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しおりを挟むしんと冷えた空気を吸い込んで、レンは夜空を見上げた。
さらさらと梢が鳴る音がするのは公園が近いせいだろう。
今夜の仕事は終わりだと自覚した瞬間から、抗い難い眠気に襲われていた。
シオはいつだってそうだ。
全神経を傾けて発動を制限しないと、こうやって過保護なまでにレンを守る。
眉間に手をやると、アルエットが「大丈夫?」と即声をかけてくる。
半歩後ろを離れない彼女はさっきからレンの様子を時折窺うような素振りを見せ、普段の無軌道ぶりが嘘のように大人しい。
多少は反省しているのだろうか。
とはいえ今夜の彼女の行動にもきちんと物申しておかなければいけない。
いけないのだが、至極残念ながらそれもどうでもいいほどに眠かった。
心配そうな顔のアルエットに、大丈夫大丈夫と適当に返す。
マンションからそう距離はなかったはずだが、停めていた車が見えて来てレンは息を吐いた。
これだから、レンは対策班に向いていない。
存在証明が可能でも、シオは直接的な情報破壊は出来ない。
挙句危なかったら自身はさっさと寝落ち。
シオとは長い付き合いだから短時間で覚醒出来るが、その影響を引きずる。
これではセットは堪らないだろう。
別に対策班に「運用不可」の烙印を押されたところでレンは一向に構わないけれど、その事実自体は揺るがないものとして確かにあった。
無言のまま後をついてきたカイトが何も言わずに運転席に回る。
不機嫌な表情のまま手を出され、ああ、と車のキーを手渡した。
ありがたいことにイグナートの指示通り運転を任されてくれるらしい。
「あのさ」
キーを受け取ったカイトは、一瞬それに視線を落としてからぶっきらぼうに言った。
呼びかけに答えようとして、少年がアルエットを見ていることに気づく。
「なんでコイツと調査班なんてやってんの?」
それは確かにアルエットに対する問いかけだった。
だからレンは口を挟まず、傍の少女に視線をやる。
目が合う。
何でこっち見てんですか。
「………………」
まるでいない相手のように彼女はカイトを見ようとしないし、当然返事をする気配もない。
レンはちらとカイトを見て、それから諦めて「知り合い?」と間を取り持つ。
「同期だよ」
一応返答があったことに軽く安堵しつつ、けれど面倒なことになっているとレンはようやく気づく。
やはりカイトもまだ新人で、イグナートは仮のセットなのだろう。
そしてアルエットはと言えば、対策班で多々やらかしてここまで来た口である。
であれば、この少年もアンリエッタの挨拶の餌食になっているはずだ。
「オレとセットにはならないとか言って、何で研究員なんかと調査班やってんの?」
ほらあんな物騒な挨拶してるから、と謝罪を促そうとしてカイトの言葉に首を捻った。
文句が飛び出してくるかと思えば。
「ん、え? セット希望者?」
主任の話では指導役にすら拒否されて、対策班ではセットが見つからなかったのでは。
いや、「希望者はいたみたい」と言っていたか。
それでは彼がそうなのだろうか。
けれどアルエットはあからさまにカイトを無視したままだ。
「アルエット」
流石にその態度はどうなんだ、と批難込めてレンが呼びかけると、彼女はようやくふるふるとシナモン色の頭を振って「話したくない」と答えた。
強い口調ではないが、明確な拒絶を感じさせる淡々とした声だ。
怒ってもいない、不機嫌でもない彼女の表情は、初めて会った時の空虚なものに戻っている。
「はあ? オレがせっかくセットになってもいいって言ってやったのにさ、説明くらいしろよ」
カイトはそう拒絶されて、苛立ちより悔しさが勝るらしい。
なってやってもいい、とはレンですらどうかと思うが、それは恐らく本意ではないのだろう。
気恥ずかしさと建前故の言葉。
セットになりたかった、それが本音のはずである。
ただそれを読み取るだけの精神性が、悲しいかなアルエットにはない。
話したくない。
ただそれが、彼女の答えなのだろう。
説明を求められても、彼女は頑なに沈黙を貫く。
