Arrive 0

黒文鳥

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7章

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 街の中心を見下ろす丘陵地に、その邸はあった。
 付近一帯は深い森が広がっているが、管理はされているようでどことなく整然としている。
 何代か前の皇妃がこの森を随分とお気に召して、自身の庭園から花木を譲ったとか何とか。
 かつては一般の観光客も入れたと言うが数年前から立ち入りが禁じられているそうだ。
 とはいえ別段柵などで封鎖されている訳でもなく、葉を落とした木々の合間邸に向かって広い石畳の道が続いていた。
 その道を外れるとうっかり遭難しそうだ。
 
「……ここは、あまり変わらないな」

 足取りに重さはないが、どこか覇気のない口調でユーグレイが呟く。
 石畳に落ちた葉を音を立てて踏みながら、アトリは相棒の横顔を窺った。
 枯れ色の森に目を向けるユーグレイは、懐かしそうに瞳を細める。
 来訪者を警戒するように微かに甲高い鳴き声が響き渡った。
 意外に近いが、声の主の姿は見当たらない。
 少なくともアトリの故郷では聞いたことがない声だ。
 鳥だろうか。

「何かいる?」

「大型の獣はいないが、かなりの種類の野生動物がいる。向こうも人間が気になるんだろう。近くまで来ることもあるが、こちらが近付くと逃げて行く。心配しなくても良い」

 ユーグレイは何故か少し可笑しそうに笑う。
 アトリは肩を竦めた。

「いや、別に怖い訳じゃねぇけど」

「そうか?」

「何で疑問形なんだよ、お前は」

 ユーグレイの腕を軽く叩く。
 そういうことにしておこう、と返って来た言葉はいつもと変わらない調子に聞こえる。
 けれど道の先に白い邸が見えて来ると、ユーグレイは流石に足を止めた。
 建物は古い石造りで正面の門扉の上部には大きな窓が見える。
 森に囲まれているせいだろうか。
 人の気配が薄く少し寂しい雰囲気がした。
 ここで、ユーグレイは育ったのか。
 
「話聞くだけだし、俺一人で行って来ようか?」

 ユーグレイが家族に対してどのような感情を抱いているのか、正確にはわからない。
 ただ積極的に帰りたい訳ではないことは確かだ。
 それなら、そうと言ってくれれば良い。
 ユーグレイが何てことのない顔で苦痛を飲み込む必要はないし、そういう無理はさせたくなかった。
 
「……問題ない。僕のせいで話が拗れる可能性はあるだろうが、そもそも依頼を出したのはあちらだ。大事にはならないだろう」

 ユーグレイは静かに首を振る。
 別に甘えてくれても構わないのに、彼は自身が傷付くことを厭わない。
 まあ、いざとなったら引きずってでも彼を連れて帰れば良いか。
 アトリは歩き出したユーグレイに続いて閉ざされた扉の前に立った。
 装飾の施された鉄のノッカーを数度打ち付ける。
 しばらくして「はいはい」と緊張感のない声と共に、扉が開いた。
 
「ん? どちらさま?」

 顔を覗かせたのはメイド服姿の女性だった。
 明るい茶色の髪は一つに結い上げられ、白いエプロンには皺がついている。
 力仕事の最中だったのだろうか。
 袖は適当に捲り上げられていた。
 
「お客さんが来るとは聞いてないけど」

 すらりとした長身の彼女は、アトリたちより少し年上だろうか。
 無遠慮に来客を眺め回す視線は、メイドというよりは警護のそれである。
 ユーグレイは気にした様子もなく口を開いた。
 
「カンディードから依頼の件で来た。御当主に会えるだろうか?」

「んん? あー、大旦那サマはちょっと前から体調が悪くってさ。若旦那ならいるから入りな」

 すっぱりとした口調でそう言って、彼女はアトリたちを邸の中に通す。
 エントランスは、古い木の匂いがした。
 他に使用人はいないのだろうか。
 酷く静かな邸内。
 大きな窓から入って来る弱い陽光が階段を照らしている。
 一段飛ばしでその階段を上がる彼女の背に、「若旦那とは」とユーグレイが問いかけた。

「リューイ・フレンシッド。ご子息サマに決まってんだろ?」

 知らないの、とばかりに彼女は不思議そうに首を傾げた。
 その名を耳にしたユーグレイの表情に、痛々しいほどの緊張が走った。
 リューイ・フレンシッド。
 子息だと言うのなら、その人はユーグレイの兄だろう。
 
「ユーグ」

 ユーグレイは一瞬瞳を伏せて、それから深く息を吐いた。
 踏み出した一歩。
 彼は振り返ってアトリを見た。
 見慣れた碧眼はまだ惑うように揺れている。

「……アトリ、すまないが」

「うん」

「君は、ここで待っていて欲しい」

 そうか。
 連れて行ってはくれないのか。
 つきりと微かに胸の奥が痛む。
 けれど脳裏を過ぎった夢の光景に、アトリは訴える言葉を飲み込んだ。
 
「ユーグがそうして欲しいなら、待ってるよ」

「……すまない」

 興味深そうに、階段の上から女性がこちらを見ている。
 アトリはユーグレイの背中を押した。
 何で謝ってんだお前は、と笑ってやる。
 
「ちゃんと待ってるから、安心して行って来いって」

「ああ……、行って来る」

 ユーグレイはふっと手を持ち上げて、アトリの頬に触れた。
 彼自身もそうするつもりはなかったらしく、我に返ったようにその手はすぐに離れて行く。
 すぐ戻ると言い残してユーグレイは女性の後に続き、階段を上って行った。


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