Arrive 0

黒文鳥

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1章

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 0地点を囲む五つの防壁内に拠点を構えるカンディードは、世界中から適性者を集めた人魚狩りの専門機関である。
 現代兵器が通用しない相手に果たしてどう対応するかと言えば、やはりそれは解明不能な「魔術」頼りであった。
 
「ユーグ」
 
 穏やかに空を映す浅い海。
 第三区画は、今日も変わり映えのしない美しさだ。
 恐らく声をかけなくても伸ばされていた相棒の手を、アトリは迷いなく握る。
 身を切るような冷たい魔力が、一気に身体を巡った。
 清廉でどこまでも澄んだそれは、思えばペアになった当初から不思議と心地良く受け取ることが出来た。
 元々相性は良かったんだろうな、とアトリは思う。
 短く息を吸い瞳を一度閉じ、開く。
 視力の強化は得意だと言える数少ない魔術の一つだ。
 ぐんと視界が開ける。
 鮮やかな水の色。
 海底に煌めく半透明の砂。
 そこに暗い影はまだ見当たらなかった。
 第四防壁と第三防壁の間に広がるこの区画の海は、障害物が少ないため哨戒も手間がない。
 防壁間の距離は一キロ程度。
 少し視線を上げると、防壁と防壁を繋ぐ連絡通路が見える。

「……今んとこは、いなさそうだけどな」

「そうか。相変わらず、便利なものだ」
 
「お前の魔力だけど。うん、褒め称えてくれて構わない」
 
 正しく「魔術師」と呼ばれる人間はもうどこにもいない。
 緩やかに途方もない年月をかけて、人はその身に宿っていた神秘を失っていった。
 けれど完全に失われてしまったわけではない。
 現代においてもほんの一握りの人間は、不完全ながら魔術師としての素養を持って生まれ落ちる。
 ユーグレイのように自身で魔力を生成出来るが、魔術を行使出来ない者。
 そしてアトリのように自身で魔力を生成出来ないが、魔術を行使出来る者。
 素養持ちは、完全にこの二者に分かれる。
 前者は「セル」、後者は「エル」と呼ばれ、彼らのみが実質人魚に対する戦力として扱われた。
 その特質上、カンディードでは必ずセルとエルはペアとなる。
 どちらも一人では戦えない。
 魔術師の成り損ないは、二人揃ってようやく魔術を行使することが出来る。

「見える範囲は異常なし。少し回る? 北側は誰か出てんだっけ?」

 受け取ったユーグレイの魔力は、零れ落ちるように霧散する。
 強化していた視力がスイッチを落とすように切り替わった。
 アトリは軽く目頭を押さえる。
 区画内にほんの少し吹き込んだ風が、前髪を優しく払う。
 ユーグレイは僅かに視線を遠くにやった。

「北側はカグたちが出ているはずだが」

「なるほど。じゃ、接触はなしで」

「そうだな」

 アトリとユーグレイは示し合わせたように、互いの顔を見て頷いた。
 概ねカンディードの仲間は仲が良い。
 互いは敵同士ではなく、何かあれば背中を預け合う関係性だ。
 が、人間の集団なのだから当然内部には摩擦も生じる。
 相棒が敬遠されているのとはまた別に、その実績評価を妬む輩もいるわけだ。
 カグも、その一人だ。
 同期というものあるだろうが、すれ違いざまの嫌味は日常茶飯事。
 最近では面と向かって突っかかって来るから面倒臭いことこの上ない。

「この間の二十日発表で、更に嫌われたもんな」

 アトリは苦笑する。 
 組織員のモチベーションのためだろう。
 人魚狩り、哨戒、その他色々な仕事の成果はカンディードの上層部によって点数化され、二十日間に一度発表される。
 点数が良ければ基本給にプラスされるから、決して悪いシステムではない。
 ただ他者との差が明確化されると、それは対抗意識にも繋がるわけである。

「彼らの仕事を邪魔した記憶はない。他人の評価にああも固執する心理が、僕には理解出来ない」

 灰色のローブを翻して、ユーグレイはアトリの少し先を歩き出す。
 陽射しを受けて、彼の銀髪が光る。
 ただ遠くを見る瞳に熱はなくとも、揺るがし難い意志に満ちている。
 こいつは多分、「特別」に見えるのだ。
 その孤高が、その努力が、物語の主人公みたいに恵まれているように見えるのだろう。

「まあほら、難しいお年頃ってやつだろ。寛大な御心で許してやれば?」

 ぱしゃりと海水を蹴って、アトリはユーグレイと並んだ。
 ちらとこちらを見た彼は、「他人事のようだが」と目を眇める。

「アトリ、君も当事者だろう。二十日評価はペアに下されるもので、僕個人のものではない」

「いや、そーなんだけど、そーじゃないって言うか」
 
 それをこの相棒に説明するのは、酷く難しかった。
 


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