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黒文鳥

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3章

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 寝室は、かつてのそれよりかなり狭い。
 備え付けのベッドに小さなチェスト、クローゼットがあるくらいで完全に寝るためだけの部屋だ。
 相部屋という性質上仕方ないし、それで十分ではあるのだが。
 ユーグレイと二人でいると逃げられない感が、凄い。
 それでも診察よろしく横になれと言われて、素直にベッドに横たわる。
 ベッドの端に腰を下ろしたユーグレイは何故か少し面白がるような顔をして、アトリの額を撫でた。

「本気で寝かしつけんなよ」

「君が随分素直だからつい、な」

 抵抗するような話じゃないから、当然だ。
 とはいえそう言われて気恥ずかしさがないわけでもない。
 アトリはさっさと左手を差し出して、ユーグレイの手を握る。
 短く息を吸った彼がゆっくりと魔力を流し込んで来るのがわかった。
 冷水に手を浸していくような感覚。
 けれどユーグレイが最小限と宣言したように、その魔力は限りなく少ない。
 アトリの身動ぎ一つ見逃すつもりはないのだろう。
 縫い止めるような視線に、苦笑を返す。

「…………どうだ?」

「どうって、普通に魔力受け取ってるって感じだけど」
 
 恐らくは既に試しているのだろうが、眠気が寄ってくるどころか魔力を受け取っている状況に対して目は冴える一方だ。
 身体に流れ込んで来る魔力は、魔術として消費されなければ時間と共に自然と抜け落ちてしまう。
 セルと違って、エルには魔力を生み出す機構もなければそれを溜めておく機能もない。
 ユーグレイは息を吐いて、魔力の譲渡を続ける。

「そうか。やはり、難しいものだな。魔術の構築のやり方は、そもそも感覚に頼っているのだろう?」

「身体を動かすのと一緒で自然とそう出来るから、意識なんてしてないって感じかな。だからどうやるって聞かれても、困るんだけど」

 だがそれではあまりに手探りが過ぎる。
 ユーグレイだって、やり方のわからないものを説明も受けずにやるのは困難だろう。
 手応えがないもの当然だ。

「……ラルフさんに脅されたけど、心身を掌握される行為って感じはしねぇのな。別に気分が悪いとはそーいうのもないし」

 頭を傾けると、心地の良い衣擦れの音がする。
 ユーグレイは集中しているのか、ただ頷いただけだった。
 必死だな、と彼の顔を見上げてアトリは思う。
 これだけ的確に量を絞って且つ途切れることなく魔力を注ぐのは、きっと彼であってもそれなりに難しいのだろう。
 
「ユーグ」

「どうした?」

 名前を呼んだだけで、はっとしたようにユーグレイは問う。
 何か変調があったのかと案ずる視線に、アトリは首を振る。
 多分。
 そんな優しいやり方では、駄目だ。
 エルとしての機能の一部をユーグレイに譲るというのは、神経を繋ぐようなものだろう。
 こんな風にひたすらにアトリを気遣っていて出来ることではない。
 まあでも、そう言ったところでユーグレイが強引なやり方を選ぶとも思えない。

「ちょっと、試して良い?」

「何を」

 何もかもユーグレイに任せっぱなしというのは性に合わない。
 元々これは、アトリの問題だ。
 握った手に力を込めると、彼は怪訝そうに眉を寄せた。
 ゆるゆると溢れていく魔力に意識を向ける。
 魔術を紡ぐ気配を、ユーグレイは敏感に察知したようだった。
 アトリ、と咎める声。
 ただ形を定めた魔術が発動する方が、圧倒的に速かった。
 繋いだ手の感覚が、真っ先になくなる。
 ぎしとベッドを軋ませて、ユーグレイが身構えた。
 急激に曖昧になる境界。
 解けて、溶けて。
 そうして内側へと彼を招き入れる。
 なるほど。
 神経を繋いで、その機能をユーグレイに預けることは。
 確かに、心臓を直に掴まれるようなイメージに近い。
 
