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3章
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しおりを挟む別に平気だから、とユーグレイの付き添いを断ったのは正解だった。
忙しいとか言いながら結局一時間以上も診察に時間をかけたセナは、何だか満足したような表情でアトリを解放してくれた。
待つくらいならベアに報告に行って欲しいと頼んだが、ユーグレイの報告もとうに終わっている頃だろう。
あいつ、あんなに心配性だったっけ。
明らかに納得のいかない様子だった相棒を思い返す。
いやでも無理無茶には元々厳しかったし、防衛反応で倒れた時もいつだって面会時間ぎりぎりまで側にいてくれた。
この関係の、何が変わって何が変わっていないのか。
「…………さっさと戻るか」
出口のない迷路を覗き込むような思考を断ち切って、アトリは待合室を出た。
関連の施設が集まる一角は静かで、中の混雑とは逆に人気がない。
だからすぐ向かいの壁沿いで話し込んでいた二人に、自然と目線が行った。
何故かと考えるまでもない。
アトリには気付いていないが、そのうちの一人はロッタだ。
向かい合うようにして彼女に声をかけているのも、現場に出る構成員だろう。
灰色のローブの少年は、明らかに不機嫌そうに「ロッタ」と彼女の名を口にする。
「……んー、だからそれは無理って言ったよね?」
疲れたような、呆れたような声。
そう何度も話したことはないが、あの天真爛漫な印象のロッタが発したとは思えないほど覇気がない。
敢えて声をかけるまでもと通り過ぎようとしていた足が、つい止まる。
「何で無理なわけ?」
「………………」
さて、どうするか。
アトリはそれとなくロッタの表情を窺う。
今日は完全にオフなのだろう。
ローブの代わりに羽織った真っ白いケープのリボンを指先で弄りながら、ロッタは足元に視線を落としている。
シナモン色の長い髪は、今日はサイドで緩くまとめてあるだけだ。
どことなく、元気はなさそうに見える。
逡巡を振り払うように、アトリは小さく首を振った。
お節介なら後で謝れば良い。
「ロッタ」
アトリが声をかけると、二人は揃ってこちらに顔を向けた。
一瞬の後。
戸惑うような顔をした少年に対して、ロッタはほっとしたように笑顔を見せる。
躊躇いもせずに彼女はひょいとアトリに駆け寄って来た。
「アトリさんだぁ! あれ、どっか診てもらってたの? もしかして流行りの風邪? ユーグレイは? 一緒じゃないの?」
「一気に訊き過ぎだろ……」
ロッタはふふんと笑って、アトリの腕を取った。
さっきまで話していた少年を振り返りもしないのは、わざとだろう。
「ロッタもちょっとだるくて薬もらおっかなって思ってたの。混んでた?」
「混んでた」
「やっぱり? えぇ、どうしよっかな。そんな酷くないし今度にしよっかなぁ」
そう言う彼女の顔色は確かにそう悪くはないが。
「そーいうの、ペアにバレると後が面倒だけどな」
「アトリさんが言うと説得力あるねぇ」
「だろ? リンも怒ると相当だぞ、きっと」
大人しそうに見えて、言う時は言う子だ。
ロッタも思い当たる節があるのか。
焦茶色の瞳を少し彷徨わせる。
「そぉなんだよね。ロッタこういう時全然病院とか行かないんだけど、リンちゃん怒りそうだから行っとこうかなーって」
何だ、もう随分と感化されているらしい。
うんうんと悩む振りを続けるロッタに、アトリは「それなら」と放置されたままの少年に視線を送った。
「友だちと話し込んでないでさっさと診てもらっとけよ」
気まずそうな様子の少年は、何も言わない。
新人ではなさそうだがどこか幼い印象の彼は、ふいと顔を逸らすと同時にさっさと歩き出してしまう。
