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3章
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しおりを挟む「具合は?」
律儀に日に一度負傷の様子を訊くユーグレイに、アトリは麦酒が入ったグラスを右手に持ったまま左腕を振った。
外傷もなければ痣にすらならなかった怪我は、あれから二日ほど酷く痛んだ。
正直どうしようもないから気合いで治してね、とセナに言われた時にはどうしようかと思ったが、今は嘘のように痛みは抜け落ちている。
エルは魔術に対して多少なりとも耐性があると言うから、そのおかげかもしれない。
「もう全然、平気」
「そうか」
ユーグレイはソファに腰掛けたまま、息を吐いた。
いつ寝落ちても良いように、互いにゆったりとした薄手の服。
食堂で早めの夕食を済ませて、こうして部屋でのんびりするのは実のところ久しぶりだった。
そもそもロッタの魔術暴発がどういう状況で起こったのか。
それをどうやって収めたのか。
そしてイレーナとの接触によって得た数多の情報の伝達もあった。
ベアからの呼び出しは勿論のこと別の管理員からも数回に及ぶ聞き取りがあり、傷病休暇だーと大手を振って羽を伸ばす間もなかったのである。
「君はここのところ随分だな。少し、いや、十分に気を付けろ」
「随分だなってどーいう感想なんだよ。随分だけど!」
ようやく解禁されたアルコールをちびちびと舐める。
夕食後は絶対酒を飲みたいという訳ではないけれど、傷に障るかもしれないから飲むなと言われると逆に飲みたくなるのが人の性。
もう痛みは全くないと言っているのに、今夜もグラス一杯の制限付きだ。
「今回のは不可抗力だろ。気を付けろったって、どーすりゃ良かったんだよ」
だらりと浅くソファに寄りかかって、アトリは文句を言った。
いや、結果としては多分かなりマシだったのではないだろうか。
二度目の魔術暴発の間際。
ユーグレイは極低威力の魔術を編んで、ロッタを気絶させた。
眠らせるとかそういう方向を期待していたのだが、直接繋がるアトリ相手ならともかく外に放つ魔術としては不可能だろうと言われたら確かにそうかとしか言えない。
気を失っていたリンは数十分で、ロッタも一晩ぐっすりと眠った後けろりと目を覚ましたと言うから、対応として最善ではあったのだろう。
件のカウンセリングに関しては、イレーナの言の通りその後実施されている様子はないそうだ。
責を問うことは難しいとベアは言っていたが、まあその辺りは管理員に任せよう。
「…………さっさと僕を呼びにくれば良かっただろう」
「おー、お前がそれを言うか?」
アトリはじと、と隣に座る相棒の顔を眺めた。
大体ユーグレイがアトリを置いてイレーナについて行ったりするから。
しかもすぐ戻るとか言って全然帰って来ないから。
言いたいことは理解出来たのだろう。
彼は僅かに視線を落とした。
「彼女の研究は、君の治療の糸口になる可能性がある。詳しい方法も聞き出したかった。ただ、相手は皇国の研究員だ。君の防衛反応の状態など知られてはどういう興味を持たれるかわからない。だから君を遠ざけておきたかった。無駄に案じさせたことは、悪かったと思っている」
「無駄とか言うな、お前は」
ユーグレイは困ったように口を噤んだ。
アトリは手の中のグラスをゆらゆらと揺らす。
身体を起こしてソファに座り直すと、小さくきしりと音がした。
「お前が、皇国の人間だからとか家族がどうとか言われてて、心配すんなって無理な話だろ。お前のそーいう話、俺全然聞いてねぇし」
「気になるのか?」
微かに驚いたような顔をするユーグレイに、アトリは「はあ?」と言い返す。
何言ってんだ、こいつは。
「気になるに決まってんだろーが。お前が話したくないかもって遠慮してたの!」
「そう、か」
それこそ無駄な遠慮だった。
ユーグレイのことなのに、イレーナは知っていて自分が知らないなどと。
そう思い知らされただけで、心底嫌な気分だったというのに。
思い返して胸に広がった鬱屈とした感情は、僅かも保たなかった。
酷く柔らかく、彼は微笑む。
「知りたいと思ってくれるのか。君も」
「………………、ーーーー」
何だそれ、狡い。
ふわりと細められる碧眼。
少し幼く見える笑みは、普段見せるそれより鮮やかだ。
アトリと名前を呼ばれて、答えを求められていると気付く。
今更取り繕うこともない。
諦めて、アトリは素直に頷いた。
「お前のことだったら、ちゃんと知っておきたい。ユーグ」
他の誰よりユーグレイという人間を知っていたい、というこの感情はどういう名前で呼んだら良いのだろうか。
アトリはグラスに残っていた麦酒を一気に呷った。
ユーグレイは、何も言わない。
ここまで言わせといてお預けを食らったらどうしようかと思ったが、彼は余韻を味わうかのように満足そうなため息を吐く。
「さて、何から話すか」
言い難いことだろうと、決してあたたかな優しい記憶ではないだろうと、アトリは気付いている。
ただそれを物語ろうとするユーグレイは、穏やかで何故か嬉しそうに見えた。
だから、やっぱりいいとは言わない。
躊躇いなく紡がれるその言葉に、アトリは耳を傾けた。
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