Arrive 0

黒文鳥

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1章

0.2

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「それ、いつも食ってるけど好きなの?」

 夜間哨戒を控えた少し早い夕食の席でアトリにそう聞かれ、ユーグレイは首を振った。
 深い意味はないだろう。
 目の前の席に腰を下ろしたアトリは、悩んだ末にシチューにしたらしい。
 いくつか気に入ったメニューがあるようだが色々試すのも好きなようで、あれは美味しかったとかあれはちょっと辛かったとか折々報告をしてくる。
 
「特別に好みという訳ではないが」

 言われてみれば。
 ユーグレイは彼と違って、いつも同じメニューを頼む。
 野菜の煮込みに、日替わりで肉か魚のソテーが付く定番だ。
 パンとスープは好きなように食べることが出来るから、手軽に補給が出来る。
 アトリはユーグレイの返答に、不思議そうな顔をした。
 不思議と言えば、彼と当然のように食事を共にするようになったのはいつからだろうか。
 ユーグレイの予想に反して、アトリとのペアは何事もなく順調に継続していた。
 セルとエルとして積極的な接触は避けてはいたが、それでも魔力の受け渡しが皆無になる訳ではない。
 毎回その時が来るとこれで終わりかと静かに思ったものだが、当のアトリはユーグレイの魔力を受け取っても顔色一つ変えなかった。
 無理をしているのか、或いはユーグレイがなるべく少なく魔力を渡そうと気を回した結果か。
 彼の口からはまだ「ペアを辞めたい」という言葉は出ていなかった。

「何かつい頼んじゃうやつってこと?」

「いや、そもそも何を食べても同じだろう」

 スプーンで掬ったシチューを口に運ぼうとしたまま、アトリは固まった。
 
「え、同じじゃないだろ?」

「そうだな、栄養素的には違うか」

「栄養素!? 何で?」
 
 何を訴えたいのか。
 少し離れたテーブルから「何だ、ケンカか?」と冷やかすような声が上がる。
 アトリは「取り込み中ですんで」と言い返して、ユーグレイに向き直る。
 
「待て待て、え? がっつり肉食うのと魚のスープ飲むんじゃ全然違うよな? 何食べても同じって、どういうこと?」

「そのままの意味だが」

 味がしない、という訳ではない。
 味覚に異常はないはずだ。
 けれど、どうでも良いと思ってしまう。
 何を口にしたところで、どうとも感じないのであれば「何を食べても同じ」だ。
 アトリは戸惑った様子で、一瞬沈黙した。
 そして唐突に、スプーンを手に身を乗り出す。
 ひと掬いのシチュー。
 勢い良く口元に突きつけられるそれに少しばかりの危険を感じて、ユーグレイは咄嗟に口を開いた。
 無理やり食べさせられた、その一口をゆっくりと飲み込む。
 
「同じじゃ、ないよな?」
 
 アトリは恐る恐る、そう問う。
 味覚障害とかそういうものを心配されたのだろう。
 まるで自身のことのように、声は真剣だ。
 たかが食事だ。
 ましてユーグレイがそれをどう捉えていようが、彼には関係がないはずである。
 馬鹿馬鹿しいことに、心配などされているのか。
 だがどうしてか。
 向けられたその感情に胸を突かれるような衝動があった。
 ユーグレイ、と答えを求められて彼の黒い瞳を見返す。
 特別な食べ物ではない。
 食堂の、ありふれた味のシチューだ。
 当然いつも食べているものと、味は違う。
 そう、違うものだ。
 
「…………違うな」

 アトリはほっとしたように腰を下ろした。
 何だ、じゃあどういう意味なんだ、と聞かれても、上手く説明出来る気がしない。
 ユーグレイの顔を見て、アトリは「ちゃんと美味いなら良いんだけど」と肩を竦める。
 
「何故?」

 思わず、そう問いかけていた。
 ユーグレイの唐突な問いに、アトリはぱちりと瞬く。

「何故って? 何が?」

「君には関わりのないことだ。気を留めるようなことでもないし、価値のある議題でもない。何故拘る必要がある?」

 それが籠絡の手管であるのなら、いっそ理解が出来る。
 アトリは「また難しい聞き方して」と眉を寄せて、緩く首を振った。
 考えることを放棄したように、彼は苦笑する。

「お前にわかんないこと、俺にわかるはずないだろ」
 
 煙に巻くような言い方をされて、恐らくは無意識に納得がいかない顔をしていたらしい。
 アトリはユーグレイの表情に、考え込むように視線を泳がせて。
 手にしたスプーンでユーグレイの皿からソテーの一欠片をひょいと奪うと、自身の口に放り込んだ。
 そして、楽しそうに笑う。

「んなに変な話してたか? 一緒に飯食ってんだから関係ないってことはないだろ。薄情者ー」

「……………………そうか」

 張り詰めていた何かが、不意に緩んだ。
 呆れるほどに下らなくて、他愛のない話だ。
 ああ、けれど。
 こんな会話を誰かと交わしたのは、いつ以来なのか。
 
「それはそうとして、先ほどの一口に対して対価が大き過ぎる気がするが?」

 ユーグレイが静かに続けると、彼は驚いたような顔をしてそれからまた笑い出した。
 
「意外とケチだな、ユーグレイ」

 そう言われて、どうとも思わなかった。
 ただ悪い気分ではなかったことは確かである。
 楽しそうな彼の瞳に、当初あったはずの警戒心は欠片もない。
 何の目的もないくせに一緒に食事を摂り、気を遣うわけでもなく言葉を交わす。
 挙句こちらを警戒しなくても良い相手だと見定めたらしい。
 全く、理解の範疇を超えている。
 
 アトリという人間は、随分と変わり者らしい。

 ユーグレイはそう思った。


 
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