7 / 181
1章
6
しおりを挟む「ユーグはさ、こういうのホント弱いよなー」
アトリは手札をテーブルに開くと、「上がり」と宣言した。
向かいで難しい表情をしていたユーグレイは、無言のまま手札を置く。
夕食時はとうに過ぎて、騒がしいほどだった食堂は酒盛りを楽しむ人と夜間哨戒まで休息を取る人が僅かに残るのみだった。
照明もすでにいくつかは消えている。
「三十五連敗か」
「四十敗したら何か奢ってくれんだろ?」
カードを纏めながらアトリは笑う。
ユーグレイは一瞬考え込むような目をしてから、飲んでいた麦酒の小瓶をアトリの方に押しやった。
「仕方がない。一本であれば奢ろう」
「もう一声。お前、三十連敗した時も一本しか奢ってくんなかっただろ?」
「………………つまみも小皿なら許容する」
「熟考してそれ!?」
少しだけ目元を緩めて、相棒が笑う。
哨戒任務を急遽切り上げて、有無を言わさず診察を受けさせられたものの、結局異常は何も見当たらず。
アトリ自身も体調的にどうと言うこともなかった。
病み上がりだからという診断を受けて、そういうこともあるのかもと納得した訳である。
その後は念のためと回された書類仕事をして上がりになった。
ユーグレイには早く休んだ方が良いともっともなことを言われたが、これまでも療養期間でばっちり寝ていたせいだろう。
自室に引っ込んでも寝れる気がしない。
寝れる気がしないのにベッドに横になるのは、とても暇である。
眠くなったらすぐ寝るから、と何とか相棒を説得したアトリは、いつものように夕食後の時間をだらだらと過ごしていた。
「……確か談話室に、大陸で流行しているボードゲームが置いてあっただろう」
「ああ、この間旅行に行ったやつが買って来たの?」
「今度はあれで勝負と言うのは」
「懲りないな、ユーグ。俺、相棒がいつかカモられるんじゃないかって結構真剣に心配してんだけど」
夜間哨戒がない時は、大体がこんな調子である。
食堂で何かをつまみに飲みながら、ゲームをしたり雑誌を見たり。
時には談話室で映画を見ることもあった。
仲は、良いだろうと思う。
全く違うように見えて、多分アトリとユーグレイは呼吸のテンポが同じなのだろう。
一緒にいて酷く楽だから、結局何をするにも彼を相方に選んでしまうのだ。
「僕が弱いのではなく、アトリが強すぎるのだと思うが」
淡々と言うユーグレイの声には、若干の不満が滲む。
こういう所は完全に年下だ。
あまり笑うと流石に機嫌を損ねる。
アトリは纏め終えたカードをテーブルに置いた。
ユーグレイは小瓶の麦酒を飲み切って、視線を上げる。
食堂の壁にかけられた大時計は、まだ午後十時半を示していた。
明日は新人相手の講習会があり現場に出る予定はなかったが、明後日は夜間哨戒が入っている。
普段であればもう少しのんびりするのだが、そこまでは甘く見てはもらえないらしい。
徐に腰を上げたユーグレイは、空の小皿と小瓶を手に食堂の返却棚に向かう。
お開きの合図だ。
アトリは引き留めもせずその背を見送った。
単純な怠惰はもちろんなのだが、無理無茶無謀に対してもユーグレイは容赦がない。
アトリとしては「普段通り」で塗り潰したい染みのような不安があったが、それは言葉にして説明するにはあまりに曖昧で姿がはっきりしない。
「………………別に、どっか痛いわけでもないんだけどな」
纏めたカードをケースに戻して、羽織っているローブのポケットに仕舞う。
割り当てられている個室も食堂と同じ第四防壁内だが、そこまでは少し距離がある。
戻ってきたユーグレイが無言で傍に立った。
アトリも立ち上がって、歩き出した彼の後を追う。
そういえば明日の講習会は、と言いかけて。
照明を落としたように視界が暗転した。
椅子の足に脛をぶつけて、その痛みで意識は急浮上する。
テーブルの角に辛うじて手をつき、崩れ落ちる瞬間で何とか耐えたようだ。
振り返ったユーグレイが慌てて駆け寄ってくるところを見ると、本当に刹那の意識消失だったらしい。
どうした、と慌ただしく詰問されて、咄嗟にアトリは首を振った。
「いや、足を、ぶつけただけ」
「…………そうか」
ふぅと息を吐かれて、悪いと謝る。
まだ食堂に残っている数人からも大丈夫か、と声を掛けられてそれに軽く返事をした。
「もうさっさと寝ろ」
「躓いたくらいで、ひでぇ」
呆れたように端的にそう言われて、アトリは呑気に笑って見せる。
けれどテーブルについた手は酷く冷え切っていて感覚がない。
指先に力を入れて身体を支え、悟られない程度に慎重に立ち上がる。
大丈夫だ。
強いて言うならば、少しだけ身体が怠いだろうか。
気分が悪いわけでも、どこか致命的に痛むわけでもない。
それなのに。
何か歯車が壊れて空回りしているような、どうしようもない違和感と不安が燻っている。
「行くぞ、アトリ」
わざわざ声を掛けてくる辺り、相棒はやはり心配してくれているらしい。
はいはいと応えて、歩き出す。
大丈夫。
もう、何ともない。
直視してはいけないと何故か思った。
誤魔化して、寝てしまって、忘れるのが一番だ。
それで明日は、と何てことのない話題を振って、アトリはその違和感から意識を逸らした。
10
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。
彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。
……あ。
音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。
しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。
やばい、どうしよう。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。

僕のために、忘れていて
ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

王子様から逃げられない!
白兪
BL
目を覚ますとBLゲームの主人公になっていた恭弥。この世界が受け入れられず、何とかして元の世界に戻りたいと考えるようになる。ゲームをクリアすれば元の世界に戻れるのでは…?そう思い立つが、思わぬ障壁が立ち塞がる。

僕の王子様
くるむ
BL
鹿倉歩(かぐらあゆむ)は、クリスマスイブに出合った礼人のことが忘れられずに彼と同じ高校を受けることを決意。
無事に受かり礼人と同じ高校に通うことが出来たのだが、校内での礼人の人気があまりにもすさまじいことを知り、自分から近づけずにいた。
そんな中、やたらイケメンばかりがそろっている『読書同好会』の存在を知り、そこに礼人が在籍していることを聞きつけて……。
見た目が派手で性格も明るく、反面人の心の機微にも敏感で一目置かれる存在でもあるくせに、実は騒がれることが嫌いで他人が傍にいるだけで眠ることも出来ない神経質な礼人と、大人しくて素直なワンコのお話。
元々は、神経質なイケメンがただ一人のワンコに甘える話が書きたくて考えたお話です。
※『近くにいるのに君が遠い』のスピンオフになっています。未読の方は読んでいただけたらより礼人のことが分かるかと思います。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる