アンリレインの存在証明

黒文鳥

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 記念ホールの第二会場。
 三百人ほどを収容出来る、やや小さいホールが今夜の舞台だ。
 チケットはすでに完売。
 ステージに向かって緩やかに下る客席には、やはり女性客が多い。
 客席の最後方には音響卓があり、何だかごついカメラが配置されている。
 ファンクラブの会員限定で配信もあるそうで、舞台袖のスタッフ含めあちこちかなり忙しいようだ。
 鮮やかに照らされたステージで、ジャックは軽快に話を続けていた。

「ーーーーってことで、結局オレが後片付けまでしてさ。スタッフさんも帰っちゃって、オレが警備室にお疲れ様ですーって鍵返しに行きましたよ!」

 一時間半の公演。
 一体何をそんなに話すことがあるのかと思ったが、舞台袖で聞いていても実に多彩な話をする。
 他愛無い世間話から始まり、ここ最近の業界の噂やら小ネタやら。
 観客からのリクエストや質問を受け、自虐を混ぜた失敗談を披露すると会場は一気に笑い声に満ちた。
 別段興味のないレンが聞いていても多少は話の内容が入ってくるのだから、やはり語る力はそれなりにあるのだろう。
 
「ね、レン。これ終わったら帰りにご飯買って、また車で食べようよ」

 まあ、アルエットは全く彼の話を聞いている様子もないから一流とは言えないのかもしれない。
 
「良いけど飯? ここまで来て飯の話? 緊張感どっかに置いてきちゃってんのかな!」

 繰り返すが、舞台袖である。
 少し先はライトが煌々と当たるステージだ。
 そしてそのステージに、これから立とうとしている。
 面白おかしくおしゃべりをしに行く訳ではない。
 上手くいくとも限らない、上手くいったとして拍手で称えられることは決してないだろう。
 緊張感と聞いて、アルエットは「だって」と平然言い放つ。

「レンが一緒なんでしょう? なら、大丈夫」

「……あ、そうですか。よくわからない理屈だけど平常運転なのは助かる」

 半ば賭けでもあったレンの提案を受けて、ジャックの行動は早かった。
 レンとアルエットをサプライズゲストとしてステージに上げると決めたジャックは、すぐにショーのスタッフを呼んだ。
 スタッフは驚きながらもそういう無茶振りに慣れているのだろう。
 一時間程度で今晩のショーの構成、レンたちに求める解説の程度について端的に教授してくれた。
 配信も入るのでくれぐれも発言に注意して欲しいと何度か釘を刺した辺り、あのスタッフは優秀である。
 ステージに呼ばれるのは、メインとなる儀式に関する話題に入ってから。
 まもなくである。

「どう転んでも上に怒られること請け合いだから、やっぱ無理ってのもありだけど?」

 進行を任されているスタッフが「そろそろ準備お願いします」と声をかけてくる。
 アルエットが一緒に来てくれるのは都合が良いが、それは別に絶対条件ではない。
 彼女がいなくても、ジャックを否定して儀式の「正当性」を根底から覆すことは恐らく可能だ。
 例え相手がレンより話術に長け、ステージで語るという経験を圧倒的に積んでいても。
 レンは二ルフェリア財団の研究員である。
 その立場を、容易く得たわけでもない。
 アルエットは酷く静かな瞳でレンを見上げて、

「そっか、怒られちゃうんだ。でもそれならレンがここまですることもないと思うけどな」

 そう、あっさりと言う。
 本来はイグナートが上層部に掛け合ってくれるのも待つのが正しい。
 それを待たずに動いているのは、完全にレンの独断である。

「Rデータからみんなを守りたい? それとも、レンはRデータを守りたいのかな」

 息を飲むほど鋭く、躊躇いもなく彼女は言った。
 それはアルエットの直感だろうか。
 思いがけず本心に肉薄されて、レンは取り繕うことなく苦く笑う。
 そうだ。
 そもそもRデータの被害は、人が想像や言葉で情報を付加することによって変異して初めて起こることが殆どだ。
 有り体に言えば、七、八割のRデータが「完全に無視」すれば無害であると考えられている。
 だから本来はこれほど多くのRデータを解体、破壊する必要はないはずなのだ。
 あるのが当たり前で、根絶など出来ないものを相手にすることほど馬鹿馬鹿しいことはない。
 Rデータが「敵」なのではない。
 人が、Rデータとの接し方を間違えている。

「あの人がやってることは不特定多数を危険に晒し、且つ本来は対処しなくても良いはずだったRデータを発生させる行為だ。挙句こちらの話は聞きもせずあの態度。何を守る云々の前に、個人的に非常に不愉快だ」

 ともあれその話を始めると長くなる。
 この件に関してはやっていることが悪質で本人に状況改善の協力が得られなかったため、よしじゃあ社会的に痛い目見てもらおうという気になっただけだ。
 主任には割と真面目に怒られるだろうし始末書では済まない可能性もあるが、状況的には情状酌量の余地があると見た。
 アルエットは「そうだね、あの人どう考えても悪い人だよね」と頷く。
 舞台袖で各所指示を出すスタッフに聞かれなかったか心配になるほど、はっきりとした物言いだった。
 幸い関係者はそれどころではないらしい。
 スタッフの一人がトランシーバーで照明に呼びかけ、ステージの光量が落ちる。
 
「私はレンが行くなら一緒に行くよ。セットだもんね」

 アルエットの柔らかい声は、会場からの拍手で半分掻き消された。
 ジャックがステージ前方に出て、Rデータに関する話を始める。
 それは客観的に、実話というよりは脚色された「怪異譚」に聞こえた。
 その間、スタッフが手早くステージに椅子をセットする。
 一脚と少し間を空けて二脚が並ぶ。
 これから対談形式でジャックの儀式について解説する。
 タイミングを見計らって、スタッフがレンにハンドマイクを手渡した。
 意外と重さがある。
 
「ってことでこの話をぜひ聞きたいってゲストが来てくれてんだよねー! いやまじホント、サプライズゲスト! 多分みんな驚くよ?」

 ステージがぱっと明るくなり、ジャックがこちらに手を向けた。
 傍に控えていたスタッフが「どうぞ」と促す。
 踏み出した一歩は軽くはなかったが、案外思考は冷静に巡っていた。
 当たり前になってしまった距離で、アルエットがレンを見上げる。
 さて反省してもらいますか。
 そう殆ど口だけで、レンは彼女に言った。
 聞こえなければそれはそれで構わなかったが、アルエットは正しくレンの言葉を受け取ったらしい。
 珍しく悪い顔で微笑んで、彼女はレンの手を引いて踊るようにステージに踏み出した。


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