さらさらと、夜風が吹き抜ける。
どうしろと。
「…………アルエット、共通言語はどうした?」
レンは静かに聞いた。
面倒だが、これもまた仮セットの役割だろうか。
アルエットはレンを見て、「共通言語」と繰り返す。
「向き不向きもあるから完全論破しろとは言わないけど、人として対話に臨む姿勢くらいはあっても良いんじゃないのか?」
実に不服そうな表情のアルエットに、レンは諭すように続けた。
無理だろうか。
適当に「今は気分じゃないからその話は後々」とは言ってくれるだけでもいい。
それくらいの会話が出来なければ、この先社会生活だって危ういだろう。
数秒の沈黙の後、アルエットは意を決したように小さく息を吸った。
「私、あなたのこと嫌い」
ぴしりと少年の身体が凍った。
発せられた言葉の威力に、流石のレンも口を挟めない。
恐らくは少なからず好ましく思っている女の子からの全否定。
残酷すぎる。
「あなたはアンリエッタのことを馬鹿にした。だから、あなたとお仕事なんて無理。あなたとセットになるなんて絶対に嫌」
容赦のない追撃。
それも一切、反論を許さない鋭さである。
対話とは。
けれどその拒絶に、アンリエッタを頼らなかったことは確かに成長と言えるのだろうか。
衝撃から立ち直れないカイトから、当然反応と呼べる反応はなく。
アルエットは微かに眉を寄せて、再び口を開く。
「ちょ、ま、待った!」
いやわかる。
自身の保有データへの嘲笑は、データ憑きであるが故に到底許せることではない。
挙句上から目線の「セットになってやってもいい」発言は、マイナス評価一直線。
ただまあ、そういう態度でしか好意を表現出来ない人間もいるのである。
アルエットに察しろとは言わないが、これ以上は言葉の暴力だ。
止められたアルエットは一転、褒められ待ちの子犬のようにレンを見上げた。
やれば出来たよと言わんばかりの彼女に、咄嗟に言葉が続かない。
「え、いや、間違ってない。間違ってないけど、言葉は選ぼうか」
「すごく選んだんだけど、足りない?」
「火力過多だけど!?」
確かに間違っていない。
共通言語で言い負かせと言ったのはレンで、アルエットはその通り実践しただけである。
けれど実際のところ、相手は素直に慣れない系のお年頃男子とはまさかの事態。
ようやく言葉を飲み込めたらしいカイトは、一瞬唇を噛んで再起動。
それから精一杯虚勢を張るように、鼻で笑った。
「は、じゃあ、何? これからコイツとセットになって調査班なんて半端な仕事するわけだ」
「そう。私はレンのセットだから、レンと一緒にお仕事をする。半端なお仕事でも最低なお仕事でも、レンと一緒ならいい。他の誰も必要じゃないし、他に何もいらない」
何の躊躇もなくアルエットは言葉を返した。
息を呑むほどに鋭利で、危ういほどに清廉な感情が声に滲む。
カイトは呆気に取られたように、彼女を見た。
やはり彼に悪気はないのだ。
激昂する様子もなく、まして怒りに任せて殴りかかってくるなんてこともしない。
少年は気まずそうに手の中のキーを弄んで、それから耐えかねたように車のドアを開けた。
さっさと乗れよ、と言い捨てる辺りが憎めない。
残念ながら、アルエットは全くその辺りに気付いていないが。
時間をかければ或いは、とレンは思う。
レンとアルエットだって、初対面の印象は最悪に近かったのだ。
だから、とアルエットを見て、それからふと思い返す。
そう言えば。
いつの間に、何故こうも懐かれているのだろうか。
「どうしたの? レン」
「ん、いや、別に」
レンが乗らないのなら当然乗るつもりがないらしいアルエットを、さっさと車に促す。
何か見逃してはいけない、正さなければいけない過ちがあると確信しながら。
それでももう今夜は、これ以上何か考えるのは酷く億劫だった。
助手席に乗り込んでシートに寄りかかった瞬間、強烈な睡魔に襲われる。
アルエットの不安そうな声に不明瞭な返事をして、レンは抗うことなく意識を手放した。
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