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しおりを挟む「ん、じゃあ同じところに怪我をさせるRデータってこと?」
研究室のデスクで端末のキーボードを叩きながら、レンは「多分そうじゃない」と答える。
下ろしっぱなしのブラインドの隙間から、溢れるような朝日が僅かに差し込んでいる。
昨日の雨は夜のうちに上がって、今朝は風もない穏やかな晴天だ。
普段であればこんな早くから研究室に籠っていることは稀だが、事が事である。
気が急いて、穏やかな睡眠など取れるはずがなかった。
一応寝には帰ったが、早朝出勤してきた口である。
そして何故かソファには、持って帰ったはずのアップルパイを食しているアルエットがいた。
見計らったかのように、朝早くから研究室に押しかけて来た彼女。
聞けば寮の食堂は例によってあまり居心地が良くないらしく、それならレンの研究室を使わせてもらおうと思い立ったらしい。
のんびりご飯が食べれるしレンにも会えたし良いことばっかりだねと、当人は悪気ゼロ。
レンが出勤していなければ研究室の鍵は開いておらず、閉め出しを食らうところだったことは理解しているのか。
いや、多分していない。
「でもみんな、怪我してたんだよね?」
さくさくと心地よい音を立ててパイを食べながら、アルエットは確認するように左手の中指を曲げ伸ばしする。
ここ一ヶ月の対処報告をデータベースから漁りながら、レンは頷いた。
イグナートがまとめた類似例には二件ほど「依頼人、手に怪我」と簡単な記載があった。
現在そちらはイグナートに確認中だが、問題は類似例から除外された方である。
念のためにと開いたデータベースには、決して看過出来ない数の「指先の怪我」に関する報告があったのだ。
報告者によっては、「左手、中指負傷」と事細かに記してくれている。
Rデータの被害に遭っている人間が、憔悴した末あちこち怪我をすることは多々ある。
だが、これはやはり異常だ。
「同じところに怪我をさせるRデータだとすると、まず依頼人が一人として申告していないことがおかしい。それに対処したRデータの現象と連続性、関連がなさすぎる。Rデータが噛みついてきて怪我したとかいう話ならわかるけど、そう伝えてる依頼人は誰もいない」
「……うん」
「依頼人が気が付かなかった、或いは伝え忘れたって可能性もなくもないけど全員そうっていうのは不自然だ」
それよりは、Rデータとしての共通性と見るのではなく依頼人の共通性と見る方が自然だ。
アルエットは難しい顔をしながらも朝食を食べ終え、「つまり」とゆっくり言葉を選ぶ。
「つまり、左手の中指を怪我した人がRデータに遭遇してて、でも遭遇するRデータは全然別のものってことだよね」
どこで怪我したんだろうね、とアルエットは首を傾げる。
それも気にはなるのだが。
レンは無言のまま、アルエットに向かって左手を真っ直ぐ伸ばした。
指先の向こう、彼女は静かな瞳でレンを見返す。
「ステルラ博士の定義では、人間の左半身はRデータに対する干渉力が高いって言われてる。そして人差し指は『放つ、示す』特性を持っていて、隣接する中指は『受け入れる』特性を持つ」
「へぇ」
いや、初耳ですみたいな感嘆はやめていただきたい。
レンは溜息を吐いて、けれど重く言葉を続けた。
「偶然なら良いけど、左手の中指ってことに意味があるなら」
と、やや乱暴に研究室の扉が叩かれる。
主任かとも思ったが、彼女がこんな朝早くにレンを訪ねて来ることは滅多にない。
アルエットと顔を見合わせて、レンは「どうぞ」と入室を促す。
渋々といった表情で扉を開けたのは、カイトだった。
焦茶の髪が昨日より跳ねているのは直し切れなかった寝癖だろうか。
レンとアルエットの顔を見て、少年はますます不機嫌そうにむくれる。
「イグナートさんに言われて来たんだけど」
朝に弱いのかもしれない。
少し掠れた声で言ったカイトに、レンは曖昧に返事をする。
「えっと? それは、どうも早くから」
何しに、と聞きたかったがそれは恐らく禁句だろう。
アルエットはぷいとそっぽを向いて、カイトは所在なさげに立ち尽くす。
コーヒーでも、と助け舟を出すと彼は意外にも「もらう」と答えた。
「今朝イグナートさんたちが緊急で対策班内の聞き取りを済ませた。聞きたいことあんならさっさとしてくんね?」
「ああ、そういう」
つまり結果をまとめてメールで送る手間さえ取れないほどの激務ということか。
恐らくは聞き取りの場にカイトも同席させ、質問含め全て彼に聞いてくれという投げやりなのか丁寧なのかわからない対応である。
「信頼されてるなー」
ともあれ人手がないにしたって、信頼に足りなければ任されない仕事だ。
カップにコーヒーを注いで渡すと、少年は一瞬毒気を抜かれたように呆けた顔をした。
「ったり前だろ!」
照れ隠しにそう吐き捨てて、カイトはぐいとコーヒーを飲む。
そして流石に真剣な顔をして「それで」と切り出す。
「聞き取りの結果だけどさ。アンタが確認して欲しいって言った怪我の件、報告はしなかったけど現場で確認してるってことがほとんどだった。イグナートさんがまとめた十一件中、九件で依頼人が指先を怪我してるってことになる。もう二件は悪いけど、怪我をしてたかどうかわからないって。一応、担当者が該当の依頼人に連絡するってことになってる」
「どの指か覚えていた人は?」
「中指だったと思うって言ってた人がいたけど」
レンはデスクチェアに身体を沈めるようにして、額を押さえた。
やはり中指か。
「すぐ報告書を上げる」
