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4章
0.1
しおりを挟む陽が完全に落ちてから、紙袋を抱えたフォックスが顔を出した。
きっと夜には起きてるから、と言っていたアトリはまだベッドに横になったまま起きては来ない。
ただかなり高そうだった熱は大分落ち着いたようで、やけに幼い顔で静かに眠っている。
「相方の具合はど? 色々買って来てみたけど」
ユーグレイが首を振ると、フォックスはそっとベッドに近付いてアトリの顔を覗き込む。
彼は手の甲でアトリの額に触れると「まだちょっとありそうだねぇ」と呟く。
決して良い気はしなかったが他意はないだろう。
ユーグレイは黙ったまま彼の挙動を見守る。
「かっわいー顔して寝ちゃってサ。これじゃユーグレイさんは大変だ」
「……否定はしない」
フォックスは声を抑えて笑うと、ソファに腰を下ろした。
紙袋からパンや果物の缶詰、飲み物を取り出して、ユーグレイにも勧める。
ベッドの端に腰掛けてありがたくそれを受け取った。
「先に言っとくけどね。クレハ・ヴェルテットの保護が最終目的とはいえ、アトリさんに無理させることまで考えちゃいないんだよ。自分としては上に報告出来るだけの行動はしたと思ってるし、このままゆっくりしてもらっても構わないんだけど」
のんびりとパンを齧りながら、フォックスはそう言う。
ユーグレイとしても当然その言葉に甘えたかった。
アトリが防衛反応で快感を得るのは、理解出来る。
けれど今回はそれに加えて明らかに痛みを堪えており、発熱の上寝込んでいる。
無理はさせたくない。
「思っている以上に悪い状況だって言うけどサ、実際緊急性があるかどうかはわかんないでしょうよ」
「……いや、アトリがそう言うのであれば恐らくは緊急性があるのだろう。こう見えて、僕より実力行使を避けたがる。必要に迫られなければいつまでも拳を振り上げない人間だ。それが強行手段を取って良いと言うのだから、それなりのことだと思うが」
「ふぅん、なるほど?」
ユーグレイは手を伸ばして、アトリの髪をそっと頬から払う。
反応はない。
全く、こちらの気も知らずに「酷くしろ」とは。
「まあ強行手段って言っても、乗り込んでって暴力に訴えるってワケじゃないしね。相手が人魚ならともかく、正当防衛だって銃で撃たれでもしたら敵わないでしょ」
「連れ去りまで視野に入れているのではなかったのか?」
「そりゃ最終的にって話サ。今時親の言いなりで利用されて政略結婚なんて、新聞社の良いネタだよ? 簡単に言っちゃえば、不特定多数の人目のあるとこまでクレハ・ヴェルテットを連れ出して、彼女本人に助けを求めさせればそれで良いワケ」
騒ぎが大きくなればなるほど、カンディードとしては介入しやすくなる。
教会内部や国の上層部はどうか知らないが、少なくとも年若い少女が自らの境遇を明かして助けを求めれば大衆の多くは彼女の味方をするだろう。
それが国中でブームになっている聖女となれば尚更だ。
「そういう観点で言えばアトリさんが手紙に返事を書かせたのは、これ以上ない収穫だったね。元々彼女を助けるために接触していたって証拠になるし、彼女が嫌と言わなければ割とすんなり身柄を預かれるんじゃないかな」
「方針は理解したが、その『連れ出す』というのが難関なのでは?」
「いや、そーなんですよねぇ。こっちから働きかけて脱出をフォローするのか、或いは何かを機会を窺うのか。どっちにしてもまずはアトリさんに話を聞きたいとこなんだけど」
何を視たのか。
アトリは結局その詳細を語る余裕さえなかったようだ。
けれど彼女を視たのであれば、どこにいるのか、どういう状況なのか、アトリは知っているはずである。
軽い音を立てて瓶の蓋を開けたフォックスは、くいと中の液体を呷った。
それから少しだけ眉を寄せて栗色の髪をくしゃりと掻く。
「あー、言いたくなきゃ良いんだけど。その……、アトリさんの魔術ってどうなってんの?」
「………………」
別にどこかに報告をしたりはしないけど、とフォックスは前置きをした。
単純におかしいと彼にもわかるのだろう。
「エルの視力強化ってのはサ、今視えているものをもっとよく視る魔術じゃん? 透視とか遠視とか、そういうのは古の完全な魔術師が行使してた魔術だ」
少なからず顔に出てしまったのだろう。
ユーグレイを見て、彼はわかってはいるのかと苦い顔をした。
「クレハ・ヴェルテットが傷を癒したっていうのは、仕組みが理解出来る。相手の身体を強化して自己治癒力を高めたとかそんなとこだろ? でもアトリさんのは全然仕組みがわからない。正直自分にはサ、聖女なんて呼ばれてる彼女より、アトリさんの方が意味わからんレベルの術者に見えるんよ」
「……元々そうだった訳でも、容易くそれを行使している訳でもない」
言えるのはそれだけだった。
ただフォックスはちらとアトリを見て、それから「そっかぁ」と頷く。
「自分はおたくらみたいな仲の良いペアは嫌いじゃないし、組織に忠誠を誓ってるとかそーいうんもないから何も言わないけど。でも出来れば、アトリさんのこれは隠しといた方が良い。利用しようと思ったら何にでも利用出来るだけの力でしょ、これは」
わかっている。
アトリ本人は恐らくそこまでの自覚がない。
あくまでその異常は防衛反応の欠陥によるものだという理解故だろう。
「忠告、感謝する」
「うん、まぁ言わなくてもって感じだけどね」
揶揄うような表情をしたフォックスは、どこまで察しているのか。
身動ぎもせずに寝入っていたアトリが不意に頭を傾けた。
微かにくぐもった声が聞こえる。
「……アトリ」
少しだけ首元の毛布をめくってやると、ふるりと瞼が震える。
薄く開いた瞳が、ふわりと彷徨ってからユーグレイを映した。
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