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黒文鳥

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2章

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「ほら、言わんこっちゃない」

 診察を終えてローブを羽織った瞬間に、思い切り背中を叩かれた。
 カルテ片手に少し怒った顔をしているのは、セナだ。
 
「自分の相棒、甘く見てる訳じゃないよね? 君が無理してるのなんて即バレるに決まってるでしょう」

「もう俺の相棒じゃないですって」

 その返答はやはり間違っていたらしい。
 今度はカルテで頭を叩かれた。

 週に一度は必ず、何かあればすぐに診察に来なさい。
 そう言われていたはずが、ここ最近は忙しさにかまけて病院へは足が遠のいていた。
 治療の仕様がないんじゃ行ってもな、という気持ちがなかったとは言わない。
 けれどリンにああして泣かれてしまっては、反省せざるを得なかった。
 研修の合間一日予定が空いたので、気は重かったが久しぶりに診察を受けようと重い腰を上げたのだ。
 診察室で向き合ったセナがどういう顔をしていたか、言うまでもない。

「君は、あれなの? マゾヒストだったのかな? キツイ方が好きって言うのならそういう態度でも構わないけど、私は知らないよ。忠告無視して滅茶苦茶されちゃったのは誰だったのかなー」

 診察をサボっていた期間の体調から自身の近況まで洗いざらい吐かされて、最終的にその台詞は耳に痛い。
 診察台の椅子に腰掛けて、セナはようやく真剣な表情でカルテに視線を落とした。
 彼女の溜息が、無機質な診察室に響く。
 
「ちゃんと食べてない、とか。あんまり寝れてもいないんじゃない? 色々黙って彼とペアやってた時はそこまでじゃなかったでしょ。防衛反応の暴走もあるけど完全に心因性だね、それ」

「………………」

「正直そこまでの自罰感情があると思ってなかった私も悪かったけど。君が新人の研修に付き合うなんて言い出した時に、ちゃんと気付くべきだったね」

 セナはするりと脚を組んで、「安定剤は効かなかったか」とカルテにペンを走らせる。
 違うの飲んでみる? と訊かれてアトリは首を振った。
 根本的に防衛反応これが治らないのなら、何も飲んでも意味はないのだともう思い知っている。
 
「……自己治癒力とか私もちょっと期待してたんだけどね。酷く悪化はしてないけど改善は見られない、と」

 あの起因から、もうかなりの日数が経っている。
 自然と治るものであるのなら、兆しが見えていても良いはずだ。
 そんなことは既に諦めていたアトリは、セナの横顔をぼんやりと眺める。

「わかるんだけどね、アトリ君。生まれ持った機能が壊れて戸惑わない人間は殆どいない。君の場合は仕事に直結することだし、何なら今後の生活もがらりと変わる。挙句一番信頼していた相手を自分が傷付けて嫌われただろうなんて思い込んだら、精神的に追い詰められるのは仕方ないことだって」
 
 セナはカルテを閉じると、頬杖をついてアトリを流し見る。
 呆れたように目を細めた彼女は、「でも甘やかすべきじゃなかったんだね」と呟く。
 
「彼とちゃんと話すべきだよ、アトリ君」

「……めっちゃ怒ってましたけど、あいつ」

「怒られて来なよ。君だって、もう謝りたいんでしょ? 何なら殴り合いでもして語ってくれば良いじゃない。現状、薬は出してあげられないし治療法もないけどさ、多分それが一番効くんじゃないの?」

「………………」

 セナは薄桃色の髪を揺らして、ふっと微笑んだ。
 君は自覚がないだけだよ、と言われてアトリは黙り込む。

「大丈夫。絶対に仲直り出来る魔法の言葉を教えてあげよう。ここ一番で使いなさい」

 その指先が額に触れる。
 仲直り、か。
 
「もう一回抱いてって言えば良い」

「抱い………、は?」
 
「おやー、もっと激しくされたいなら他に言いようもあるけど」

 マジで何言ってんだ、この人は。
 彼女は笑ってはいたが、それを「冗談だよ」と撤回はしなかった。
 たちが悪いと頭を振ったアトリに、彼女は平然と「もう良いじゃない」と言い放つ。
 何が、良いんだ。
 
「本当悪いことは言わないからさっさと元の鞘に戻りなさい。結構ギリギリのとこだと思うよ? 君が無理してるってわかった以上、向こうだって本気出してくるでしょ。監禁とかされたいタイプなの、君?」

「監禁て、んな物騒な。いくらあいつが怒ってたって、そこまで」
 
 刑罰的なことまではしないと、もちろん信じてはいる。
 信じてはいるけれど、あそこまで彼を怒らせたことはないから若干の不安は漂う。
 セナは閉じたカルテを振って、悪い顔で笑った。

「一週間後、無事だったらちゃんと診察に来るように。捕まっちゃっても、まあ診察くらいは許してもらえるようにお願いするんだね」

 無事だったら? 捕まっちゃっても?
 含みのある言い方で「お大事に」と締め括られてしまっては、それ以上何も言えなかった。
 仕方なく頭を下げて、アトリは診察室を出た。


 待合室は如何にも「病院」と言った雰囲気で、綺麗だ。
 受付カウンターの奥、慌ただしくスタッフたちが行き来している割に静かで、この空気感は嫌いではない。
 訪れる人間が身体的精神的に傷を負っていることを考慮してだろう。
 広い待合室の壁は淡いクリーム色をしていて少し落ち着く。
 壁際に並ぶ椅子に腰掛けて、アトリは呼び出しを待つ。
 診察費は完全に組織負担、薬代だってかかるわけではない。
 無料で医者にかかれるなんて言うのは、正直今でも信じられないくらいだ。
 まあ今日みたいに空いていても、上に申請するための書類作成や手続きでこうして待合室で待たされるのだが。
 ふ、と息を吐いてアトリは診察室に続く細い廊下を眺める。
 セナの診察室はかなり奥にあるから、ここからは扉も見えない。
 彼女が変わり者なのは重々承知していたが、全く好き勝手言ってくれる。
 もう一回、なんて。

 どさ、と乱暴に腰を下ろす音がした。

 すぐ隣だ。
 そんなに混んではいないから、わざわざ隣の椅子に座ることはないだろう。
 だから自然と警戒をしたまま、アトリは視線を向ける。
 茶色の癖っ毛に、不機嫌そうな猫目の青年。
 
「…………カグ」

 何でこんなとこに。
 ばちりと目が合って反射的に立ち上がろうとしたアトリの肩を、カグはぐっと掴んだ。

「なあ、テメェ、ちょっと面貸せよ」

 
 
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