時、がたんと馬車が一際大きく揺れ、一瞬宙に浮いた身体が前のめりに投げ出されてしまう。
「……っ!」
咄嗟に支えてくれたジルベールの胸に倒れ、目の前には王子の衣装である真っ赤な軍服。その色が移ったように、梨沙の顔も赤く染まっていく。
「すっ、すみません」
腕を伸ばして距離を取ろうとしたものの、思いの外力強く抱き止めてくれているのか、その胸の中から出られずに困惑してしまう。
膝と膝がぶつかったまま抱き締められているような格好に居たたまれない。
距離が近すぎるせいで、目が覚めた時に感じた柑橘系の香りがより一層強く感じられた。
「あ、あの?」
「……悪い」
「いえ、あ、ありがとうございます」
もぞもぞと居住まいを正そうと動くと、梨沙を抱き止めていたジルベールの身体がハッとしたように小さく動き、それからそっと押し出すように距離が離れた。
密着していたのが恥ずかしくて顔を上げられない。
梨沙はジルベールのようなイケメンどころか、普通の男子とも付き合ったことがない。
クラスの友達はもう彼氏がいたり、バイト先の大学生に片思いをしていたりと、女子高生らしく恋愛を楽しんでいたが、梨沙はなかなか周りのように恋を謳歌出来ないでいた。
そのせいか、ちょっと身体を抱き止めてもらっただけの接触でこんなにも動揺してしまう。
意識しすぎなのがバレたら恥ずかしいのに、すでに真っ赤になってしまっている顔を見られるのも困るので俯いているしか出来ない。
そのまま無言でガタガタと馬車に揺られること15分ほど。
梨沙は俯いてメイド服のエプロンのフリルだけをじっと見つめていたせいで、ジルベールがじっと梨沙を見つめていたことも、彼の隣に座る穏やかそうなイケメンがニコニコと可笑しそうに笑っていたことも、全く気が付かなかった。
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