Arrive 0

黒文鳥

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1章

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「ユーグはさ、こういうのホント弱いよなー」

 アトリは手札をテーブルに開くと、「上がり」と宣言した。
 向かいで難しい表情をしていたユーグレイは、無言のまま手札を置く。
 夕食時はとうに過ぎて、騒がしいほどだった食堂は酒盛りを楽しむ人と夜間哨戒まで休息を取る人が僅かに残るのみだった。
 照明もすでにいくつかは消えている。
 
「三十五連敗か」

「四十敗したら何か奢ってくれんだろ?」

 カードを纏めながらアトリは笑う。
 ユーグレイは一瞬考え込むような目をしてから、飲んでいた麦酒の小瓶をアトリの方に押しやった。

「仕方がない。一本であれば奢ろう」

「もう一声。お前、三十連敗した時も一本しか奢ってくんなかっただろ?」

「………………つまみも小皿なら許容する」

「熟考してそれ!?」

 少しだけ目元を緩めて、相棒が笑う。
 哨戒任務を急遽切り上げて、有無を言わさず診察を受けさせられたものの、結局異常は何も見当たらず。
 アトリ自身も体調的にどうと言うこともなかった。
 病み上がりだからという診断を受けて、そういうこともあるのかもと納得した訳である。
 その後は念のためと回された書類仕事をして上がりになった。
 ユーグレイには早く休んだ方が良いともっともなことを言われたが、これまでも療養期間でばっちり寝ていたせいだろう。
 自室に引っ込んでも寝れる気がしない。
 寝れる気がしないのにベッドに横になるのは、とても暇である。
 眠くなったらすぐ寝るから、と何とか相棒を説得したアトリは、いつものように夕食後の時間をだらだらと過ごしていた。

「……確か談話室に、大陸で流行しているボードゲームが置いてあっただろう」

「ああ、この間旅行に行ったやつが買って来たの?」

「今度はあれで勝負と言うのは」

「懲りないな、ユーグ。俺、相棒がいつかカモられるんじゃないかって結構真剣に心配してんだけど」

 夜間哨戒がない時は、大体がこんな調子である。
 食堂で何かをつまみに飲みながら、ゲームをしたり雑誌を見たり。
 時には談話室で映画を見ることもあった。
 仲は、良いだろうと思う。
 全く違うように見えて、多分アトリとユーグレイは呼吸のテンポが同じなのだろう。
 一緒にいて酷く楽だから、結局何をするにも彼を相方に選んでしまうのだ。 
 
「僕が弱いのではなく、アトリが強すぎるのだと思うが」

 淡々と言うユーグレイの声には、若干の不満が滲む。
 こういう所は完全に年下だ。
 あまり笑うと流石に機嫌を損ねる。
 アトリは纏め終えたカードをテーブルに置いた。
 ユーグレイは小瓶の麦酒を飲み切って、視線を上げる。
 食堂の壁にかけられた大時計は、まだ午後十時半を示していた。
 明日は新人相手の講習会があり現場に出る予定はなかったが、明後日は夜間哨戒が入っている。
 普段であればもう少しのんびりするのだが、そこまでは甘く見てはもらえないらしい。
 徐に腰を上げたユーグレイは、空の小皿と小瓶を手に食堂の返却棚に向かう。
 お開きの合図だ。
 アトリは引き留めもせずその背を見送った。
 単純な怠惰はもちろんなのだが、無理無茶無謀に対してもユーグレイは容赦がない。
 アトリとしては「普段通り」で塗り潰したい染みのような不安があったが、それは言葉にして説明するにはあまりに曖昧で姿がはっきりしない。
 
「………………別に、どっか痛いわけでもないんだけどな」

 纏めたカードをケースに戻して、羽織っているローブのポケットに仕舞う。
 割り当てられている個室も食堂と同じ第四防壁内だが、そこまでは少し距離がある。
 戻ってきたユーグレイが無言で傍に立った。
 アトリも立ち上がって、歩き出した彼の後を追う。
 そういえば明日の講習会は、と言いかけて。

 照明を落としたように視界が暗転した。

 椅子の足に脛をぶつけて、その痛みで意識は急浮上する。
 テーブルの角に辛うじて手をつき、崩れ落ちる瞬間で何とか耐えたようだ。
 振り返ったユーグレイが慌てて駆け寄ってくるところを見ると、本当に刹那の意識消失だったらしい。
 どうした、と慌ただしく詰問されて、咄嗟にアトリは首を振った。

「いや、足を、ぶつけただけ」

「…………そうか」

 ふぅと息を吐かれて、悪いと謝る。
 まだ食堂に残っている数人からも大丈夫か、と声を掛けられてそれに軽く返事をした。
 
「もうさっさと寝ろ」

「躓いたくらいで、ひでぇ」

 呆れたように端的にそう言われて、アトリは呑気に笑って見せる。
 けれどテーブルについた手は酷く冷え切っていて感覚がない。
 指先に力を入れて身体を支え、悟られない程度に慎重に立ち上がる。
 大丈夫だ。
 強いて言うならば、少しだけ身体が怠いだろうか。
 気分が悪いわけでも、どこか致命的に痛むわけでもない。
 それなのに。
 何か歯車が壊れて空回りしているような、どうしようもない違和感と不安が燻っている。
 
「行くぞ、アトリ」

 わざわざ声を掛けてくる辺り、相棒はやはり心配してくれているらしい。
 はいはいと応えて、歩き出す。
 大丈夫。
 もう、何ともない。
 直視してはいけないと何故か思った。
 誤魔化して、寝てしまって、忘れるのが一番だ。
 それで明日は、と何てことのない話題を振って、アトリはその違和感から意識を逸らした。
 
 
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