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6章
0.2
しおりを挟む「まぁ、わかるけど。格好良いもんなー、ユーグは」
散歩の最後は談話室で休憩をするのが常である。
第五防壁の談話室は日中人がいないことが多いため、二人でゆっくりと話をするのに適していた。
無論そんなささやかな時間も、ここ数日は満足に味わえていない。
手軽に淹れたコーヒーを飲みながら、アトリはテーブルに頬杖をついて苦笑した。
迷惑だからついて来るなと言ったはずが、件の少女も当然のように席に着いている。
ユーグレイとしては不快感が募るばかりだが、アトリはこういう相手を拒絶するのが得意ではないのだろう。
結局彼女の分も飲み物を用意して、その心情に共感する辺りどうしようもない。
相手を攻撃するよりも自分が退いた方が良いと判断するのが彼だから、仕方がないと言えばそれまでだが。
アトリにそう言われて、少女は頬に手を当てて頷く。
すぐ隣のユーグレイを見上げる瞳は物言いたげに潤んでいる。
全く不思議なものだ。
そもそもユーグレイは、アトリ以外の他人に関心がない。
少しでも興味を持って観察をしていれば、そんなことはすぐにわかるはずである。
「はいっ! 私、本当にユーグレイさんが大好きで! みんなみたいに遠慮して誰かに取られちゃうくらいなら、当たって砕けようって思ったんです!」
その意気込みは結構だが、それが好意を抱く相手の迷惑になるとは想像しないのだろうか。
何も答えないユーグレイに代わって、アトリが「へぇ」と感心したような声を上げた。
「良いじゃん、直球で」
「……………アトリ」
彼が何故少女を肯定するような発言をしているのか、理解が出来ない。
ユーグレイと同じように、この無遠慮な相手を厄介だと思っている訳ではないのか。
苛立ちを隠しもせずに名前を呼んだ。
アトリは困ったように笑って、「怒んなよ」と軽くユーグレイを諌める。
眉を顰めて彼を見返すと何を勘違いしたのか、「ケンカしたら駄目です!」と少女が口を挟んだ。
「アトリさん、良かったらここは私がお話しします。任せちゃって下さい!」
「そぉ? 俺、ここで引っ込むと後が怖いんだけど」
どうしよっかな、とばかりにアトリはコーヒーの入ったカップに口を付ける。
茶色い髪を揺らして彼女は僅かに腰を上げ、ユーグレイの顔を覗き込んだ。
視界が遮られて、酷く鬱陶しい。
もう十分に、我慢はしただろう。
嗅ぎなれない甘ったるい臭いがコーヒーの香りに混ざって、ユーグレイは耐え切れずに立ち上がった。
椅子が音を立てて、驚いた少女の小さな悲鳴が聞こえる。
アトリは。
意外にも平然とした様子で、静かにユーグレイを見上げていた。
「……君と話す? 何故? 僕はアトリと話をしている。君と話すことは何もないが」
刺すような声に流石に息を呑んだ彼女は、「でも」と何とか笑って見せる。
「私はユーグレイさんと、もっとお話したいです!」
「そうか。僕は君に一才興味はない。言葉を交わすのは苦痛だ。ここ数日の付き纏い行為を鑑みれば、不快で仕方がないと言った方が良いか」
同じことを見知らぬ男にされたらどう思うのか。
そうユーグレイに問われて、少女はようやく沈黙した。
すとんと椅子に腰を落とし、背を丸めるようにして俯く。
「ユーグ」
アトリの声に責めるような響きはなかった。
ただ、ここまで来て制止されるのは自身なのかと理不尽には思った。
そもそもユーグレイは、ずっと機嫌が悪いのだ。
仕方がない。
「君は、誰の味方なんだ? アトリ」
「俺はお前の味方しかしないけど? ユーグ」
あっさりと、当然のように返って来た言葉。
では何故彼女を庇うのか。
いや、庇っては、いないのか。
微かに嗚咽を上げて、少女は「ごめんなさい」と謝罪した。
「私、ユーグレイさんを、困らせたかった訳じゃなくて……、だって、きっとすぐ誰かに取られちゃうって思ったから、頑張らなきゃって」
ぱっと顔を上げた彼女の瞳は、濡れていなかった。
これは予想以上に強かそうだ。
まだ、全く諦めていない。
「ユーグレイさん! あの、私、絶対好きになってもらえるようにもっと頑張りますから! だからーー」
縋るように伸ばされる手。
視界の端で、アトリが仕方ないみたいな顔で笑うのが見えた。
彼は大抵そうだ。
この手のトラブルに関しては、相当なことがない限り割って入るようなことは。
「ーーーーっ!」
ぐい、と少し乱暴に襟元を掴まれた。
すっと立ち上がったアトリに引っ張られて、ユーグレイは体勢を崩してテーブルに手をつく。
「苦情は受け付けないかんな」
どこか諦めたような囁き。
苦情など、言うはずがない。
常より遠慮がちに重ねられた唇。
不安定な体勢のまま、触れるだけで離れて行こうとするアトリの後頭部を押さえた。
誰かに心底まで思い知らせるのなら、これくらいしても良いだろう。
「んー、ぐっ」
くぐもった声で文句を言われたが、聞こえなかった振りをする。
そもそもこの方法を選んだのは、アトリだ。
抵抗するように閉ざされた唇を舐めると遠慮なく肩を叩かれる。
それでも傷を負った方の肩を狙わない辺り、容赦はされているようだ。
せめてもう少しと思ったが、仕方なくアトリを解放してやる。
彼は一瞬怒ったような顔をしたが、幸い本来の目的を忘れてはいなかった。
口を開けたまま呆然と一部始終を見ていた少女に視線を向ける。
「まあ、だから、もう誰かに取られちゃってたりするんだけど」
微かに色付いた目元。
濡れた口元に悪戯っぽい笑みを浮かべて、アトリはそう言った。
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