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間章
7
しおりを挟むお母さんがそうだったから、と聞いてセナは「そう」とだけ答えた。
クレハの母親がすでに亡くなっていることは管理員から聞いている。
エルとしての素養を持っていたらしい彼女が辿った運命は、悲運ではあるが決して珍しいものではない。
正しく能力を扱えなければ、魔術を構築して放つ役割を担うエルはすぐに摩耗する。
傍に立つ相手がそれを理解していないのであれば、尚更だ。
「お母さんは私よりずっと凄かったけど、防衛反応が強く出るみたいだった。魔術を使うといつもすごく辛そうで。命を守るために頭がブレーキをかけてるだけで、痛いのは本当は悪いことじゃない。だから大丈夫って言ってたけど」
クレハは感傷を滲ませることなく、ただ静かに続ける。
「そのうちにベッドから起き上がれなくなって魘されながら、痛い痛いって。私、何度もあの人に頼んだんだけど、駄目だった」
活動限界に至っても魔術の行使を続けさせられたのだろう。
防衛反応による強烈な痛み。
意識の混濁、そして喪失。
生命活動は正常に機能しなくなり、蝋燭の火が消えるように静かに息絶える。
少女の中では、何度も繰り返し回想する出来事なのだろう。
その声は震えることも涙で途切れることもなかった。
けれど伏せられた瞳は、鋭さを隠そうともしていない。
「アトリ君も同じかもって?」
残念ながら、セナはこの手の感情の機微に寄り添うのは不得手である。
辛かったねとこの少女を抱きしめてあげることは出来そうにない。
ただきちんと聞いてはいたのだと一つ頷いて、セナは問いかける。
クレハは組んでいた両手に少し力を入れたようだった。
「まあ、仮にアトリ君が君のお母さんと似たような傾向のエルだとしても、あの相棒がそんな事態を許容するとは思えないけどね」
「……そうかな。そうだと、良いけど」
力のない同意だった。
或いはアトリのペアがユーグレイでなかったとしたら、クレハの懸念は現実のものになっていたかもしれない。
元々強過ぎる防衛反応に苦しんでいたアトリだ。
彼が五年以上現場で活動しているのは正直なところ奇跡に近い。
実際あの時は、危なかったのだ。
「アトリ君のことに関しては凄いからね、彼」
ああ、もしかしたら。
そうやって思い遣ってくれる相手の魔力だったから、咄嗟に痛みではなく快感に変換出来たのだろうか。
セナはゆるりと首を振って、その仮説を振り払った。
証明は不可能だから考えたところで意味はない。
「それに、私たちもいる」
セナは組んでいた足を下ろして、クレハに向き直った。
黒髪の少女は少し驚いたような表情で、セナを見つめ返す。
「おや、何のために私たちがいると思ってるのかな? 身体データの採取や他愛ないおしゃべりだけがお仕事って訳じゃないんだよ」
肩を竦めてみせると、クレハは僅かに沈黙した。
これだけ話が出来れば十分だろう。
セナは閉じたカルテを診察台の脇の棚に差し込む。
じゃあそろそろ、と言いかけて。
「お医者さんなら、防衛反応も何とか出来るの?」
クレハの言葉に、セナは口を噤んだ。
「あれは治せるものだったの? ああいう風に死んじゃう人は、ここにはいない?」
純粋な疑問は、狭い診察室に重く響いた。
そうだと頷いてあげられればどれほど良かっただろうか。
セナは苦笑して、ただはっきりと首を振って否定した。
「未だにそうやってエルは死ぬよ。私たちがどれほど研究を進めて新しい治療法を試したところで、魔術の領域にはまだ手が届かない」
失望しただろうか。
ただ誰に蔑まれたところで、セナはどうとも思わない。
カンディードの構成員が、命を賭けて海に出るように。
同じだけの覚悟くらいはこれでも持っているつもりだった。
「それでも、進歩がない訳じゃない。防衛反応の痛みを和らげるような薬は随分と改良が進んでいるし、対処療法なんかもパターンが確立しているしね」
「………………」
「君のお母さんを救えたとは思わない。何もかも、まだこれからだよ」
敢えて、セナはそう言った。
真実なのだから、酷いと泣き出されても構わない。
けれど目の前の少女は、傷付いた顔さえしなかった。
世間知らずのお嬢様に見えて、意外と芯はしっかりしているのかもしれない。
じゃあ、と彼女は責めるでもなく淡々と問う。
「じゃあ、いつかは? いつかは、お母さんを助けられたって言えるようになる? 誰も防衛反応で苦しんだりしなくなる?」
「んー、まあ、いつかはね」
「……なんか適当?」
そこには文句が出るらしい。
とはいえ、その「いつか」はセナが生きているうちには来ないかもしれない。
安易に約束をしないのは寧ろ誠実だと讃えて欲しいくらいだが。
セナは面倒になって、片手をひらひらと振った。
もうおしゃべりは終わりで良いだろう。
「文句があるなら人任せにしないで、君がやれば良いんじゃないかな? ほら、検査もおしゃべりもこれでおしまい。管理員には上手いこと言っとくから、引き続き知らん顔してること。面倒なことになっても私は助けられないからねー」
突き放すようにさらりと言い切ると、クレハはむっと眉を寄せた。
けれど反論までは出来ないらしい。
渋々丸椅子から腰を上げて、ぺこりと頭を下げた。
診察室を出て行く華奢な背を何となく見送って、セナは軽く伸びをする。
これでもまあ色々と仕事を抱えている身だ。
のんびりとしている暇はない。
何ならアトリの状態もそろそろ確認しておきたいのだが。
ふぅと息を吐くと、セナは次の仕事に取り掛かる。
何か言いたげだった黒髪の少女のことは、自然と意識の隅に追いやられた。
縁があれば、また顔を合わせることもあるだろう。
ここで管理員たちの思惑通りペアを見つけて海に出ると言うのであれば、尚更。
「出来れば元気な顔を見たいものだけど」
職業柄そうも言っていられないか、とセナはぼやいた。
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