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4章
3
しおりを挟む違うと呟くように言ったのはユーグレイだったが、アトリ自身もここまで来れば状況を理解出来た。
注がれるいくつもの視線に戸惑う。
違う。
見られているのは、ユーグレイではなくアトリだ。
いやでも、何故。
「……う、えっ?」
ぐいと背後からパーカーのフードを掴まれて、被せられる。
視界には少しだけ影が下りた。
そのままユーグレイの背後に押しやられ、アトリは黙り込む。
何だか知らないが、ここは彼の影に隠れてやり過ごすのが良いだろう。
息を潜めた数秒。
危惧していたような混乱はなく、波のように引いていったさざめきの後。
鷹揚とした声が「それでは皆様」と、場を切り替えるのが聞こえた。
アトリはユーグレイの肩越しにちらと声の主を窺う。
こちらを振り返った多くの人は既に、教会の奥へと視線を戻していた。
何かの紋章なのか。
不思議な形状の窓枠が嵌められた天井近くの窓から、その人が立っている場所に陽光が差し込んでいる。
白い礼服を纏った壮年の男性だ。
所謂司祭だとかそういう役職の人間だろう。
彼は手に持っていた小さな本を閉じて、にこやかに聴衆を見渡す。
「この後も善き一日をお過ごし下さい。お時間がある方は是非西棟の食堂にも足をお運び頂ければ。先程お話しました教会伝統の美味しくないけれど癖になる焼き菓子をご用意しておりますよ」
幾つかの笑い声が上がり、長椅子に座っていた人々が腰を上げる。
何事もなかったようにとはいかないが、敢えてアトリたちに声をかけるようとする人はいない。
開かれた門扉の左右には小さな通路が続いており、どうやらそこから別棟にも行けるようである。
促されるままに通路に入っていく人と、もう見学を終えたのか教会を出ていく人が入り乱れる。
ユーグレイはまだ動かない。
こつ、と靴の音を響かせて、礼服の男性が近付いて来るのが見えた。
「こんにちは、ご旅行でしょうか? せっかく教会に足を運んで頂いたのに、驚かせてしまったようですね」
白髪混じりの金髪に、赤みがかった琥珀色の瞳。
年齢は感じるものの、何か運動でもしていそうながたいの良さだ。
彼は優しげに微笑む。
口元まで出かかっていた返事は、どうしてか音にはならなかった。
「申し訳ありませんでした。国の者も悪気がある訳ではないのです」
「……いや、こちらこそ騒がしくしたようだ。礼を欠いた上の頼みではあるが、状況が飲み込めず戸惑っている。何か知っているのであれば聞かせてもらいたい」
代わりに返答をしたユーグレイに、彼は意外そうな顔をした。
アトリたちが何も知らないとは思ってもみなかったという反応である。
けれど彼はそれを口にはせず、眼を細めて一つ頷くと「レクターと申します」と簡単に名乗った。
良かったら案内がてら、と彼は通路の方へと歩き出す。
軽くこちらを振り返ったユーグレイに、アトリは頷き返した。
レクターと名乗った男の後に続いて歩き出す。
「今、教会には優秀な術者がおりまして」
通路は少し進むと唐突に開けた。
高い位置に等間隔に並ぶ窓。
足元がふわりと落ち着かないのは絨毯が敷かれているからだ。
この回廊は教会の見学通路にもなっているようで、数組の観光客たちがのんびりと歩いていた。
レクターは時折アトリたちを振り返りながら続ける。
「……国の者は皆知っておりますので申し上げますが、私の娘でございます」
自身の子を誇る響きはあまり感じられなかった。
ただ彼は一つ小さな溜息を吐く。
「元々強い魔術を扱う子ではあったのですが、一年ほど前に人目のあるところで魔術を行使いたしまして」
曰く、彼の娘はトラムと子どもが接触する寸前のところを助け、更に子どもの怪我を治したのだと言う。
それをノティスの新聞社が大きく取り上げ、国の研究者も教会を訪問。
娘の才能を高く評価したことから、聖女様だなんだとお祭り騒ぎになってしまったのだとか。
それにしても「怪我を治した」とは。
程度はわからないがアトリのように壊れているが故の出力ではなく自身でコントロール出来ているのなら、それは確かに相当な能力であろう。
「我が子のことですので複雑ではありますが、以来ノティスは空前の『聖女ブーム』なのですよ」
「……それが先程のことと、どう関係している?」
レクターは数歩先で立ち止まって、アトリを見た。
何故か首筋に緊張が走る。
いつか、どこかで。
こんな瞳を向けられた気が。
「娘は母親譲りの黒髪でして、ノティスでは珍しいものですから象徴のように見られております。お連れの方も綺麗な黒髪でいらっしゃる。それにどこか雰囲気も似ておりますので、つい皆見入ってしまったのでしょう」
「そうか」
ユーグレイが頷く。
アトリは被ったままのフードを指先で更に下ろした。
ノティスに優秀な術者がいるらしいという話は、確かにセナから聞いてはいたが。
母親譲りの黒髪。
聖女と呼ばれるほどの素養持ち。
なるほど、知らず視線を集めていた理由には納得がいった。
「ところで、お二人はどちらから?」
微笑んだままレクターがそう問う。
ユーグレイは動揺することもなく「皇国から」とさらりと答えた。
カンディード所属であることは伏せなければならないことではないが、良く知りもしない相手に軽々に明かすことでもない。
そうですか、と言いつつ彼はアトリにも視線を向ける。
「皇国でも黒髪はやはり珍しいと思いますが、貴方も皇国から?」
アトリが被ったフードの中を覗き込むように、レクターは少し頭を傾けた。
ふ、と彼は笑う。
「ああ、貴方は瞳も黒いのですね。妻と、同じだ」
どうしてか。
測られた、と思った。
ただ物のように価値を定められ、値段を付けられたと。
不快感にアトリは唇を噛んだ。
首に着けられた所有物の証。
良い買い物をしたと笑った、誰か。
これは。
あの眼と同じだ。
「ーーーーーー」
殆ど無意識のまま、アトリはユーグレイの手を握った。
縋るためではなく、庇護してもらうためではなく。
ただ敵対の意図を持って魔術を放つために。
けれど何の躊躇いもなくそうしようとしているのは何故か、説明出来ない。
印象が酷似しているだけの他人を、攻撃するなんて。
そんなことは許されない。
でも、そうしないのなら、また。
浅く息をしながら、アトリは辛うじて構築しかけた魔術を解いた。
同時に肩を掴まれて押される。
魔力を引き出そうとしたのだから、当然ユーグレイもアトリが何をしようとしたのか気付いただろう。
咎めるように一瞬向けられた碧眼。
レクターの視線を遮るように立ったユーグレイは、けれどこの場ではアトリを問い詰めようとはしなかった。
「……悪いが連れの体調が優れないようで、ここで失礼させて頂く。話を聞かせてくれたこと、感謝する」
「いいえ、構いません。それより休憩をされるのでしたら部屋をお貸ししますが」
そこまでは、とユーグレイは首を振った。
外の空気を吸えば落ち着くだろうと来た道へ踵を返す。
レクターがどんな顔をしたのか、アトリからは見えない。
別段特別な感情は窺えない声で、彼は「お大事になさって下さい」と言う。
「落ち着かれましたら、是非ノティスの街を楽しんで頂けたらと思います」
気遣い痛み入ると答えたユーグレイに肩を掴まれたまま、アトリは足早に教会を後にした。
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