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3章
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しおりを挟む「……手慣れ過ぎだろ」
「と言われてもな。そのままにして置くわけにもいかないだろう」
事後の会話としては、どうなのか。
同じベッドに向かい合うように横になって、何なら抱き込まれるようにして背中に腕を回されている。
雰囲気としては多分申し分ない。
アトリだって、もう少し色っぽいことを言ってやりたくもあったのだが。
そうはならないところが、らしいと言えばらしいのだろうか。
誘ったのは、アトリだった。
防衛反応を鎮めるためとかそういう口実もなく抱かれたのは、これが初めてだ。
ユーグレイが欲しいだけ、と求められるだけ受け入れ、途中から訳がわからなくなって結局いつもと同じように意識を失った。
だが、精神の磨耗は殆どなかったからだろう。
ユーグレイが後始末をしてくれている最中に、ふと目を覚ましてしまった。
温かなシャワーを浴びながら、丁寧に後孔に注ぎ込んだものを掻き出しているユーグレイと目が合って。
まだ寝ていても構わない、とふわりと微笑まれた時の居た堪れなさは言葉にしようがない。
「毎回あんなんしてたんかよ、お前。起こせよ。自分でやるから」
どうりでいつも目を覚ました時に、不快感の欠片もない訳である。
タオルで拭われる程度を想定していたアトリとしては、頭を抱えたい。
意識のない人間を浴室まで連れて行って身を清めて服を着せてベッドに寝かせる、というのは正直かなりの手間だ。
そんなことをいつもやっていては、ユーグレイだって疲れてしまうだろう。
呆れ半分申し訳なさ半分アトリがそう言うと、ユーグレイは「いや」と少し強めに否定の言葉を口にした。
「全く負担ではないから、君が気にする必要はない」
「えぇ……、いや気にするだろーが」
無茶言うな。
ユーグレイは考え込むように眉を寄せながら、片手でアトリの後頭部を撫でる。
髪に差し込まれた指先が心地良くて、絆されるにもほどがあるなとアトリは自嘲した。
真っ直ぐに目を見返すと言い包められる自信があって、枕に散った彼の銀髪に視線を落とす。
「理性を試される一面はあるが、僕にとっては得難い時間だ。仔細を語っても良いのか? アトリ」
「……結構です」
何か良くわからないけれど楽しいらしい。
結構だと言ったのに、ユーグレイはふっと笑って続ける。
「君が、ああも無防備に寝入っていると堪らない心地になる。どこにどれだけ触れても目を覚さないのだから、それだけ許されているということでもあるだろう? 君が起こせと言うのなら起こしても構わないが、僕がやることは変わらない」
「ユーグ、お前、そんなやつだったっけ?」
「何を指して『そんなやつ』と言われているかはわからないが、思考としては数年間から概ね変化はないと思うが?」
そーですか。
溜息を吐いたアトリの頭を、ユーグレイがくいと引き寄せる。
だからそういうことをと言いかけて、それより先に「大丈夫か」と問われた。
「何が?」
「いつもは朝まで起きないだろう。眠って構わない」
「まあ、怠いけど寝落ちてた分そこまでかな。んな心配しなくても良いけど」
「随分と、付き合わせたからな」
背中に回されていた手が、労るようにアトリの腰を軽く叩く。
ああ、うん。
「……最後の方、ちょっと目も当てられない感じだったもんな。いや、良いって言ったのは確かに俺だけど」
まだ生々しく身体に残る熱に、アトリは深く息を吐いた。
勢いに任せて盛り上がるとああいうことになるのか、と到底思い返せないあれこれを記憶深くに封じた。
ユーグレイは同意するように頷いてから、満足そうに笑みを深める。
「これほど甘やかされたのは、初めてだ」
「そ? そりゃあ、何よりで」
柔らかいその声に、咄嗟に気のない返事する。
いやだって、恥ずかしいですが。
ユーグレイは瞳を細めた。
見透かされている。
ところで、と彼は続けた。
「もし君がまだ眠らないのなら、もう一つ我儘を言わせて欲しい」
囁くほどの懇願に、アトリはじっとユーグレイを見返した。
だから、どうしてそう耐えるような表情をするのか。
手の甲で彼の額をこつりと叩いて、アトリはその躊躇いを笑い飛ばす。
「もっかいしてぇの? えっちー」
「そうか。君がその気なら、僕としても断る理由はないな」
「怖い怖い。冗談だってば」
ユーグレイがそのつもりであれば、とっくに抱かれているだろう。
だから求めるものがそれとはまた違うものだとは、わかっていた。
「何? 子守唄でも歌う?」
頭の後ろをゆるゆると撫でるユーグレイの指先が、止まる。
「ーー君の話が聞きたい」
ふと言葉を飲んで、アトリは「ああ」と納得した。
どう生きて来て、どうしてカンディードに来たのか。
アトリが知りたいと思ってそれでも聞かなかった、彼の人生の一部をようやく知った。
同じように、ユーグレイも知りたいと思ってくれるのだろう。
「って言ってもあんま大した話は出来ないけど」
ユーグレイは微かに首を振った。
「構わない。どうしても、知りたい」
「そんなかよ。良いけど、途中で落ちたらごめん」
寝物語をせがまれたような錯覚に、アトリは苦笑する。
何から話し始めたものか。
糸口を探す思考は、凍りつくような雪の夜に立ち返る。
そうだ、とても寒かった。
無意識に目の前の熱に身体を寄せると、酷く優しく抱き締められた。
あの頃の自分は、こんな風に誰かと熱を分け合って微睡む夜が来ることを想像もしなかった。
「このままでも良い? ちょっと寒い」
もちろん、と返ってくる言葉に甘える。
ゆっくりと紡ぎ出す冬の記憶を、ユーグレイはただ静かに聴いてくれた。
目を閉じると広がる暗闇に、死の影は遠い。
かつてはあれほどに近しいものであったのに。
アトリは、弔いさえせずに別れたあの人を思った。
今はこんなとこで世界を守る仕事をしているとか、そういうことは別に良いけれど。
今こうして抱き締めてくれる人がいることは、想ってくれる人がいることくらいは。
伝えられたら良いのに、とそう思った。
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