5 / 181
1章
4
しおりを挟む0地点を囲む五つの防壁内に拠点を構えるカンディードは、世界中から適性者を集めた人魚狩りの専門機関である。
現代兵器が通用しない相手に果たしてどう対応するかと言えば、やはりそれは解明不能な「魔術」頼りであった。
「ユーグ」
穏やかに空を映す浅い海。
第三区画は、今日も変わり映えのしない美しさだ。
恐らく声をかけなくても伸ばされていた相棒の手を、アトリは迷いなく握る。
身を切るような冷たい魔力が、一気に身体を巡った。
清廉でどこまでも澄んだそれは、思えばペアになった当初から不思議と心地良く受け取ることが出来た。
元々相性は良かったんだろうな、とアトリは思う。
短く息を吸い瞳を一度閉じ、開く。
視力の強化は得意だと言える数少ない魔術の一つだ。
ぐんと視界が開ける。
鮮やかな水の色。
海底に煌めく半透明の砂。
そこに暗い影はまだ見当たらなかった。
第四防壁と第三防壁の間に広がるこの区画の海は、障害物が少ないため哨戒も手間がない。
防壁間の距離は一キロ程度。
少し視線を上げると、防壁と防壁を繋ぐ連絡通路が見える。
「……今んとこは、いなさそうだけどな」
「そうか。相変わらず、便利なものだ」
「お前の魔力だけど。うん、褒め称えてくれて構わない」
正しく「魔術師」と呼ばれる人間はもうどこにもいない。
緩やかに途方もない年月をかけて、人はその身に宿っていた神秘を失っていった。
けれど完全に失われてしまったわけではない。
現代においてもほんの一握りの人間は、不完全ながら魔術師としての素養を持って生まれ落ちる。
ユーグレイのように自身で魔力を生成出来るが、魔術を行使出来ない者。
そしてアトリのように自身で魔力を生成出来ないが、魔術を行使出来る者。
素養持ちは、完全にこの二者に分かれる。
前者は「セル」、後者は「エル」と呼ばれ、彼らのみが実質人魚に対する戦力として扱われた。
その特質上、カンディードでは必ずセルとエルはペアとなる。
どちらも一人では戦えない。
魔術師の成り損ないは、二人揃ってようやく魔術を行使することが出来る。
「見える範囲は異常なし。少し回る? 北側は誰か出てんだっけ?」
受け取ったユーグレイの魔力は、零れ落ちるように霧散する。
強化していた視力がスイッチを落とすように切り替わった。
アトリは軽く目頭を押さえる。
区画内にほんの少し吹き込んだ風が、前髪を優しく払う。
ユーグレイは僅かに視線を遠くにやった。
「北側はカグたちが出ているはずだが」
「なるほど。じゃ、接触はなしで」
「そうだな」
アトリとユーグレイは示し合わせたように、互いの顔を見て頷いた。
概ねカンディードの仲間は仲が良い。
互いは敵同士ではなく、何かあれば背中を預け合う関係性だ。
が、人間の集団なのだから当然内部には摩擦も生じる。
相棒が敬遠されているのとはまた別に、その実績評価を妬む輩もいるわけだ。
カグも、その一人だ。
同期というものあるだろうが、すれ違いざまの嫌味は日常茶飯事。
最近では面と向かって突っかかって来るから面倒臭いことこの上ない。
「この間の二十日発表で、更に嫌われたもんな」
アトリは苦笑する。
組織員のモチベーションのためだろう。
人魚狩り、哨戒、その他色々な仕事の成果はカンディードの上層部によって点数化され、二十日間に一度発表される。
点数が良ければ基本給にプラスされるから、決して悪いシステムではない。
ただ他者との差が明確化されると、それは対抗意識にも繋がるわけである。
「彼らの仕事を邪魔した記憶はない。他人の評価にああも固執する心理が、僕には理解出来ない」
灰色のローブを翻して、ユーグレイはアトリの少し先を歩き出す。
陽射しを受けて、彼の銀髪が光る。
ただ遠くを見る瞳に熱はなくとも、揺るがし難い意志に満ちている。
こいつは多分、「特別」に見えるのだ。
その孤高が、その努力が、物語の主人公みたいに恵まれているように見えるのだろう。
「まあほら、難しいお年頃ってやつだろ。寛大な御心で許してやれば?」
ぱしゃりと海水を蹴って、アトリはユーグレイと並んだ。
ちらとこちらを見た彼は、「他人事のようだが」と目を眇める。
「アトリ、君も当事者だろう。二十日評価はペアに下されるもので、僕個人のものではない」
「いや、そーなんだけど、そーじゃないって言うか」
それをこの相棒に説明するのは、酷く難しかった。
10
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。
彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。
……あ。
音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。
しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。
やばい、どうしよう。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。

王子様から逃げられない!
白兪
BL
目を覚ますとBLゲームの主人公になっていた恭弥。この世界が受け入れられず、何とかして元の世界に戻りたいと考えるようになる。ゲームをクリアすれば元の世界に戻れるのでは…?そう思い立つが、思わぬ障壁が立ち塞がる。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる