Arrive 0

黒文鳥

文字の大きさ
上 下
55 / 181
3章

3

しおりを挟む

「いや、お元気そうで良かったです。お久しぶりってほどではありませんが、あれからお顔を見る機会がなかったので」

 ラルフは鳶色の瞳を穏やかに細めてそう言った。
 言いながら、若干所在なさげに眼鏡を掛け直す。
 アトリの僅かな逡巡さえ見抜いた彼だ。
 何も言われなくても、良くは思われていないことを感じ取っているのだろう。
 うん、だから無言で圧をかけるのはやめようか。
 何故かあまり機嫌の良くない相棒の代わりに、アトリは努めて明るく「ラルフさんも元気そうで」と返した。

 無茶を言ってついて来たという話ではあったが、それでもラルフ・ノーマンは皇国の使節団の一員である。
 会いたいと言って会えるかは微妙なところだと思っていたが、駄目元で昨夜のうちにベアに連絡を取ってもらっていた。
 そちらに反応がなくても、あの人なら第五防壁をうろうろしていれば会えそうだという気もしていたが。
 早々に「では第五防壁の談話室で」と返事があって、午前の比較的早い時間にこうして会うことが出来たのだ。
 相変わらず人気のない広い談話室。
 分厚い本を読みながら待っていたラルフは、まるで親しい友人に対するように笑顔でアトリたちを迎えてくれた。
 勿論ラルフと出会った経緯については、ユーグレイに説明済みだ。
 別段警戒をするような相手ではない。
 コーヒーと焼き菓子まで準備してくれたラルフは、お茶会の気分なのかとてもにこやかだ。

「今日は、リンさんとご一緒ではないんですね」

「もう研修が終わったんで、ペアも決まって無事に独り立ちしましたよ」

 そうでしたか、とラルフは頷いてそっと視線をユーグレイに送った。
 客観的に顔の良い奴が無表情でいると、怖い。
 ご友人ですか、と聞かれてアトリは一瞬言葉に詰まった。
 さて、思い返せば酷く不安定だったあの時。
 名前までは言わなかったが、ユーグレイについて気恥ずかしいことを多々口走った記憶がある。
 聡い彼のことだから、紹介した瞬間にバレそうだ。
 
「アトリ」
 
 ほんの僅かな間だったはずなのに、隣に座ったユーグレイに低く名を呼ばれた。
 その声には微かに責めるような気配がある。
 何の罰ゲームなんだ、これは。
 アトリはコーヒーで口を湿らせてから、諦めて「ペアです」とユーグレイを紹介する。
 
「アトリさんの、ペアですか。また研修とかではなく?」

「……元々、ペアだったんですが。改めて」

「ああ、そうでしたか!」

 ラルフに嬉しそうな顔をされて、アトリは居た堪れない気分のまま項垂れた。
 緊張の解けた表情で彼はユーグレイを見る。
 うんうんと頷いて、「それは良かった」と保護者のような表情で微笑む。
 
「いやぁ、部外者がどうこう言うことではないでしょうが、あまりアトリさんをふらふらさせておくのはどうかと思いますよ。どこに悪い人がいるかわかりませんからね」

「ラルフさん……。俺、んなに子どもじゃねぇんですけど」

 揶揄われているのか。
 あの時の言葉をユーグレイにバラされるよりはマシだが。
 ラルフの明るい声音に対して、どことなく空気は重い。
 そろりと窺ったユーグレイは、静かに笑みを浮かべてはいた。
 温度のないそれにアトリは息を呑む。
 ラルフは向けられた敵意に気付いているだろうか。
 すみませんつい、と言いつつ彼は呑気に焼き菓子を口に運ぶ。

「忠告痛み入る」

 ユーグレイが口にした言葉は、たったそれだけだった。
 ただそれだけなのに、怒ってんなこいつとわかってしまう。
 何でだ。
 口をつけたコーヒーを味わう余裕もない。

「今日はそれで、どうされたんですか?」

 一方のラルフは朗らかな口調でそう問う。
 鋭いのか鈍いのか、いまいちわからない人だ。
 とはいえ助かった。
 アトリは「実は」と本題を切り出す。
 話しやすい相手ではあるが、ラルフも立場があるだろう。
 完全にこちらの味方として情報を開示してくれるとは思っていない。
 ただ同僚たちに聞き込むにしたって限度はあった。
 多分、アトリたちが出来ることはここまでだろう。
 後はベアに報告して、管理員たちに任せれば良い。
 だから成果の有無はさして気にはしていなかった。
 けれど事情を聞き終えたラルフは、予想に反して真剣な様子で考え込む。
 ふう、と吐き出した息は重い。
 
「…………お気付きとは思いますが、まず前提として皇国の名を負って来ている以上、誰であれここで下手なことはしないと考えます」


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。 彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。 ……あ。 音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。 しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。 やばい、どうしよう。

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

王子様から逃げられない!

白兪
BL
目を覚ますとBLゲームの主人公になっていた恭弥。この世界が受け入れられず、何とかして元の世界に戻りたいと考えるようになる。ゲームをクリアすれば元の世界に戻れるのでは…?そう思い立つが、思わぬ障壁が立ち塞がる。

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

匂いがいい俺の日常

とうふ
BL
高校1年になった俺の悩みは 匂いがいいこと。 今日も兄弟、同級生、先生etcに匂いを嗅がれて引っ付かれてしまう。やめろ。嗅ぐな。離れろ。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる

クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

処理中です...