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大好きな絵本の世界
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しおりを挟む「梨沙ちゃんもついに独り立ちかぁ。寂しくなるわね」
この場所を去ると決めたと報告した時、施設のリビングで温かいお茶を飲みながら、岩田がしみじみ言っていたのを思い出す。
「あなたは聞き分けが良くて育てやすい子だったけど、我慢しすぎていないかよく心配になったものだわ。最近じゃ子供たちの面倒まで見てくれて」
「ここ3年くらいで、小学校前の子結構増えたから」
「決して歓迎していい事情じゃないけど賑やかになったわね。みんな梨沙ちゃんに懐いちゃって」
元々細い目をさらに細めてこちらを見る岩田は、まるで本当の母親のように慈愛に満ちている。
「自分の分のおやつあげたり、この前は夜中のトイレにも起きて一緒に行ってくれたんだって?」
「あはは、美佐ちゃん1人じゃ行けないって泣いちゃって」
「私達じゃなく梨沙ちゃんの所に行っちゃうんだから。あなたはいつでもいい母親になれるわね」
両親がいなくても、自分だけの家族がいなくても、決して自分は不幸ではない。
梨沙が本気でそう思えるのは愛情を持って育ててくれた彼女たちがいたおかげだった。
「岩田さん、ありがとう。お世話になりました」
「やだ、まだあと2ヶ月はあるでしょ!それまではうちで最年長者として助けてもらうわよ!年末の大掃除、結局終わってないのよ」
娘を嫁に出す気分だわとおちゃらけて笑う岩田の瞳にうっすらと涙が浮かんでいたのを見て、梨沙は幸せな気持ちになりながら「もちろん!」と笑顔で返した。
そんな会話をした今年の正月を思い出し、部屋でひとり感傷に浸る。
手に持ったメイド服は、週に3度程袖を通していた。
『メイドカフェ・レスピナード』は、オタクの聖地と呼ばれる駅前にある比較的新しいメイド喫茶。
はじめは時給につられとんでもないバイトを選んでしまったと後悔の連続だった。
着慣れない恥ずかしい制服、言い慣れない恥ずかしいセリフ。メニューの名前ひとつとっても異次元で、注文を取るだけでも顔が真っ赤になり心臓がバクバクした。
『お待たせしました、ご主人さま。ご注文の“萌え萌えくまたんおむらいちゅ”でございます』
今ではこんな料理の提供も笑顔を引きつらせることなく出来るようになったし、最初は悲惨だったケチャップで顔や文字を描く技術もかなり向上した。
人間慣れれば意外になんでも出来るものだと自分に笑ってしまう。
「メイド服も着納めかぁ」
あんなに着るのが恥ずかしかったメイド服も、もう2度と着ないと思うと少しさみしく感じる。
クリーニングに出してしまう前にもう1度だけ、と自室で着替えて鏡の前に立った。後ろ手でエプロンドレスのリボンをきゅっと結ぶ。
身長が153センチと平均より少し小さい梨沙は、くるぶしがすっぽり隠れるので他のメイドよりもスカート丈が長く感じる。
膝上の超ミニスカートにニーハイなんていう制服の店もあるが、とてもじゃないけど着られないと数ある時給の良いメイド喫茶の中から『レスピナード』を選んだ。
アイドルのようなフリフリの創作メイド服ではなく、中世ヨーロッパ時代の映画に出てきそうな比較的落ち着いた制服。
くるりと回るとサーキュラースカートがふわりと広がり、フリルのついたエプロンドレスが揺れる。
頭には白地に黒いリボンのあしらわれたホワイトブリムと呼ばれるヘッドドレス。
「うん、可愛いけど……2度と着ることはないなぁ」
写真でも撮っておこうかとスマホを目で探すと、ふと口の開いたダンボールの中に入っている絵本に視線を奪われた。
『私だけの王子様』
表紙にはブロンド髪にピンクのドレスを着た美しいお姫様。胸の前できゅっと両手を握ってキラキラした瞳で空を見上げ、まだ見ぬ王子様に想いを馳せている。
梨沙は子供の頃からこの絵本が大好きだった。
昔フランスの劇作家が描いた珠玉のラブコメ戯曲を基にした絵本で、梨沙がここに預けられた時に持っていたもの。
当時3歳だった梨沙のお気に入りだったのか、彼女の母親の趣味だったのかは今となってはわからない。
それでも梨沙にとってお姫様は、シンデレラでも白雪姫でもなく、この『私だけの王子様』のヒロイン、シルヴィア姫だった。
姫の花婿候補である王子が城を訪れるところから物語は始まる。
王子の人となりを探るため侍女と入れ替わって観察しようと思ったものの、姫が見初めたのは王子の従者だった。
身分違いの恋と思い悩みながらも、シルヴィア姫は従者に『たとえ使用人だとしても、あなたは私にとってたったひとりの王子様です』と想いを打ち明ける。
結局王子様も従者と入れ替わっていたことが分かって、身分の差もなくハッピーエンド。
よくある意地悪な継母や怖い魔女の出てこないこの絵本が今も大好きで、たまに読み返しては空想に浸ってしまう。
(もしも私にも自分だけの王子様が現れたとしたら……)
子供じゃあるまいし、本当に白馬に乗った王子様が迎えに来るなんて信じているわけではない。
しかし梨沙は『私だけの』という部分にどうしても惹かれてしまう。
施設のみんなは家族みたいなもの。もちろんそれは本心だが、自分だけの家族ではない。
もう両親に会うことは叶わなくても、これから先『私だけの家族』をつくることは出来る。
読み込みすぎて端が擦れてしまっている絵本を手に取り、ゆっくりと表紙をめくる。
シルヴィア姫がリサという偶然にも梨沙と同じ名前の侍女と入れ替わり、メイド姿で王子扮する従者に愛を打ち明けるページを開いた。
お気に入りのシーンで何度も読んだから、絵本には開き癖がついてしまっている。
次のページは姫のドレスを着た侍女と、王子の格好をした従者が愛を語っているシーン。互いに自分は召使いだということを黙っていて、相手は高貴な身分だと信じている2人。
例え身分が違えども気持ちは変わらないと強く想い合う彼らもまた、シルヴィア姫と王子が真実を打ち明けたおかげで、何の障害もなく結ばれることが出来た。
姫と王子。侍女と従者。それぞれ正しい相手に惹かれていた。
姫と王子の入れ替わりという嘘から始まったドタバタ劇は、誰も不幸になることなくみんながハッピーエンド。
読み終わったあとの幸福感に、梨沙は何度助けられて来ただろうと絵本をぎゅっと抱きしめる。
寂しくて眠れない夜も、嫌なことがあって泣きたい時も、いつもこの絵本を読んで幸せを与えてもらった。
ぼんやりとしか思い出せない母の形見だと思えば、なお大切に感じた。
何度読んでも幸せな気持ちになれる絵本を胸に抱き、梨沙はいつの間にかうとうと眠りに落ちた。
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