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5章
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しおりを挟む「……じゃあ、マリィ。聞きたいんだけど、貴方から見て『クレハ』は幸せな女の子か?」
アトリはワンピースの裾を摘んで、わざと小首を傾げて見せる。
「可愛く着飾って、寒さに怯えることもなく食うものにも困ってない。何にもない綺麗な部屋にたった一人閉じ込められてて、良く知りもしない婚約者との結婚が迫ってる。父親は教会の偉い人で、娘の意思より自分の利益。周りの大人もどうやら助けてはくれないらしい」
畳みかけるようなアトリの言葉に、マリィの顔色が変わった。
彼女は焦ったように部屋の扉を振り返る。
アトリは構わず続けた。
「どうだろう、マリィ。こんなのは、幸せな女の子の贅沢な悩みかな?」
いや、彼女を糾弾するつもりはなかった。
少なくとも彼女はクレハに笑いかけた。
物のようにこの少女を扱ったりはしなかった。
でもだからこそ、確かめておきたかったのだ。
「クレハ様、いけません。そんなことを仰って……。お父様に聞かれたらどうされるんですか」
マリィはアトリの肩に手を置いて、押し殺した声で懇願した。
ふわりとあたたかい手が、緊張で震えている。
対してアトリは平然と「どうするって」と小さく笑う。
「別にこれ以上悪化もしないだろうし、聞かれたって構わないけど。それとも黙って言いなりのままが『幸せ』だって、マリィは思うのか?」
この人が悪い訳ではないのに、意地の悪い言い方だとは思った。
人の良さそうな顔が罪悪感で歪む。
目の前の少女が口にした言葉に驚きより先に罪悪感を覚えたのであれば、彼女も薄々はこの異常な環境に気付いていたのだろう。
申し訳ありません、と掠れた声で彼女は謝る。
「どうか、どうかご容赦下さいませ、クレハ様。私には、何も……。どうかお幸せになられますようにと、祈ることくらいしか……」
アトリはマリィの手を押さえて首を振った。
祈りなんてものは所詮気休めだと、もう随分前に思い知っている。
「祈ってくれなくて良い。ただ代わりに、いつか、一回だけで良いから力になって欲しい」
「まあ、そんな、私には、とても……」
狼狽えるマリィはやはり背後が気になるようだ。
扉の向こう。
レクターは恐らくそう遠くは行っていない。
アトリはマリィの手を引き寄せて、彼女と目を合わせる。
「貴方の立場が危うくなるような頼み事はしないから。頼みます、マリィ」
ここでは誰が味方になってくれるのか、アトリには判断がつかない。
せめて、一人。
彼女はレクターの目がないところで接触出来た貴重な他人だ。
逃す手はない。
どう力を貸してくれるのかはわからないが、彼女であれば少なくとも情報源にはなってくれるだろう。
クレハ様、と彼女は小さく少女の名を口にする。
動揺のまま彷徨う視線がやがて諦めたように定まった。
マリィは色を失った自身の唇を何度も舐めて、それからようやく一つ頷く。
存外はっきりと深く首肯した彼女は、「わかりました」と固い声で言った。
「あのクレハ様が、こうまで仰られるのであれば……。私のような者で、どれほどお力になれるかはわかりませんが」
流石に安堵してアトリは息を吐く。
ありがとう、と礼を言うとマリィは弱く首を振る。
彼女は声を潜めて、「けれど」と続けた。
「一体、何をなさるおつもりなんですか? まさかここから逃げ出そうなんて……」
まあ、それが最終目的ではあるけれど。
アトリは扉の向こうに視線をやる。
レクターは自身の娘に手を噛まれるなんて夢にも思っていないだろう。
クレハは言いなりのか弱い子どもで、口答えはおろか抵抗など出来るはずもないと。
その認識でいるのなら、こちらもそれを利用するだけだ。
「そう。でもその前に、軽く引っ叩いていこうかなって」
面倒事はごめんだと、いつもならさっさと逃げている。
けれど、まあそこそこに不愉快な思いもさせられたことだし。
それくらいしても罰は当たらないだろう。
あっさりと言ってのけたアトリに、マリィは信じられないものでも見るように瞬く。
「本当に、今日はどうされたんですか? クレハ様。まるでいつもとは……」
「別人のようだって?」
そんなことはあるはずがないと、マリィは思い直したようだった。
レクター様がお待ちですからそろそろ、と彼女はアトリを促す。
実際そうなのだから、彼女の指摘は当然のものだ。
けれどそれが父親であるレクターの口から聞けなかったことが、やはり少しだけ悲しいなとアトリは思った。
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