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3章
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しおりを挟む今日は本当に何というか運がない。
いや、逆にこれはツイていると言うべきなのだろうか。
時刻としては遅い夕食時で、どちらかといえば食堂の賑わいは酔いの混じったものに変わる頃合いだ。
珍しくユーグレイと別行動のアトリに声をかけてくる同僚も多かったが、流れで飲み会のようになる暇もなかった。
適当に頼んだスープと柔らかいパンを空の胃に収めていると、何の躊躇いもなく目の前の席に腰を下ろす人がいる。
何故。
手に持っていたワイングラスをことりとテーブルに置いて、数時間前の完全無視など嘘のように彼女は微笑んだ。
ライトグレーのパンツスーツ。
華奢なフレームの眼鏡の向こう、意思の強そうな瞳は弧を描く。
平静を装ってアトリは彼女を見返す。
「ユーグならいないけど?」
「あら、彼とは十分に話したもの。教養のある人間は好きだけれど、あんなに質問責めにされるとは思わなかったわ」
プラチナブロンドの髪を払うようにして、彼女は楽しそうにそう言う。
アトリがそうであるように、彼女もユーグレイとの話が終わって一息入れに来たということか。
偶然、だろう。
けれどそうだとして、彼女から話しかけてくるとは思っていなかった。
こちらとしても決して積極的に話をしたいと思う相手ではない。
「イレーナ・フェルナウスよ。皇国の研究院を代表して使節団に加わっているわ」
だが、何の気まぐれなのか。
きちんと挨拶までされてしまっては、アトリとしても彼女を追い払うような仕打ちはしづらい。
仕方なく名乗り返したが、意図がわからない。
静かに視線を返すと、彼女は悪意の欠片もなく少し肩を竦めて見せた。
「そんな警戒しなくても良いでしょう? 貴方とも少し話をしたいと思って」
「食い終わるまでで良ければ構いませんけど、どーいう風の吹き回しで?」
ああもあからさまに視界の外に置かれた身としては、素っ気ない返答になってしまうのも当然のことだ。
イレーナは全く意に介した様子もなく、「興味が湧いたからよ」と答える。
「興味?」
「そう。事実として、貴方の素養は特筆することのない平凡なもの。だから価値のあるデータは見込めないと思ったのだけれど、ユーグレイ・フレンシッドが貴方を高く評価しているものだから。多少の興味は湧くというものでしょう?」
「ああ、そーいう」
アトリは思わず苦笑する。
「自分のペアのことを悪く言う奴は、あんまいないと思うけどな」
実際ユーグレイには以前にも増して迷惑をかけている。
高く評価と言われたところで、笑うしかないと言うのが本音だ。
イレーナはワイングラスを傾けて、唇を濡らす。
「そういうものかもしれないけれど少なくとも彼、個人の心象とは別に評価は評価で冷静に下せる人間ではないかしら」
「…………」
「思えば彼とペアを組んで現在まで生存しているというだけで、ある意味では『優秀』なのでしょうね。貴方は」
それはアトリがどうのという話ではなく、単純に相性とか運とかそういうものの積み重ねだろう。
黙り込んだアトリに、イレーナは何故か機嫌良く口の端に笑みを浮かべる。
「意外と警戒心が強いのかしら。せっかく褒めたのに、反応が薄いと寂しいものね」
「……んなこと知りませんよ。で、それだけ言いに来た訳じゃないんでしょう。無駄は嫌いとか言ってましたよね?」
彼女は小さく笑い声を立てた。
柔らかいその声は、彼女自身の印象とは真逆に無邪気に響く。
「可愛い顔して言うことは言うのね。私もおしゃべりを楽しみたい時もあるのだけれど、いいわ」
「カウンセリングならお断りですが」
「ええ、残念だけれどカウンセリングを行うほどのことではないと私も思っているの。でも、貴方の言葉ならユーグレイ・フレンシッドも気が変わるかもと思って」
アトリはスープを飲み干して、スプーンを置く。
敢えて動揺を誘う言い方をしているとわかる。
まあ、悔しいが気になることばかりでいっそ呆れるほどだった。
ユーグレイの気が変わる、とは。
そもそもイレーナは、彼と何を話して来たのか。
彼女はグラスを指先で撫でて、瞳を細める。
見透かしたような視線。
「皇国の研究院では、0地点の観測を目的としたプロジェクトが進行しているの。誰もがまだ成し得ていない不確定領域の観測。成功すれば、いずれ0地点破壊の足がかりになる」
0地点の観測。
夢のような話が飛び出して来て、アトリは呆気に取られて彼女を見た。
冗談で言っているのではない。
本気だ。
鋭さを増した瞳を前に、一瞬でそれを悟る。
「ユーグレイ・フレンシッドは、どうしても、プロジェクトに必要な人材なの」
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