「あっそ、すぐ……、すぐに!?」
端末に向き直ったレンにカイトが驚いたように声を上げる。
レンはキーボードを叩きながら、脅すつもりじゃないけどと前置きして続ける。
「多分、かなり面倒な事態に陥ってると思う。類似例以外にも少なくともここ一ヶ月、依頼人が指先を怪我してる事例が多数確認出来た」
さっと顔色を変えたカイトが「それは」と言いかける。
左手の中指を怪我した人がRデータに遭遇して、そしてそのRデータには共通現象がない。
怪我をした依頼人は皆、そのことについて申告をしていない。
一体どれほどの事例が、今回の件と関連しているのだろうか。
いつものことだからと気にも留めていなかった依頼件数の急増も、こうなってくると関係が疑われる。
そりゃあ怪しげな守護霊様の噂も、広がるというもので。
「ーーーー守護霊様」
レンは、ぴたりとデータを打ち込んでいた手を止めた。
アルエットがその呟きを聞き逃さず、「変な名前の?」と首を傾げる。
「昨日の、守護霊様の話だよね? なんて名前だっけ」
カイトはレンとアルエットを見て、呆れたように短く息を吐く。
「守護霊様って流行りのやつだろ? ウロ様とかいう」
それがどうしたと言わんばかりの怪訝そうな声だ。
「知ってんの?」
「え、まあなんか流行ってるし、対策班でも話は結構聞くし。でも別によくあるおまじないみたいなもんだって先輩たちも言ってたけど? それらしい適当な手順で守護霊を呼ぶとか、何か好きなやつ多そうな話だよな。てか守護霊とか笑えんだけどさー」
それらしい、適当な手順の儀式で。
守護霊を呼ぶ行為。
ふと、左手の中指を自分で切る幻視に陥る。
受け入れる指の先端が、切り開かれる。
傷から滲み、滴る血。
それは。
「適当な手順じゃない」
「ーーーーは?」
「適当な手順じゃ、ないんだろ。守護霊を呼ぶとかいう儀式は。ああ、だから左手の中指か!」
全くでたらめな方法なら良い。
多少思い込みによる効果がある程度で問題にすらならないだろう。
けれど、これは駄目だ。
これは明らかに、ある程度の知識でもって本当に「守護霊」に当たるものを呼び出そうとしている。
カイトはすぐには意味がわからなかったらしい。
レンの言葉を反芻してから、少年は困惑した様子で問う。
「な、なんだよ。その守護霊を呼ぶのに自分で指を傷付けてるってことかよ? でも結局Rデータに悩まされてんだから、効果がないってはっきりしてんじゃんか」
「違う。効果なら、出てる」
レンは苦々しく左手を握り込む。
「俺たちにとって『守護霊』に当たるものは、保有データだろ」
アルエットが、そうだねと酷く優しい声音で言った。
「私にとっての守護霊様は、アンリエッタだな」
「…………おい、じゃあ」
面白がって、或いは不安なことがあって、守護霊様を呼ぶ儀式を行う。
儀式の手順において左手の中指を傷つける行為があり、そして呼んだ当人にとっての守護霊に当たるものが現れる。
それは守護霊という名のRデータだ。
だから呼び出されるごと、現象としては異なる形を取る。
訓練も受けていない感応力のない人間がそれを保有することは極めて難しい。
結果として、Rデータの影響を受け害を被ることになる。
そしてどこかで儀式が行われると本体はそちらに移り、結果として場には強度が低下した情報の残滓が留まるのだろう。
「それ、ヤバい……よな?」
「普通にヤバい。この手の噂ってのは本当に流行病みたいなもんで、一気に広がって手に負えなくなる。広めてる人間をどうにかして、尚且つ対処を続けて本体を上手いこと捕まえるって相当な労力だろ。財団の注意喚起程度でどこまで効果があるか」
気の遠くなるようなブラック案件である。
カイトも正しく状況は理解出来たらしく、呆然と黙り込む。
そしてふと「広めてるやつ」と呟いた。
その反応に「何か知ってんのか?」とレンは急かすように聞く。
何でも良かった。
今は、全く情報が足りない。
はっとしたカイトは「対策班内の噂だけど」と前置きする。
けれどそれが重要な情報だと本人もわかっているのだろう。
ぱっと自身の携帯端末を取り出して検索をかけながら続ける。
「ほら、最近テレビでよく見るタレントいんだろ? 若い、ちょっとチャラそうな男。オレってば霊感ありましたーとか自慢してるやつ。ノリだけは良くて、Rデータ関連の話も面白がってするから財団も何回か注意したけど、言い訳ばっかで懲りねーって話でさ。だから守護霊の話もソイツがあちこちで広めてんじゃねーかって」
「……悪い、誰?」
駄目だ、そういうことに関しては全く記憶に残っていない。
カイトは馬鹿にするでもなく、「覚えとくようなヤツじゃねーよ」とあっさり頷く。
そしてやっとヒットしたのか、端末の画面をレンに向けた。
見覚えがあるような、ないような。
流石に気になったのか、ひょいと画面を見たアルエットが「この人」と言ってレンを見る。
「この間、テレビに出てた人だよね? レンの部屋で見た。何かトークショーやります、みたいに宣伝してた人でしょう?」
この間、と言われて唐突に記憶が蘇る。
シオ発動の翌日。
いつものように点けたテレビ。
自室の床にコートを丸めて座り込んでいたアルエット。
そういうの含めて財団に怒られるギリギリまで語っちゃうんで。
そう軽快な口調で語る、画面の中の男。
「……トークショーって」
疑惑の人物は観客に何を語るのか。
アルエットもカイトも、何も言わない。
酷く重い空気に、レンのため息が沈んだ。
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