やはり気軽なおしゃべりというわけではなかったようだ。
「ありがと、アトリさん」
「どーいたしまして」
含みのある礼に、アトリは肩を竦める。
逃げるように立ち去った少年は既に背中も見えない。
割り込んだアトリに文句を言うこともなく行ってしまったところを見ると、どうにも込み入った事情がありそうではあったが。
ロッタは自身の髪を指先で梳きながら、瞳を伏せた。
酷く大人びて見えた表情は一瞬で、彼女は小さな唇を尖らせる。
「ユーグレイの前にペアだった人なんだよねぇ、今の。ロッタ的にはちゃーんとバイバイしたつもりだったんだけど、なんか納得いかないみたいで」
薬を貰おうと出かけた先で会って、ここまでしつこくついて来られたのだと言う。
大丈夫か、それ。
「今はリンちゃんとペアになってるし、もう終わった関係だよねって言ったんだけど」
「…………修羅場ってたんかよ」
そういう類の話は良く聞くが、実際に目の当たりにするのは初めてだ。
呆れたら良いのか、心配したら良いのか。
ロッタはむぅと頬を膨らませた。
「あのねぇ、アトリさんみたいにずーっと同じ人とペアでいるなんてなかなかないんだよ? ロッタだってそーいう運命みたいなの憧れたけど、全然だったし」
「へぇ」
「へぇ、とかぁ! これだから勝ち組はー!」
「んな良くわかんないことで怒られてもな」
むむむと可愛らしく唸ったロッタは、ふと肩の力を抜いて息を吐いた。
「でも、ロッタも今は勝ち組かも? リンちゃんてばロッタの方が先輩なのにすごく大事にしてくれるんだもん」
大体数日ペアとして働いたら普通は飽きちゃうんだけど、ととんでもないことを口走った彼女は「不思議だなー」とぼんやり続ける。
「女の子とペアになるとか気まぐれだったんだけどなぁ。言いなりになってくれないしプレゼントくれるわけでもないのに、何でかな? リンちゃんのこと結構好きなんだよね」
魔力がきらきらだからかな、とロッタは首を傾げた。
そう思ってくれるのか、この子は。
アトリは思わず彼女の頭をぽんぽんと撫でる。
彼女は上目遣いにアトリを見て、「そーいうのはなし」と何故か悔しそうに言った。
「ごめん、つい。なら尚のこと色々相談しとけよ。体調良くないのも何かトラブってんのも、きちんと言っといて損はねぇと思うけど?」
実体験である。
はぁい、と返事をしたロッタはやっとアトリから数歩離れた。
きちんと病院に行くことにしたらしい。
彼女は、「またね」と呑気に手を振った。
体調不良か。
顔色は悪くないし、明確な風邪の症状も話している限りでは見受けられなかった。
怠い、と言っていたか。
何にせよ医師に診てもらうのなら安心か。
ふわりとロッタが羽織ったケープが揺れる。
「…………皇国の」
もう踵を返していたロッタは、くるりとこちらを振り返った。
唐突なアトリの言葉に、きょとんと瞬く瞳。
「皇国のカウンセリングとか、受けた?」
「皇国のカウンセリング? 何でぇ? 受けたけど、突然どしたの?」
「……いや、大したことじゃない」
受けたのか。
ロッタはこてりと首を傾げたまま、「変なの」と笑う。
「ロッタ、一応皇国の出身なの。だから毎年そーいうの声がかかるんだよね。色々話せるから嫌いじゃないけど」
「そっか」
彼女は「ふぅん」と訳知り顔でにまりとした。
「ダメだよぉ、アトリさん。研究員さんがキレイだからって浮気は良くないと思うなー。ロッタ、そーいうの面白がってついあちこちで話しちゃうから、すぐユーグレイにバレちゃうよ?」
「何の話してんだ、何の」
見当違いも甚だしいが、余計な疑問は抱かせずに済んだらしい。
ロッタは今度こそひらひらと手を振って、まだ混雑の気配に満ちた待合室に入って行った。
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