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4章
4
しおりを挟む教会を後にして、すぐ目の間の公園で足を止めた。
フードを被っているおかげだろう。
隣接するカフェには変わらず客の姿があったが、あからさまにこちらに向けられる視線はない。
「どうした、アトリ」
端的にそう問われて、アトリは仕方なくユーグレイを見つめ返した。
さらさらと木々の葉が擦れる音がする。
深く息をすると、突き動かされるような先程の衝動は酷く遠く感じた。
「……悪い」
「君は、理由なく他人を攻撃しようとはしないだろう。訳が知りたいと言っている」
ユーグレイがそう言うのは当然だ。
けれどアトリ自身上手く説明が出来る気はしなかった。
レクターは教会の関係者だ。
いや本質的にどういう人間なのかは知らない。
だが知らないからこそ、あの刹那の印象だけで攻撃対象と見做すのは普通ではないだろう。
寧ろ今思い返せば、ごく普通の人の良さそうな男性であったような気さえする。
ではあの嫌悪は勘違いだろうか。
慣れない土地で、思いがけず人々から注目を浴びて神経が尖っていたのだろうか。
そういうことも、あるかもしれない。
「アトリ」
責めるような声ではない。
ユーグレイは手を伸ばして、アトリの頬に軽く触れた。
その指先は少し温かい。
知らず強張っていた身体から力が抜けるのがわかる。
「怒ってねぇの?」
「いや、結果として君は彼を攻撃した訳ではない。僕が止めるより先に、自分で踏み止まっただろう」
「………………」
「僕が納得出来るような説明を用意する必要はない。脈絡がなくても、確とした動機がなくても構わない。ただ沈黙はするな、アトリ。君が感じたことを、出来る限り共有させて欲しい。その上で必要であれば、僕が君を咎めよう」
それは何というか。
圧倒的な信頼と、好意の上に紡がれた言葉だと理解が出来た。
アトリは流石に額を押さえて項垂れる。
フードで隠れているが、恐らくは耳まで赤くなっているだろう。
「お前さぁ、ほんっと……、良いやつ」
「今更か?」
ユーグレイは柔らかくそう言って、頬に触れていた指先を引いた。
口にするにはあまり愉快な話ではないとわかっている。
けれどそうまで言ってくれるのであれば、誤魔化すようなことはしたくないと思った。
「……何か、嫌な記憶とごっちゃになって」
ユーグレイにかつての話をしたのは、ついこの間のことだ。
事細かにあの時のことを話した訳ではないが、アトリが売られそうになったことは彼も既に知っている。
寄る辺を失った子どもを「商品」として連れ出した人。
その「商品」を金で買って所有しようとした人。
あの人の眼は、何故か彼らのそれを彷彿とさせた。
だから咄嗟に、とアトリはそこまで説明して。
ユーグレイが纏う気配が一転して、口を閉ざした。
酷く鋭利な瞳をしたまま、彼は表情なく言う。
「似ていた、か。当人だったという可能性は? 君の直感は侮れないからな」
「へ、あ?」
ユーグレイの視線が、背後の教会へと向けられる。
アトリが一つ頷きでもしたら彼はあの場に戻ってレクターを詰問するだろう。
いや、詰問するだけで済めば良いと思うほどの殺気。
アトリは何度も首を振る。
「ないない! 違うって、本当。多分何か顔とか目の色とか、そーいうんが似てたんだと思う。レクターさんが悪いんじゃなくて、変な感じで記憶が引っ張り出されただけで」
「…………」
「ユーグ、頼むから怖い顔すんな。さっきのは本当、俺が悪かっただけだから」
必死になって言い募ると、ユーグレイはようやく静かに息を吐いた。
張り詰めていた空気が緩む。
全くややこしいことをしでかした、と酷く反省した。
まして魔術を発動していたら、何の非もない相手を傷付けるところだったのだ。
ちょっとどうかしていたな、とアトリは小さく首を振る。
「お咎めは?」
アトリがそう訊くとユーグレイは僅かに考え込んでから、「いや、なくて良いだろう」と随分と甘い判定を下す。
「無罪放免って言われるとそれはそれで」
「そうか。敢えて何らかの罰が欲しいのであれば、僕も相応のものを考えるが」
「今、何で笑った!?」
さあ、と素知らぬ顔をするユーグレイの肩を、アトリは軽く小突く。
ああ、本当に。
隣にいるのが彼で良かった。
「……ユーグの魔力で馬鹿なことはしでかさないって約束するから、そんでさっきのことは勘弁して欲しい」
その信頼に背くことはしないと言葉にして伝えると、ユーグレイは碧眼を細めて頷く。
頷いて、彼はアトリの額を指先で撫でた。
ぞくりと首筋が震える。
覚えのある感覚だ。
全くそういう流れではないだろうに、何を勝手に快感を拾い上げているのか。
発情期の獣か。
「何か食べるか。少し、ゆっくりしよう」
ユーグレイは何事もなかったかのようにそう言って歩き出す。
その隣を歩きながら。
アトリは、違うなと思った。
触れられて気持ちが良いのは相手がユーグレイだからで、それ以上の理由はないのだろう。
適当に誤魔化してしまえなかったのも、その信頼に応えたいと思ったのも。
ユーグレイだからだ。
けれどそうだとすると、この感情には。
恋だとか愛だとか、そういう名が付くのだろうか。
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