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8章
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しおりを挟む森の中を突っ切って向かった邸内は、やはり静かで人気がなかった。
正面の門扉に鍵がかかっていなかったところを見ると、こちらの突入に対しての警戒は酷く薄いように思える。
がっつり迎撃に出た二人の本意はともかく、これ以上の大事は避けたいというリューイの言葉は嘘ではなかったようだ。
照明に照らされたエントランスは、外の衝突など嘘のように停滞した空気が漂っていた。
長く離れていたとは言え、ユーグレイにとっては幼少期を過ごした「家」である。
迷いなく階段を上がった彼は、さっさと二階の一室に向かった。
ノックもしないのは若干どうかとも思ったが。
それどころではないのは実際アトリの方だから、大人しくユーグレイの後に続いた。
執務室兼私室といったところか。
光沢のある紅のカーテンは閉め切られたまま。
部屋の中央、布製のソファにその人は座っていた。
傍には黒いスーツ姿の老年男性が控えている。
驚いたように目を見開いた彼は、それでも主人より先に口を開くことはしなかった。
「…………カンディードより、依頼を受けて来た」
ユーグレイは部屋の入り口で立ち止まったまま、中へと踏み込もうとはしなかった。
リューイは退くと言った。
カレンたちも、もうカグとニールに押し切られただろう。
これで依頼は完了だ。
それでもユーグレイの温度のない声には安堵の欠片もない。
ソファに座っていたその人はゆっくりと立ち上がると、傍の使用人に下がるよう目配せをした。
淡い金髪に碧眼。
軍服ではないだろうが、金釦の堅苦しそうな服を身に纏っている。
外見は、「王様」と形容するのが相応しい気はした。
やはり血の繋がりを感じる容姿をしているが刻まれた眉間の皺は深く、この人が微笑む様はいまいち想像がつかない。
「ユーグレイ」
「……………」
「随分と無駄なことに労力を費やしていたようだな。気は済んだか」
ユーグレイがここにいることに、驚いている様子はなかった。
来て当然だと確信していた節さえある。
いや、多分。
この人は何もかも承知の上で、ここに「軟禁」されていたのだろう。
最後に、自身の前に息子が立つとわかっていた。
ユーグレイも恐らく気付いたに違いない。
無駄なことと断じられた瞬間、その肩が微かに揺れる。
アトリは一歩踏み出すと同時に、相棒の腕を軽く叩いた。
「親父さん? ちょっと似てるけど、中身は全然だな」
まあ圧が強いとこは遺伝かと笑うと、ユーグレイは一瞬呆気に取られたような表情をしてそれから苦笑した。
冷ややかな視線を無視して、アトリは相棒より前に出る。
向き合った彼の父は、やはり大きく感じた。
「居座ってた二人組は仲間が対応してる。もう、ここには戻っては来ない。これで依頼は完了ってことで構わないだろ? ご当主様」
「無論、問題はない。謝礼であれば後ほど組織に届けさせよう。それとも、ここで受け取りたいのか?」
謝礼の催促などしたつもりはないが、どうやらそういう人間だと思われたらしい。
アトリはくらくらする頭を振って、目眩を誤魔化すように額を押さえた。
「別に、んなことどーでも良いんだけど。やること終わって、そちらが『何も言うことない』なら帰りたいって言ってんの」
ユーグレイは何も言わない。
口を出すつもりは、なかった。
身内の話だ。
彼の気の済むように話が出来ればそれで良いと、そう思っていたのに。
泣いて謝罪をしろとは言わない。
それでも「よく戻って来た」の一言さえないのか。
そんなのは、あまりに。
「君、教育は受けているのか? 組織の程度が知れるな。立場の違う相手に対する言動には、注意をしろ」
眉を顰めた当主に、恐らくは悪意などないだろう。
今更戻って来たのかと罵倒はしないのだから、この人なりに我が子に対する愛情はあるのかもしれない。
まあ、だから何だという話だ。
アトリは静かに笑って、肩を竦める。
「喧嘩を売りたい相手には相応の態度を取れって教わったんだけどな。わかりにくかったんなら大変申し訳ない」
あれ、何でこんなにこの人を煽っているのだろう。
常より冷静になれないのは、既に思考能力が落ちているからだろうか。
不意にユーグレイがアトリの手を掴んで、魔力を流してくれる。
「アトリ、もう良い」
何も良くはない。
何より誰より、報われて欲しいのだから。
無駄なことなんて言わせたままでは、いられない。
「無駄じゃない。何一つ無駄じゃなかったって、俺は証明出来る」
きっとユーグレイは平気な顔をして、父親の言葉を受け入れるのだろうけれど。
それでも痛くないはずがない。
そうか、と彼は笑った。
虚勢ではなく、単純に嬉しそうに笑う。
「それなら、良い。僕は、それだけで十分だ」
ユーグレイは噛み締めるようにそう言った。
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