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3章
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しおりを挟む第五防壁での体調不良に関する聞き込みは予想通りと言うべきか、さして有益な話も聞けないままに終わった。
風邪が流行っていると言えばそれまで。
そもそも多数に声をかけて実施されているカウンセリングと関連があるかなど判断のしようがない。
ラルフの話は一先ず明日にでもベアに報告しようと決めて、少し早い夕食を終えた。
いつもならもう少し食堂でゆっくりするのだが、ユーグレイに促されて自室に戻ることとなった。
温かいシャワーを浴びてから、ソファで結局だらだらと話し込む。
これなら別に食堂で飲みながらでも良かった気はするが。
ふと窺ったユーグレイは、常より少しだけ柔らかい気配を纏っている。
薄い長袖のシャツにズボン。
ローブを羽織っていないだけなのに、無防備に見えるのは何故なのか。
いや、それより。
「格差ー」
「……何がだ」
湯上がりから解かれたままの銀髪が揺れる。
いや、本当に。
カンディードの女性たちが悲鳴を上げるのも、納得である。
アトリはしみじみと相棒を見遣って、「良い男だなーって」と投げやりに返す。
ユーグレイは微かに瞳を細めて笑った。
こいつは、全く。
「そんで、なんか話があんじゃねぇの?」
アトリはソファの背凭れに背中を預けて問いかけた。
現場に出て無理をしたわけでもないのに、食堂での長居を止めたのはそういうことだろう。
隣に腰掛けたユーグレイは、静かに頷いた。
「あの話を試したい」
あの話、と言われて日中ラルフに説明された一件がすぐに思い浮かんだ。
セルがエルの代わりに魔術を構築することで、エルの負担を軽減する。
ユーグレイが「特殊な方法でしか出来ないのか」と尋ねた時点で、予想はしていたけれど。
アトリは膝を抱える。
「良いけど」
「良いのか」
なんでそこで聞き返すんだ、と笑うとユーグレイは一瞬黙り込んだ。
アトリとて自身の現状をどうにかしたい気持ちは当然ある。
それがどういう感覚になるものなのか、果たして苦痛を伴うのか。
疑問はあるが、相手がユーグレイであるのならさして不安はない。
「実際ユーグが魔術の形を決める方が強そうではあるし。それで上手いこと威力が調整出来るなら、俺の防衛反応も強くは出ないかもしんないだろ? ほら、悪くない話じゃん」
「いや、それより」
ユーグレイはするりと手を伸ばして、アトリのこめかみに触れた。
いつもより少しだけあたたかい指先。
流石にぎくりと身体が強張ったが、そこに他意がないことはわかっていた。
真摯に向けられた碧眼。
膝を抱えた腕に力を入れて、必死に平静を装う。
「アトリ。君の防衛反応を治したい」
紡がれた言葉に、咄嗟に返事が出来なかった。
ああ、そうか。
根本的にそれが元に戻れば良いと、ユーグレイは思うらしい。
ただ。
「…………治すって」
治癒という魔術は、すでに失われたものだ。
アトリがニールの傷に施したのも、強化の魔術の延長と言った方が正しいのだろう。
挙句それで危ないことになったのだから、軽々に扱えないことは承知の上である。
だからこそ、自分でそれを治すという選択肢は最初からなかった。
そもそも壊れたそれは、魔術行使と防衛反応のどちらにも関わる器官だ。
潰れた両手でその両手の手術をするのは不可能だと、誰だってわかるだろう。
けれど確かに。
それが他人の手であれば、どうなのか。
「最終的にはそれを目的にしたいという話だ。練習が必要と言われただろう。僕にも『魔術を紡ぐ』という感覚は、まだ想像も出来ない」
「そりゃあ、それまでさらっとやられたら俺の立場ねぇだろー」
ユーグレイはようやく手を下ろした。
アトリは「で?」と先を促す。
「練習って、どうやんの?」
ユーグレイは軽く自身の右手を開いて見せた。
「魔力の受け渡しまでは、いつも通りだ。君はそこから魔術を使わない。僕は魔術の構築を試す。勿論、渡す魔力は最小限で、構築する魔術も危険がないものにしたい」
「危険がないものってのは、探知とかそーいう」
「最終目的があるから、魔術は君に干渉するものにしたい。その上で危険がないものと考えると、『眠らせる』というのが適当だと思うが」
「つまり俺は魔力を受け取るだけで、その後ユーグに寝かしつけられるわけか」
アトリの言葉に、ユーグレイは笑って「そうなるな」と頷いた。
そうなるな、って。
「ただ君がどういう反応を起こすかは、正直やってみないとわからない。異変を感じたらすぐに止めるつもりではいるが、君自身も何かあったらすぐに言ってくれ」
わかった、と答えるとユーグレイはゆっくりと立ち上がった。
君の部屋に行こうと言って、彼は当然のように手を差し出す。
それは。
現場で魔術を行使した日、身体を重ねる時の誘いと同じ仕草だった。
恐らくは無意識だったのだろう。
アトリが微妙な表情をして、ユーグレイはようやくそれに気付いたようだった。
気付いた上で差し出した手を下ろさない辺り、彼は本当にどうしようもない。
アトリは仕方なく、その手を握って立ち上がった。
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