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1章
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しおりを挟む「あのね、医者として言うけど正直君は人魚狩りの前線を今すぐ退くべきだよ。魔力の調節が出来ない今の君は、毎回身体に途轍もない負担をかけて魔術を行使してる。わかるでしょう? 冗談じゃなくて、死にたいの?」
能力限界を超えての長期活動でエルが命を落とすことは、稀にある。
セナの言葉は決して脅しではない。
アトリは彼女を見上げて「そういうわけではないですけど」と前置きをして続ける。
「選択肢は少しでも知っておきたい」
セナはふぅと息を吐いて「君は全く」とぼやいた。
「まず大前提として高位の魔術を行使しない、適正量以上の魔力を受け取らなければ、君は何の問題もなく生活出来る」
言い換えればかつてと同レベルの魔術を行使し、受け取れないほどの魔力を受け取らなければ良いわけだ。
魔力の量に関してはともかく、魔術行使はその調節機能が壊れているというのだから簡単にはいかないだろう。
実際この数日試した限りでも、一度として上手く行ってはいない。
ただある意味それだけ何とか出来れば良いとわかったのは、物凄い進展だ。
セナは見透かすような表情で「君としてはまずあの反応をどうにかしたいんだろうけど」と付け加える。
「安定剤みたいなものは出せるけど、正直お勧めはしない。君のあれ、感覚としてはどうあれ結局は身体が悲鳴を上げてるだけだから」
「そうですか。でも一応出してもらえます? 気休め程度にはなるかもしれないし」
セナの言い分はもっともだが、アトリとしては何であれ縋りたい気持ちがある。
魔術行使に関しては結局やりながらどう加減をするか掴むしかない。
となると、結局しばらくはあれに襲われての生活となる。
出してあげるけどと肩を竦めながら、彼女は笑った。
何となく、悪い笑いだ。
「薬よりね、アトリ君。あれは、受け入れてしまった方が楽だと思うよ」
「受け入れるって」
「せっかく痛みじゃなくて快感に変換してるんだから、愉しんで死ぬほど気持ちよくなって失神でもすれば終わってる。君が感情的にそれを受け入れないから辛い。その抵抗が逆に脳に負荷をかけてるんだよ」
それにね、とセナは一転いつになく真剣な眼差しを向けた。
「君のそれ、本来は防衛反応だってことを忘れないで。症状が重くなると意識が持ってかれるやつだからね。意識不明でずーっとイキっぱなしなんて嫌でしょ? だから実際に身体を慰めてオーガズムに至って、きちんと脳に『イったから終わり』って判断させないと」
「普通に、やれば収まるってことですか?」
「酷かったら繰り返しやって脳が身体に合わせて来るのを待つしかないだろうけど、普通にやればそのうち収まるはずだよ。普通に、『女性』として絶頂すればね」
普通とは。
「何ならお腹でイク方法、教えてあげようか?」
伸ばされた指先が揶揄うように首筋に触れて、アトリは静かにその手を制した。
こんな嬉しくないお誘いは初めてである。
げんなりしたアトリに、セナは楽しそうに続けた。
「ま、冗談はさておきちょっとマニアックな自慰だと思ってしまうのが一番だよ。男の子でも、中でイクってのは気持ち良いらしいし。相手がいるなら突っ込んでもらうのが一番良いんだけどね」
「先生には、恥じらいとか、ないんすかねっ!」
「ないんすよ、これが」
どうも勝てそうにない。
いや、これもアトリの置かれたどうしようもない状況に対する彼女なりの気遣いなのかもしれない。
セナはくるりと踵を返して、デスクの上のカルテに最終的な診断と恐らくは安定剤の処方を書き込む。
アトリはベッドから降りて、羽織っていたローブを整えた。
「……で、相棒には伝えないのかな?」
しんとした声に、アトリは静かに首を振った。
何かあれば診てくれるのはセナだ。
どうしてこんなことになっているのか、当然予想はついているのだろう。
「別に伝える必要はないと思いますけど」
起点は、あの日だろう。
アトリが人魚に飲まれかけて、ぎりぎりユーグレイの魔力を受け取ってそれを撃退した日。
あの時の、彼の魔力。
それが恐らくアトリの防衛反応を壊した。
ただあの瞬間、いつもより僅かに多い魔力を受け取った程度で壊れてしまうのであれば。
いずれアトリは、遠くないうちに自然とこういうことになっていただろうと思う。
そもそもペアがユーグレイでなかったら、こんなにも長く持たなかったに違いない。
だから、決して彼に落ち度はないのだ。
「必要はない? 任務中の事故とは言え、君の相棒は当事者だろう。きちんと状況を説明するべきじゃないかな」
「ーーーーあの時あいつの手を取ってなかったら、俺は確実に未帰還者だ。俺にとってはそっちの事実の方が重要です」
ユーグレイは、何も悪くない。
けれど全てを知れば、彼は当然自身を責めるだろう。
そしてありとあらゆる方法で、アトリに贖おうとするに決まっていた。
いつでも冷静な表情をして、氷結王子なんでセンスのないあだ名をつけられているけれど。
ユーグレイ・フレンシッドという青年は、結局どこまでも優しいのだから。
だから、絶対に、これを明かしてはいけない。
セナは理解出来ないみたいな表情で、首を振った。
「良いけどね。個人的な意見を言うと、君の相棒は怒らせると手に負えないタイプだ。黙ってるのは良いけど、隠し通せなくて予想外の形でバレた時、君相当泣かされると思うな」
「いや、怒るでしょうけど泣かされるってのは」
「賭けても良い。まあ、ベッドも空けといてあげるし薬もあるから死んじゃう前に逃げ込んでおいで」
「殴り合いですか!?」
ユーグレイと殴り合いか。
それは確かに、泣かされるかもしれない。
今からでも少し護身術を身につけておくべきだろうか。
セナは何故かため息をついて「殴り合いなら良いけどね」と、可哀想なものを見るような瞳をする。
「その時は諦めて腹を括るんだね、アトリ君。じゃ、何かあったらすぐまた来るように」
お大事に、と最後は良い医者のような顔をしてセナはひらりと手を振った。
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