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黒文鳥

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1章

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 夜間哨戒より七日。
 結論から言うと、アトリの異常は気のせいではなくまた短期的なものではなかった。
 後日の任務においての魔術行使も、意図せず桁違いに高度なものになったので認めざるを得ない。
 またその際、脳の防衛反応である痛みが一切感じられないこと。
 そして魔術を使った日は、必ずあの「快感」に襲われることがわかった。
 そうなると、一連の異常は恐らく原因が同じなのだろうと察せられる。
 魔術の出力を制限したらどうかとも思ったが、これが全く上手く出来ない。
 アトリがどう足掻いても面白いくらいに高出力の魔術行使となるので、結局頭を抱える羽目になった。
 いや、それは正直良いのだ。
 人魚に対する武器である魔術が強い分には、困らない。
 脳の防衛反応がないと言うのも、同様だ。
 ただどうあっても耐え難いのが。

「ーーーーで? 肝心なところでだんまりでは、流石の私も診断の仕様がないけど?」

 薄桃色に染められたショートヘアをさらさらと揺らして、彼女はアトリを見た。
 セナ・チェーリア。
 ヘーゼル色の大きな瞳はどことなく幼い雰囲気を残すが、こう見えてアトリが新人の頃からお世話になっている医師である。
 白い照明に照らされた診察室。
 壁際の簡易のベッドと、カルテの開かれたデスク。
 耐え難い異常、となれば最終的にここを頼るしかなかったのだが。
 
「……そーですよね。そーなんですが、色々俺の尊厳に関わると言うか」

 アトリはセナと向かい合ったまま、肩を落とした。 
 カンディードの医療機関は各防壁内にあるが、最も設備が充実しているのが第五防壁内だ。
 外科、内科のみならず専門医療は多岐に及ぶ。
 数日前アトリが目を覚ましたのも、第五防壁内の病院である。
 本日は、何の予定もない休日。
 相棒には「この間の件があるから一応検査に来いって言われてる」ともっともらしい嘘を吐いてここまで来たのは良いのだが。
 セナはアトリの言葉に意地悪な表情をして笑う。

「何、面白い話? まあ、君が自分で調子悪いって私のとこに来てる時点で、なかなか異常事態だとは思うけどね」

「患者が言い難い話なんですっつってんのに、ドSですか?」

 わかっちゃいたが、こういう人である。
 けれどまあそれも覚悟の上で来ているわけなのだが。
 アトリは視線を落とした。
 流石に、妙齢の女性を真っ直ぐに見つめたまま出来る話ではない。
 深く息を吐いて、アトリは簡潔に自身の状況を説明していく。
 魔術行使に際しての威力がおかしいこと。
 脳の防衛反応がないこと。
 そして。

「ーーーーなんて?」

「鬼畜か」

 そこだけもう一度言わせるとか慈悲の欠片もない。
 カルテにすらすらとペンを走らせていたセナは、けれど酷く固い表情のまま「もう少し詳しく」と有無を言わせぬ様子で言う。
 相棒とお仕事した日は死ぬほど気持ち良くなってしんどいです、とか。
 笑われるか不快な顔をされるかのどちらかだろうと思ったのだが。
 アトリはようやく彼女の視線を正面から受け止めて、口を開く。
 
「詳しく、と言われても。味わったことないくらいで、苦しくて」

「それは所謂無精とは違う? 自慰で楽にはならない?」

「…………思考が、伴わないんですよ。なのに身体は反応してる感じです。でも、真っ当な反応をしてるわけでもない」

 直接的な表現を避けたが、それは正しくセナに伝わったようだった。
 彼女は形の良い眉を寄せて、「ちょっと寝て」と簡易ベッドを指差す。
 抵抗する理由もなく、アトリはベッドに仰向けに横になる。
 固い枕に頭を預けると、セナはアトリの顔を覗き込んだ。
 
「それはつまり男性器は反応していないって意味だよね?」

「先生、俺の配慮が、台無しなんですが!」

 もう本当、勘弁してくれ。
 ここでセナが少しでもふざけているようであれば、もう少し反論の仕様もあった。
 けれど彼女は至って真剣な表情のまま、「ちょっとお腹に触るよ」とアトリの服をたくし上げて直接腹部に触れる。
 柔らかい細い指が何か探るように腹部を辿り、ゆっくりと下に降りていく。
 時々確かめるように指が押し込まれた。
 
「性器が反応していないのにオーガズムに至るってことだね。どの辺が一番気持ち良くなるとかわかる?」

「……下腹部だとは思いますけど。身体の奥の方で、はっきりとは」

「そう。じゃ、この辺りは?」

 臍よりも下をぐ、と押されて、アトリは反射的に顔を顰めた。
 痛みはない。
 けれど、一瞬暴れ出しそうなほどの強烈なフラッシュバックがあった。
 咄嗟に返答出来なかったが、セナはアトリの表情を見て「ふぅん」と一つ頷く。
 そのまま。
 じわりと、触れた掌から熱が広がった。

「え? ちょ、先生」
 
 その感覚を、アトリが間違うはずがない。
 下腹部を押さえる彼女の手から流れ込むのは、確かに魔力だった。
 
「ん? 言ってなかったっけ。私、実は結構優秀なセルなんだよねー。まあ、他人とペア組むのが面倒なのと、こっちの仕事のが性に合ってたから人魚狩りの実務経験はないんだけどさ」
 
 平然とそう言うセナは、容赦がない。
 心地良いような温かさは、次第に熱さへと変わる。
 こんこんと溢れるほどに魔力を渡されて、アトリは呻いた。
 普段ユーグレイは、アトリが苦痛なく活用出来るだけの魔力を適切に渡してくれる。
 対してセナのそれは、魔力を受け取るエル側への配慮が全く感じられなかった。
 いや、わざとではあるのだろう。
 セナは相変わらず真剣な表情のまま、「どう?」と問う。
 どう、とは。
 アトリは正直それどころではない。
 出口なく体内を巡る魔力に、溺れそうな錯覚に陥る。
 魔術としてそれを消費してしまえれば良かったが、「魔術は使わないように」とセナがあっさりと禁じてくれたものだからどうしようもない。
 意識して呼吸を整え、恐らくは診察の一環であろうこの行為が終わるのを待つ。
 でも。
 それにしたって、熱い。

 ぱちんとスイッチを切り替えたように、唐突にその熱は色を変えた。

 
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