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黒文鳥

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1章

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 第二区画に出る門の前には、人だかりが出来ていた。
 銀製の大きな門扉は片方だけ閉められていて数段の階段を降りた先、黒々とした海が見える。
 防壁の内側では集まったペアたちが門の突破という事態を防ぐため、魔術行使の準備に入っていた。
 開けたスペースでは怪我をした組織員たちが応急手当てをしていたり、医師が搬送の手配をしていたりと騒然としている。
 管理員たちの指示で、数組のペアが区画へと出て行った。
 
「ユーグ!」

 アトリはその混乱の中、相棒の名を呼んだ。
 見知った顔はいくつかあるが、肝心の銀髪は見当たらない。
 互いに姿を見つけられないだけだろうと思ったが、知らず焦燥感が募る。
 そういえばこうして別々に現場に駆けつけるなんてことは、滅多にない。

「いやぁ、クッソでけぇぞ! しかも人間と見たらすげぇ勢いで襲ってきやがって」

 腕から血を流した男が門の中に戻って来るなり、そう声を上げた。
 傷口は細長い線のようで出血自体も多くないが、内部が損傷しているため腕は赤黒く変色している。
 特殊個体に襲われた際に出来る特有の傷だ。
 少し遅れてついて来た細身の女性は、彼のペアだろうか。
 心配そうにその傍に寄り添う。
 医師が駆けつけて、男の治療を始めた。
 彼はその合間も、興奮した様子で現場の状況を捲し立てる。
 第二区画では十数組のペアが対象を包囲して攻撃を続けているようだ。
 防壁内の防衛魔術に加えて、門を出た先でもかなりの数のペアが守備に回っていたと言う。
 その守備側につい先程人魚が突っ込み、怪我人が多数出た。
 幸い討伐側のメンバーが人魚を牽制、誘導に成功して、現在戦場は門から少し離れているそうだ。

「あの図体でバカみてぇに速くてよ! いや、連中のガワってのは半分実体がねぇんだな、ホント。おい、みんな気をつけろよ、海中に潜ったら次どこに出てくるかわかんねぇ。感知したと思ったらすぐ目の前だ」

 どうやらそれで腕をやられたようだ。
 それでもペア揃って命があったのだから、幸運だろう。
 まだ動けない奴がたくさんいる、早く行ってやってくれ、と言葉が続く。
 管理員が慌ただしく区画にペアを送っているのは、救助のためか。
 大まかに状況を把握して、アトリはまた周囲を見回した。
 ふと、壁に寄りかかるようにして座り込んでいる同期の青年と目が合う。
 向こうもアトリに気づいたらしく、重そうに上げた手をひらひらと振った。
 
「おー、アトリ。お前も置き去りだろ? 仲良く待ってようぜ」

 呑気にそう言う彼に駆け寄ると、顔色が悪いだけで怪我はなさそうだ。
 恐らく活動限界で身動きが取れないだけだろう。
 けれど、置き去りとは。
 青年はアトリの表情を見て、不思議そうに首を傾げる。

「あれ、もしかしてユーグレイ何も言わずに行っちまったの?」

「行っちまったって、どういう」

「いや、ちょっと前にベア先輩がバラの人員まとめて救助班作って現場に向かったんだよ。オレの相方も、ユーグレイも一緒にさ。まあ、バラって言ってもちゃんとセルとエル加えてたし、先輩もついてるから心配ないって」

 そろそろ戻ってくるだろ、と言われてアトリは半分開かれた門扉に視線を送る。
 そうだ。
 ユーグレイはカンディードで実力を認められた銀剣持ち。
 一刻を争う状況下で、管理員から指示が出るのは当然だろう。
 救助を請われれば、ユーグレイは当然それを受ける。
 何故待っていてくれなかったのかとアトリが口にする権利はない。

「ああ、もしかしてぶっ倒れてるうちに置いてかれた口か? 気持ちはわかるけど、ユーグレイのやつなら大丈夫だろ。ーーアトリ?」

 おい、と呼びかける声を背に足は海へと向かっていた。
 ここでユーグレイの帰りを待って、彼が戻って来たら合流してペアとして動くのがきっと正しい。
 でも、「待って」いたくない。
 対等な関係として、せめて今だけはきちんと隣に立っていたいのだ。
 門扉の近くで指示を飛ばしていた管理員が、アトリに気付いて制止の声を上げた。
 その一切を無視して、区画へ出る。
 数段の階段を飛ぶように降りると、重い海水が足に纏わりついた。
 雲のない夜空には明るい月が浮かんでいる。
 柔らかく照らされる第二区画の海には、かなりの数の組織員が確認出来た。
 だがその多くが既に戦力ではない。
 残されているのは、自力では防壁内に逃げることが出来ない怪我人だ。
 膝までの海に下半身を浸して座り込む彼らを、救助班が手分けして搬送している。
 
「…………守備、崩壊してるな」

 特殊個体による怪我人と言うのは珍しくはないが、これほどの規模の被害は初めて見たかもしれない。
 広範囲に防衛要員を配置していたが、その中央まで人魚が突っ込んで来て暴れたのだろう。
 そういう混乱の後が見て取れる。
 アトリは海を見渡した。
 相棒だと確信が持てる人影は、ない。
 少し先へと歩き出すと、避難途中で力尽きたらしい男が片膝をついていた。
 アトリは肩を貸そうと手を伸ばしたが、気付いた彼は首を振った。
 まだ動けるなら向こうを頼みたい、と門より遥か先に視線を送る。

「人魚が襲って来た時、守備の前線が蹴散らされるみたいに破られたんだ。だから、酷い怪我したやつらは向こうに、まだ」
 
 そう言われて、アトリは彼の視線の先を見た。
 第二防壁に沿って緩やかにカーブを描く暗い海。
 視力の強化なしでははっきりと確認が出来ないが、確かに幾つかの人影が見えた。
 追い立てられるように、気が急く。
 それならきっとユーグレイもそこに向かっただろう。
 気を付けろ、と忠告をしてくれた男に礼を言って、アトリは走り出した。
 全く、第二区画の海をこうやって走るなんて、とんだ苦行である。
 ぜぇぜぇと息を吐き出しながら、それでも辛うじて前へと進む。
 区画を吹く風に、微かな喧騒が混ざる。
 ゆらゆらと海面に浮くものが見えて、アトリは足を止めた。
 誰かのローブの一部だ。
 襲撃の際に破れたものだろうか。
 ゆっくりと流されて行くそれを、思わず目で追った。
 そして。
 黒々とした海に、ぽつんとしゃがみ込んだ人影に気付く。
 門からは随分と離れ、先程男が被害が大きいと言った地点にかなり近い。
 けれど救助班が向かった方角からは不幸にも少し外れていて、気が付かれなかったか或いは後回しにされたのだろう。
 殆ど無意識にそちらに足を向けると、項垂れていたその人は顔を上げる。
 もう、見間違えるほどの距離ではなかった。
 濡れた茶色の癖毛から、ぽたりと水が落ちる。
 
「カグ」

 カグは呼びかけには答えず、静かに視線を落とす。
 その腕には、ぐったりとしたニールが抱かれていた。
 


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