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しおりを挟むそして現場に実に気不味い空気が流れたのは、言うまでもなかった。
渋々イグナートを見送ったカイトは偉そうに腕組みをしてレンを見たが、実際どうしていいのかはわからないらしい。
アルエットは結局少年が残ったことが大層お気に召さないらしく、やはり無言のままだ。
宜しく、とは。
「……えっと、聞き取りの続きとかされますか?」
依頼人の夫が助け舟を出してくれる始末である。
レンはありがたく思いながらも、「いえ」と首を振った。
聞き取りも何も遭遇した後だ。
ちらと見たチェストの引き出しには、Rデータの気配もない。
閉鎖空間、ここでは引き出しや棚の中などの極狭い空間が出現場所。
閉まっている状態で、中から異音がする。
開けると、人の首が入っていて。
それが何か喋る。
Rデータとしての構成情報は、そんなところだろうか。
依頼人が親族の死を報告してつつ首を故人と断言していないことからも、情報としてはまだ「誰の首」と定まっていないと考えられる。
レンが見た限り老人ではあったから、夫妻も「もしかしたら」とは思っているのだろう。
変異はしている。
噂、想像、疑念。
そこに親族の死。
あの首が「誰か」確定すると面倒なことになるが、幸い情報強度は低くなっている。
「だから逆説的に、霊核情報ではないんだろうな」
レンは引き出しの取手に触れて、小さく呟く。
当初の強度は、死者が核としてRデータとなる霊核情報でもおかしくはなかった。
けれどそもそも霊核情報であるのなら、首はとうに故人の顔をしているはずである。
影核情報であったそれに夫妻が、いや主には現象点である妻が情報を付随させている状況と考えていいだろう。
「なー、アンタさ、例のデータ憑きだろ? データ憑きなのに対策班に入れなかったっていう」
黙り込んでいた少年は笑いながらそう言って、「で、アンタがどうにか出来んの?」とひらひら片手を振った。
ただ台詞はどうあれ、軽く馬鹿にしているだけで芯からの侮蔑は感じられない。
いっそレンが頼み込めば、何だかんだ言いながら対処をしてくれそうな雰囲気さえある。
年相応の軽薄さと対策班所属というプライド。
見ているこちらが恥ずかしくなるような、若気の至りである。
「……ーーーー」
背後でアルエットが何か言ったが、囁くほどの声で流石に聞き取れない。
レンはあっさりと「可能か不可能かの判断くらいはつきますよ」と答え、様子を見守る夫妻に視線を送った。
ただでさえ寝落ちの醜態を見せ、更には財団関係者同士の不仲を露呈とか最悪にも程があるだろう。
とにかくさっさと仕事を終わらせてこの場を去るのが一番である。
「すみません。怖いのは、これで最後ですので。少しだけ我慢して頂けますか?」
レンははっきりと、現象点である妻を見て言った。
夫妻はそれで多少なり何か感じ取ってくれたようだ。
夫はまた妻の肩を抱き、妻は項垂れたまま静かに頷いた。
「可能かどうかとかさ、そもそも失敗してるわけじゃーー」
カイトの言葉を最後まで聞かず、レンは開いたままのチェストの引き出しを閉めた。
「レン」
アルエットがくいとコートの裾を引っ張る。
同時に妻は顔を覆って啜り泣いた。
ごめんなさい、と何に対してなのか幾度となく謝罪の言葉が漏れる。
「ーーは、ちょっと待てよ! 閉めたら出るんだろッ!?」
「だから、出てきて貰わないと証明も何もないでしょうが」
まだ場数を踏んでいないのだろう。
カイトの的外れな叱責に、レンはしれっと言葉を返した。
そのまま閉めた引き出しを、軽くノックする。
挑発めいた行動を咎めるようにカイトが大きく息を吸い、眉を寄せる。
ごろり、と重い音がした。
来た。
強度は低下しているが、現象としてはまだ安定しているようだ。
それならば情報破壊ではなく、存在証明で対処が出来る。
そしてそれはレンにとっては、やはり大切なことだった。
「存在証明」
左手の人差し指で、まっすぐにそれを指差す。
ぱちりと脳内がクリアになる。
誰かが息を呑んだような気がしたが、別段気にはならなかった。
存在証明は言葉によるRデータの解体。
目に見える現象ではない。
驚くようなことは、何も起きてはいないはずである。
「分類、影核情報。閉鎖小空間における発現。異音による存在の主張。その『解放』と『見る』禁忌を有し、呪言を紡ぐもの」
がこ、と引き出しが揺れた。
「嗤う老人の首」
それは証明によって、変異性と神秘性を失う。
確定され、暴かれることはRデータにとって致命的な事象である。
こういうものだと明かした瞬間に、複雑に絡まり合った情報は解け崩れていく。
引き出しはかたかたとゆれ、それは一瞬の後嘘のように静まった。
「証明完了」
強度が低いからか、手応えのない解体だった。
レンは静まり返った室内を見渡し、まだ顔を覆っている妻に声をかける。
「開けますよ」
彼女は反射的にやめてと言いかけ、弾かれたように顔を上げた。
レンはその彼女に見せるように、殊更ゆっくりと引き出しを開ける。
無論、そこには何もいない。
「……もう、終わったんですよね?」
呆然と引き出しの中を見つめる妻を抱きしめたまま、夫が震える声で確認する。
「はい、Rデータは完全に解体しました。長くお時間を頂いてしまい、申し訳ありません。対処依頼はこれで完了です」
長く息を吐いた妻は、指先を組むようにして胸の前で強く握り締める。
レンは今後に関する説明を簡単に夫に伝え、ふと現象点だった彼女に問う。
「ところでご親族の逝去以外に、何かありましたか?」
誰かと面白がって怖い話をしたとか、噂のある場所に行ったとか。
そういう些細なことがRデータ発生の一因になる。
妻は青白い顔のまま、レンを見た。
唇が震える。
「…………いいえ」
「そうですか」
それなら、もうここにいてもやることはない。
端末で時刻を確認すると、まもなく日付が変わろうとしていた。
帰ろう。
帰って、とにかく寝たい。
レンは再度夫妻に謝罪をすると、アルエットとカイトを促してさっさと部屋を辞した。
何故だろう、ここのところ現場から慌ただしく立ち去ることが増えた気がする。
アルエットはレンのすぐ隣を大人しく歩き、カイトは不機嫌そうに数歩後ろからついて来ている。
かつてのような穏やかな調査なんかもう一生出来ない気がする、とレンは半ば悟ったように思った。
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