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8章
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しおりを挟む電信局を出て、彼に促されるまま街の大通りを歩く。
どこか目的地があるという訳ではなく、気まぐれな散歩に近いだろうか。
それも「どこかに留まって話をするよりは安全だから」と言われれば、文句のつけようがない。
実際一度拘束されたカグたちを助けたのは調査員を名乗る彼だ。
ユーグレイの兄であると言うことを隠してさえなければ、アトリとて彼を疑ったりはしなかっただろう。
「あ? じゃあ何だ、今は邸にアイツらしかいねーっての?」
「そう。だから根回ししてたって言っただろう? 邸にはフレンシッドの当主がいるけど、君たちが二手に分かれて急襲と救出を同時進行出来るのなら問題はないかな」
カンディードへの連絡方法より先に彼が提案したのは、意外にも根本的な解決策だった。
それなりの組織だという話だったのに、戦力としてはカレンとナインが邸に残っているくらいで他は心配しなくて良いと言うのはなかなか都合が良すぎる。
カグは別段不審に感じた様子もなく頷いた。
まあ、カグであればそういう解決策は大歓迎だろう。
「動くなら早い方が良い。出来れば、今夜かな。直接の手助けは出来ないけれど、また上手いこと援護はするから安心してくれて良いよ」
どうやらそういう方針にまとまりそうだ。
並んで歩くカグたちの一歩後ろを、アトリは黙ったまま着いて行く。
いや、そもそも彼が完全に敵であるのならばカグもニールも無事ではなかっただろうし、逃げ込んだ先を襲われて終わりだっただろう。
わざわざ邸への突入を進言する必要はない。
では何故自身がフレンシッド家の長子だと言わないのか。
まさか本当に調査員をやっている?
事情があって身分は明かしたくないだけ?
そんなことが、あるだろうか。
「………………」
結局考えたところで情報が少なすぎる。
彼をユーグレイのところまで連れて行けば、はっきりすることもあるだろうが。
「ーーじゃ、この辺で」
大通りを抜け、いつの間にか静かな住宅地区に入っていた。
雨の跡が残る石畳。
十字路の一角、ベンチが置かれた小さな広場で彼は立ち止まった。
街路樹が落とす影で、付近には一際冷たい空気が漂っている。
緩やかに続く坂を道なりに下って行けば旧市街らしい。
どうしようか。
「おい、ぼーっとしてんじゃねーよ。行くぞ」
早々に歩き出そうとするカグの手に軽く触れる。
引きずり出した魔力を眼に回して、アトリはその人を視た。
完全に丸腰だ。
凶暴なメイドがこっそり後をつけているなんてこともない。
怪訝そうな顔をしたカグは、今の魔術行使に気が付かなかったようだ。
アトリは何でもないと首を振る。
「ちょっと、先戻っててくれると」
「はぁ?」
「このおにーさんに、訊いときたいことがあって」
最善の選択ではない。
カグにはここにいてもらうべきだろう。
でも。
「内緒話のお誘いか? もちろん、いいとも」
意外にも彼は渋ることなくアトリに歩み寄った。
一応心配してくれているらしいカグに、この辺りならそう危なくはないと請け負う。
事実周囲に人気はなく、危険を感じるような気配もない。
カグは一瞬判断に悩んだようだったが、結局軽く肩を竦めた。
二人してとっ捕まるようなバカはやめとけよ、と軽口を叩いたカグはアトリを置いて歩き出す。
その背を見送ってから、彼はすぐ傍らのベンチに腰を下ろした。
「それで、何を訊きたいのかな?」
暗い海の色の瞳に、やはり敵意は見出せなかった。
ただユーグレイの方が余程思考が読みやすい。
この人は、一体何を考えているのか。
「何って、貴方の目的を訊きたい。リューイ・フレンシッド」
アトリはリューイを見下ろして、率直にそう問う。
彼は流石に目を丸くして、それから不思議そうに首を傾げた。
「どこかで会ったことがあったかなぁ?」
「……会ったことあってもわかんないだろ、こんな格好してたら」
そりゃあそうか、とリューイは楽しげに笑う。
否定はしないのか。
彼は抵抗の意がないことを示すように両手を軽く開いた。
「そう警戒しなくても。そもそも君たちと敵対する気はなかったんだ。不可抗力ってやつさ」
「敵対する気はなかった、か。じゃ、カレンを雇った『若旦那』ってのは貴方なんだな」
「おっと、もうちょっと誤魔化しておくべきだった」
リューイは緊張感のない様子で苦笑する。
頭上でさらさらと枯葉が擦れる音がした。
アトリは冷たい空気を吸い込んで彼を睨む。
つまり素養持ちが徒党を組んで、という話はリューイが原因ということになる。
「別に悪いことを企んでいる訳じゃない。君たちカンディードとは別の方法で、世のため人のためになることをしようと思っているだけなんだけどな」
「…………へぇ」
「君、もう少し驚くところだろう。正体を見破られた黒幕が目的を明かそうという時に、そういう反応は困るよ」
するりと脚を組んだ彼は、言葉とは裏腹に全く困っているようには見えない。
アトリは首を振る。
頬にかかる偽物の髪が鬱陶しかった。
「いや、何でこんなことになってんのか知らないけど、貴方が力を求める事情はわからなくもないし、俺たちを信用出来ないのも仕方ない」
リューイ・フレンシッドが人魚を討つ能力を求めることは、当然だろうと思えた。
彼の婚約者は、人魚に攫われて海に消えている。
防壁を人魚が越えたのだとしたら、それは当時のカンディードの失態に他ならない。
到底組織に良い印象は抱いていないだろう。
アトリは重く息を吐いた。
皇国の研究院は0地点の破壊を視野に入れたプロジェクトとやらを計画していたはずだ。
その一環として勧誘を受けた彼が動いても、何ら不思議はない。
ユーグレイがカンディードにいることを知った今だから、か。
当主である彼の父がわざわざこちらに依頼を寄越したことを考えれば、親子の間に意見の相違はありそうだが。
「驚いたな」
不意にベンチから腰を上げたリューイは、帽子を押さえるようにして俯いた。
小刻みに震える肩。
笑っているのか。
何が、とアトリは聞き返す。
彼はゆっくりと顔を上げた。
「話したのか。ユーグレイは、君に、あの日のことを」
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