アンリレインの存在証明

黒文鳥

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 引き出しが閉まった瞬間、絶叫の切れ目。
 
 ごろ

 と、何か重量のあるものが転がる音がした。
 決して大きくはないが、それは確かに異音だった。
 音がしたのは、閉まったばかりの引き出しの中からだ。
 書類や文具なんかを入れたらすぐ一杯になってしまう程度の、小さな引き出しである。
 重いものが転がる空間は、恐らくない。

 けれど中には今、何かがいる。

 引き攣るような呼吸音にすすり泣きが混ざる。
 パニックに陥る妻を抱くようにして、夫が壁際まで後ずさった。
 アルエットはそんな依頼人たちと、額を押さえるレン。
 そしてまだ取っ手に触れたままの引き出しを見て、咄嗟にその行動は間違っていたんだなと判断したのだろう。
 閉めてはいけない。
 それは、Rデータの起因トリガーだ。
 
 だから彼女は当然、閉めてしまった引き出しを開けた。
 
 やってしまった前の状況に戻せばいい。
 そこに何の躊躇いもありはしなかった。
 この引き出しの中に、何が入っていても。
 アルエットには脅威になりはしないのだから。

「ちょ、馬鹿!!」

 でもこれは俺が悪いな、とレンはどこか冷静に思った。
 アルエットの行動は予測出来て然るべきだったし、彼女が事前に渡した資料を「見ただけ」なのはわかっていたのだから。
 せめて事態の悪化は避けたいが、レンが駆け寄るよりアルエットが手元の引き出しを開ける方がどうしようもなく早い。
 呆気ない。
 何の抵抗もなく、引き出しはするりと開けられた。
 
 その小さな空間に入っていたのは、人の頭部だった。
 
 横向きの顔は老人のもので、男か女か判然としない。
 半開きの虚ろな瞳孔は、禁忌を犯した少女を見上げる。
 生気なく開いた色のない唇が、ひくりと動く。
 悪意を孕んで、それは嗤った。

「ーーーーーー」
 
 それを見下ろすアルエットの表情に、恐怖はなかった。
 アンリエッタで触れる、ただそれだけで終わるのだから。
 けれどアルエットが『白い手』を動かす前に、その頭部は低く呻いた。
 それは何かの言葉に聞こえたが、意味を理解出来るような音ではなかった。
 唄うような、囁くような、酷く不快な音だった。
 嘲笑うように音を紡ぐ色のない唇から、アルエットは魅入ったように視線を外さない。
 彼女の左手は、まだそれに触れない。
 それはRデータの強度の問題である。
 見てはいけない、答えてはいけない。
 開けてはいけない。
 禁忌が伴うRデータは、その条件を満たした時強度が跳ね上がる。
 アルエットはデータ憑き。
 本来であれば、この程度のRデータの影響を受けるはずがない。
 けれど彼女は綺麗に、感心するほど見事に全ての条件を満たしてRデータと対した訳である。
 動くことができないのは、当然だった。
 レンは硬直したままのアルエットの左手を引いた。
 このまま放っておいても死にはしないだろう。
 悪くて気絶、精神的に消耗くらいはするかもしれない。
 だが、それくらいだ。
 いっそ彼女には良い薬になる。
 そう思ったはずなのに、レンは彼女の手を引いてそれとの間に割って入った。
 背後に庇ったアルエットが、思い出したように呼吸するのを聞いて。
 そのRデータと、目が合った。

 刹那シオが反応する。
 
 こういう不意の遭遇に対して、シオは融通が効かないことが多い。
 レンが何の心構えもしていなかったのも、良くなかった。
 酷く柔らかい、穏やかな痺れが身体の感覚を一瞬で奪う。
 それは決して恐怖を伴わないが、慣れ親しんだ状況だけに後々のことが脳裏を過ってレンは僅かに左手を軽く握り込む。
 そこまでする必要はないと伝えたかったのに、シオは全く手加減をしない。
 必ずレンを『守る』。
 そのために親鳥の翼のように全て覆って、レンを眠らせる。
 外界が遮断され、音が遠のく。
 駄目だ、眠い。
 抗いようもないまま、もういいかと意識を手放す瞬間。
 誰かが、名前を呼んだような気がした。



 
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