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5章
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しおりを挟む「素敵ですねぇ、クレハ様。どうですか? 着心地は」
どうですか、と言われても。
二十年以上生きてきて、よもやこんな可愛らしい服を着ることになるとは思ってもいなかった。
いやこの身体にはもちろん似合っているけれど、精神的には若干のダメージがある。
夜着でさえなかなかの衝撃だったのに。
アトリは半分悟ったような心持ちで、視線を落とす。
幸い露出は多くないワンピースだ。
クレハの瞳の色に合わせたのか、ベルベットのような上品な紅。
肘を隠すほどの長さの袖はレースで編まれていて、薄らと肌が透けて見えた。
着替えを手伝ってくれたご婦人は、満足そうににこにこしている。
「どう……? 足元が、心許ないですね」
どうにも返答を求められているらしいと判断して、仕方なく感じたままを口にする。
彼女はアトリの答えに少しだけ不思議そうな顔をした。
手伝いに、とレクターが寄越したのは五十代くらいの肌の白い女性だった。
意外なほどに、ごく普通の人に見える。
ここにいる限り顔を合わせるのは彼くらいだろうとうんざりしていたが、流石のレクターも娘の身支度までは管轄外らしい。
部屋の出入りにはレクターの許可がいるようだが、少なくとも彼女はクレハと面識があるようだ。
何度か同じ用向きでこうして部屋を訪れているのだろう。
薄く皺の刻まれた顔に、彼女は安堵したような微笑みを浮かべる。
「まあ、クレハ様。今日はご気分がよろしいようで何よりです」
「気分が良い訳では、ないですが」
意味のない否定を口にして、アトリは項垂れる。
今のやり取りで「ご気分がよろしいようで」なんて言葉をかけられるとは思いもしなかった。
普段のアトリが同じ調子で言葉を返したら、ユーグレイは眉を潜めて「何があった?」と訊くだろう。
クレハは日常的にあまり喋らないのかもしれない。
彼女は手慣れた様子で夜着と羽織っていた礼服を畳んで、ベッドの上に置く。
そんなことを仰って、と明るく言う彼女は少女の境遇をどう思っているのだろうか。
深くは、知らないのかもしれない。
「いつもは私とのおしゃべりにはあまり付き合って下さらないでしょう? ああ、ご婚約者様と会うのが楽しみなんですね」
「………………」
楽しみも何も、クレハ本人だって会うのは二回目だとか。
どんな相手だか知らないが、あのレクターが自身の利益のために見繕ったのであれば全く期待は出来ない。
手伝いの女性はアトリの背を軽く押して、窓辺の椅子に座らせる。
失礼しますね、と徐に櫛で髪を梳かれた。
落ち着くような、気恥ずかしいような不思議な気分がする。
何も置かれていない机の上を、柔らかい陽光が照らしていた。
「レクター様は何も仰っていませんでしたけど、もうお式もすぐなのでしょう?」
歌うように彼女は続ける。
「私の姪っ子がね、街でクレハ様と同じ黒髪の方を見たって言うんですよ。雰囲気も似ていらっしゃったと言うから、お母様のご親類の方をお呼びになられてるんじゃないかって。あら、もしかしてもうお会いになられたりしたのかしら」
それは、多分アトリだ。
お母様とやらの親類でも、式に呼ばれた訳でもない。
残念ながら赤の他人である。
或いはあの時見知らぬ子どもに「おにいちゃんだよね」と問われたのは、そういうことだったのかもしれない。
掬い上げた一筋の髪に、彼女は赤いリボンを編み込んでいく。
「いつだったか、お母様の故郷に行ってみたいって仰っていましたものね。色んなお話が聞けましたか?」
「…………故郷」
いや、クレハの母親がアトリと同郷だという証拠はない。
けれどその願いを聞いた時、脳裏を過ったのはやはり雪の降る夜の光景だった。
それは痛いほどに静謐で、死の気配に満ちている。
「さあ、これで完璧ですよ。きっとご婚約者様も惚れ直すに決まっています」
アトリは腰を上げて、背後にいた彼女を振り返る。
朗らかに笑う彼女は、クレハより少しだけ背が高い。
全くこれはどんな茶番なんだ。
まだ親に甘えても許される年頃の少女を、良いように利用する父親。
それを恐らくは黙認している教会関係者。
多少の違和感に目を瞑ったままの大人たち。
小さく首を振ると、髪に編み込まれたリボンの端が首筋を擽った。
クレハには悪いが、こんな窮屈で下らない牢獄は壊してしまうに限る。
「貴方の、名前は?」
目の前の彼女は、アトリの問いかけに違和感の拭えない表情をする。
困ったように、「あらいやだ。お忘れになられてしまったんですか?」と彼女は曖昧に笑った。
「マリィです、クレハ様」
「……じゃあ、マリィ。聞きたいんだけど、貴方から見て『クレハ』は幸せな女の子か?」
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