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黒文鳥

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1章

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 それはまあ当然のことでもあった。
 昼夜問わず現場に出ると言うのは、それだけの回数、ニールが魔術を行使するということでもある。
 彼も決してエルの中で抜きん出て優秀という訳ではない。
 実力で言えば、アトリより少し上くらいだろうか。
 無茶が通るような能力者ではないことは確かだ。
 彼はアトリたちがいることにすぐ気付いたようだったが、さして嫌な顔はせずに勧められるままベアの向かいに腰を下ろす。
 位置的にユーグレイの隣になったのは流石に気不味かったのか、ニールは座り直す振りをして少し距離を取った。

「お待たせして、すみません」

「いんや、時間ぴったりだ。何か食うか?」

「いえ、この後すぐカグくんと約束してるので……」

 背中を丸めたニールは、やはり顔色が悪い。 
 ベアは「そうか」と優しく頷く。

「軽い面談みたいなもんなんだけどな、最近、どうだ?」

「特、には」

「カグとは上手くやってるか?」

「はい」

「何か、困ってることとか、ないか?」

「ないです」

 困ったように熊のような管理員は眉を下げた。
 しん、と沈黙が漂う。
 優しさ故の遠回りな問いかけではやはり駄目らしいと諦めたのだろう。
 ベアは頭を掻いてから、「ニール」と諭すように名前を呼んだ。

「お前さんのことだから、何で呼ばれたかわかっちゃいるんだろう? このままだと相棒もお前さんも、共倒れになっちまうぞ。大事な相手だからこそ、止めてやるのがペアってもんじゃないのかい」

「………………」
 
 ニールは目の前のベアを見つめて、それからアトリとユーグレイにも少しだけ視線を寄越した。
 そして意外にもはっきりと首を振る。

「ペアだからこそ、ぼくはカグくんの味方でいるって決めているんです」

 迷いなくそう言ったニールの瞳には、揺るがし難い意志が見て取れた。
 すっとこちらを見た彼は「アトリくんならわかるよね」と突然に話を振る。
 その声の芯の強さに、一瞬息を呑んだ。

「世界中敵に回したって、君もきっとユーグレイくんの味方をする。ぼくも同じだ。カグくんは、こんな愚図でぱっとしないぼくをペアにしてくれた。ずっと見捨てないでいてくれた。だからカグくんがやりたいなら、ぼくはそれを止めたりしない」

 積み重なった疲労と心労で、言葉を選ぶ余裕もないのだろう。
 感情的に鋭くなったニールの声が食堂に響く。
 喧騒は聞こえない。
 この場に居合わせた多く人が、黙り込んで耳を澄ませている気配がした。
 ベアも、ユーグレイも何も言わない。
 ただアトリは、ニールの瞳を見返して頷いた。
 単純に、その言葉は痛いほどに理解が出来る。

「わかるよ。同じ立場なら、限界まで付き合ってるだろうし」

 アトリの言葉に、ユーグレイが心外そうな表情をした。
 いや、わかっている。
 彼であれば何を目的とするのであっても、アトリを追い詰めるような真似はしないだろう。
 けれどもしも、ユーグレイがどうしても二十日評価でトップを取りたいと言い出したら。
 アトリとて、ぎりぎりまでは彼の希望に沿うだろう。
 だから根本的にアトリはニールと同じなのだ。
 ペアが大切で、当たり前に隣にいられたらそれだけで十分だと、そう思っている。
 恐らく温厚な管理員はそれをわかっていたからこそ、この場にアトリたちを留めて説得に加わらせたのだろう。
 ニールはアトリの同意に、安堵したように緊張感を緩める。
 アトリはその肩が震えるのを見ながら、続けた。

「でももう、限界まで頑張っただろ」

「………………」

 倒れていないのが不思議なくらいで、ニールはとっくに本来の活動限界を超えているだろう。
 彼は唇を噛んで俯く。
 そんなことはきっと彼自身が誰より理解しているはずなのに。
 
「俺はカグとニールのことに口出せた義理じゃないから、諭してやれとか言えないけど。お前、まだ頑張れるって無理して現場に出て肝心な時に倒れたとしたら」

 アトリは言葉を区切った。
 ニールは顔を上げない。
 現場は、評価を得るための訓練場ではないとわかっているはずだ。
 あの海は人を襲う人魚たちの領域だ。
 万全の状態であっても数多悲劇は起こり得る。
 無理をしてその結果動けたはずが動けなかったなんてことがあったとしたら、その悔恨はどれほど深いだろうか。

「誰があの海でカグを守ってやんの?」

 微かな痛みを伴って、アトリは自身の声を聞く。
 俺もだ、と戒めるように指先を強く握り込んだ。
 今はどうにかなっているとしても、魔術行使の調整が叶わなければいずれは身体の限界が来る。
 結果現場でアトリが倒れたら、ユーグレイを守るどころか彼を危険に晒すことになる。
 だから、少しでも早く。

「それは、そう……だけど。でも、アトリくんだって」

 限界以上の活動をしているよね、とその目は確信を持って訴えていた。
 ひやりとした。
 ニールがそれを言葉にしなかったのは、偶然か或いは同情か。
 休養で出遅れ、同時にカグたちが成果を上げていたのは状況として事実ではある。
 けれどユーグレイは評価には興味がなく、それならとアトリが無理をして今回の結果に収まったのだとそう思っているのだろう。
 夜間哨戒でカグを諌めた時、アトリは無意識に彼らしか知り得なかったはずの言葉を口にした。
 少なくともニールは、区画の反対側にいたはずのアトリが自分たちの会話を正確に聞き取っていたことに気づいている。
 ちょっと調子が良いだけ、なんて鵜呑みにするはずもない。
 だから、か。
 だからニールは、ここまで無理をしてしまえたのか。
 アトリは殴られたような衝撃を受けて、白い顔をしたニールをただ見返した。

「君が出来るんだから、きっとぼくにも出来る。ほんの少しだけぼくが頑張れば、そうしたらきっと次は」

「ニール、お前さんの気持ちはわからんでもないけどな」

 労わるようなベアの声は、遠い。
 違う、そうじゃない。
 ニールの切羽詰まった表情を見て、アトリは叫び出したい衝動に駆られる。
 努力じゃない。
 ましてこんなのは才能でもない。
 アトリのこれは、ただ壊れてしまっているだけだ。
 どうにかしなければと必死で足掻いていただけに過ぎないのに、それが結果としてカグの暴走に火を点けニールをここまで追い詰めた。
 でも、じゃあ一体どうしたら良かったって言うんだ。
 管理員として状況によっては自粛も言い渡さないといけないとベアが静かに言って、
 
「ニールッ!!」

 頬を打つような怒号に、全員が声の主を振り返った。
 食堂の入り口に立っていたのは、カグだった。


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