「……っ、ユーグ」

 心身を掌握されるというのは、こういうことか。
 言葉も、呼吸も、五感も。
 ユーグレイが許してくれなければ、何もかもが止まってしまうような錯覚に陥る。
 これくらいならと行使した魔術は、全くあっさりとアトリの首を絞めた。
 落ち着こうと吐き出した息から先、上手く酸素が吸えない。

「アトリ!」

 繋ぎ合わせた深い部分に、ユーグレイの動揺が直に叩き込まれる。
 彼の支配下にあると、その感情も感覚も刺すように伝わってくるようだ。
 いや、そこまで影響を避けられないのは予想以上と言うべきだろうか。
 この状態であれば、ユーグレイがアトリを眠らせるなんてきっと容易いことだ。

「息、させて。苦しい」

 ただ、とにかくそれが最優先だった。
 ユーグレイはアトリの言葉をどれほど理解してくれただろうか。
 咄嗟にアトリの上体を抱き起こして、唇を開かせようと繋いだ手を解こうとする。
 
「違う。許して、くれれば、それで良い」

「どういう」

 またやらかしたな、とアトリは苦く思う。
 流石に軽率だった。
 例え受け取った魔力が限りなく少ないものだとしても、アトリの魔術が狂っていることに変わりはない。
 余計な心配をかけてしまった。
 
「繋がってんの。お前に、全部、預けてる。だから深呼吸して、ユーグ」

 身体は自身の意思では殆ど動かない。
 自分でもどうかと思うほど抵抗なく、ユーグレイに全てを明け渡してしまったらしい。
 別に構わないと思っていたからか、或いは既に組み敷かれ暴かれることを知っているからか。
 ラルフの話より、遥かに行き過ぎた状態だろう。
 必死に重ねた言葉を聞いて、ユーグレイは静かに息を吸った。
 呼吸をするという彼の意識が、パニックを起こしかけた脳にようやく伝播する。
 深く吸った息を、吐き出す。 

「は、ーーーーっ、あぁ、しんど、かった」

 ユーグレイと同じ呼吸を繰り返して、ようやく安堵する。
 ぐったりとユーグレイに身体を預けたまま、アトリは目を閉じた。
 
「……ごめん、今のは、俺が悪かった。多分、感覚的には合ってるけど、やり過ぎだ、これ」

 魔術の構築を任せるどころか、完全に身体も意識もユーグレイの影響下だ。

「君は……、毎回」

 絞り出すようなユーグレイの声に、重い瞼を持ち上げる。
 まだ繋がったままの手から、痛いほどの感情が流れ込んで来た。
 息が止まるような、鮮やかな激情。
 眼前にある呆れたような表情からは決して窺えないそれに、戸惑う。

「アトリ、大丈夫か?」

「え、あ、うん。大丈夫、落ち着いて来た」

 全く、と溜息を吐くユーグレイは常と変わらない様子だ。

「…………まだ繋がってるから、やってみるなら今だと、思うけど。魔術を構築する感覚を掴むなら、これが一番だろ?」

 アトリは繋いだ手に視線を落として、そう勧めた。
 ちょっと一杯一杯だから、いっそのこと早く眠らせて欲しい。
 ユーグレイは逡巡して「防衛反応は?」と訊く。

「や、今んとこ、何も」

 怖い話ではあるが。
 今ユーグレイに「防衛反応が起きているはずだ」と言われたら、その瞬間スイッチが入るだろうという確信があった。
 繋ぎ方が悪かったのか。
 いや、上手く繋がり過ぎたのだ。
 あまりに深いところを掌握されて、けれどユーグレイはそれに気付いていないようだった。
 その話題から離れたくて、「俺が寝ちゃえば、普通に繋がってんのも解けると思う」と続ける。

「そうか」

「眠れって、思うだけで良い。それでもう、形になるから」

 ユーグレイは静かに、アトリの髪を撫でる。
 目を閉じて彼に委ねると、その指先が瞼をなぞっていった。
 だからそういうのは、ヤバいんだって。

「……ユーグ、早く」

 焦ったくて急かしただけなのに、何がいけなかったのか。
 身体を支えていたユーグレイの手に、力が籠った。

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