アンリレインの存在証明

黒文鳥

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 同一のRデータと聞いて、少年は口を開けて固まった。
 レンとて、最早笑いたい気分である。
 けれど実際のところは乾いた笑いすら出て来ない。
 
「同じRデータなの?」

 平常運転のアルエットが不思議そうに問う。
 そう、そもそも情報強度の低下という異常以外、共通点がない。
 現象として同じであれば、それは誰が見ても考察の余地なく「同一のRデータ」と判断出来る。
 そうでないからこそ、財団も様子見を決め込んでいるのだ。
 
「違うRデータに見えるけど、本当は同じってこと? よく、わからないな。だってそれってアンリエッタとシオが、本当は同じデータだったみたいな話だよね? そういうことあるの?」

「いや、『普通』はない。けど、それにまだ気付いていない共通現象が加わるなら、可能性がないとは言い切れなくなる」

 ここまで来て、アルエットは「やっぱり難しくてわからない」と肩を落とした。
 逆に、ここまでよく話を聞いていたものだ。
 彼女は彼女なりに、成長しているということだろうか。
 レンは視線をイグナートに向けた。
 
「本来のRデータが、現象点を介するたびに変異して違うものに見えているという可能性は排除出来ないかと思います。条件は不明ですが本体のRデータが場に存在している段階での情報強度に対して、本体がいない残滓状態においては強度が低下する。それなら、情報強度が急激に変化する理由になります」

 本体のRデータは現象点となる人間を渡り歩いている状態であり、その時の現象点の影響を受けデータとしての形が変異している。
 そして何らかの起因によってRデータ本体は現象点を離れ、消滅寸前の残滓だけが「突如情報強度が低下したRデータ」に見える形で場に残る。
 それはつまり、まだ全容の掴めないRデータが「感染するもの」であることを意味する。
 まだ何の検証も行っていない。
 全て杞憂であって欲しいと願いながら、レンは「感想」を締め括った。
 イグナートが短く息を吐く。
 変わらず冷静に見えるが、纏う空気は一層重い。

「感染するRデータですか」

「……研究員として、俺はこういう時物事を悲観して見ます。最悪の事態を想定するのが基本ですから。だからそうでない可能性の方も十分あります」

 レンは手袋に覆われた左手に視線を落とした。
 ただ率直にそう感じたことは事実である。
 恐らくはイグナートも、可能性の一つとして行き当たってはいるはずだ。
 
「いやでもさー、感染するデータってのは結局あんま広がらないって教わったけど?」

 明るさを取り繕ったカイトの声が、小さな会議室に響く。
 その青い目にはやはり動揺が見て取れた。
 
「呪いのメールとか、そういうのってことっしょ? そもそも噂が元の影核情報で本気で怖がるようなやつも少ないから、現象としてはちょっと物音がしたとかそれぐらいで自然消滅することがほとんど。財団もわざわざ対処に出ることなんてないって話じゃんか」

 やや早口に言い切った少年に、イグナートは「そうですね」と同意する。
 けれど、と低く彼は続けた。
 
「感染するRデータが、十八人の死者を出した事例もあります」
 
 十年以上前に発生した事例である。
 レンは研究員という立場上その事例を多少知る機会があったが、それでも詳細は機密扱い。
 財団関係者でも知らない者が多いはずである。
 だがそうか、年齢的にイグナートは当時も現役。
 どこまでも毅然とした横顔が、僅かに曇る。
 
「それは、動画でした。良く出来たフェイクではなく、本物の遺体の動画です」

 躊躇いなく、イグナートは語り出す。
 それは彼とは別の誰かがその言葉を借りているような、ある種異様な熱を帯びていた。

「仔細は危険性があるため省きますが、撮影者とその同行者四名が動画視聴後にRデータの影響を受けました。内三名は動画視聴二日以内に死亡。残りの一人が更に動画を拡散、一時的に影響を逃れましたがその後自死しています」

 比較的強度の低い影核情報に対して、生物の死後残る残留情報を核とした霊核情報は一、二段階強度が跳ね上がる。
 けれどそれだけの事態を引き起こすことは、非常に稀だ。
 撮影者らに対する明確な殺意すら感じさせる。

「拡散した動画を見た人間も、多少の差異はあれRデータの脅威に晒されました。対策班は早い段階でRデータの発生、被害を把握しましたが、対処は後手に回った」

 感染するRデータ。
 単純に起因を想定するならば、それはやはり「動画を目にすること」だろう。
 つまり本体は常に「今、動画を見た人間」の元に移る。
 対処が困難を極めたことは、聞かなくても容易に想像出来た。

「結果Rデータ発生初期に犠牲となった四名に加えて彼らの親族、また動画を見ただけの男女。そして対処に関わった対策班の計十八名が死亡。Rデータ本体は人を介するうちに変異、強度が異常に高くなり、当時財団に所属していたデータ憑き四名によってようやく破壊されました」

 ただ被害が大きすぎた。
 だからこそ一般には勿論のこと財団内でも、詳細は機密とされているのだ。
 それが感染するものであったが故に、未だに恐れられている。
 イグナートは一瞬、疲れ切ったように瞳を閉じた。

「まともな亡くなり方をした人間は一人もいなかった」

 さっと、左手から痺れが走った。
 椅子の背もたれに身体を預けていたアルエットが、微睡の最中突然声をかけられたかのようにぴくりと跳ねた。
 
 刹那、ぱしん、と甲高い音が空間に響く。
 
 嫌な音だった。
 身構えたカイトを横目に、レンは数秒の後「それくらいで」とイグナートを諌める。
 真に迫った話であればあるほど、それはRデータを呼ぶ。
 ましてここにはデータ憑きが二人も揃っている。
 イグナートは静かに「状況を失念していたようですね」と理解を示した。

「現状の話をしましょう。レン・フリューベル。私を含め異変に気付いている対策班もいますが、残念ながら目の前の対処に追われそれどころではない。財団全体としては様子見の判断が下っています。考え過ぎであるのなら良いと思いましたが、貴方も同じ可能性に思い至るならば話は別です」

 彼はコートのポケットから黒いデータチップを取り出し、机に置いた。
 
「報告に上がった限りですが、類似例がまとめてあります。調べてもらえますね?」

 それを断る理由は、何一つない。
 俺でいいのなら、と頷くとイグナートは確かに薄く笑んで、

「いいえ、是非貴方に頼みたい」

 そう、言った。
 
 
 
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