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しおりを挟むレンは「んなこといいから立つ」と言い放った。
アルエットはきょとんとして、言われるまま本を片手に腰を上げた。
日陰になりやすい場所とはいえ、それなりに広いデッキだ。
比較的明るい席を選ぶと、レンはやっと椅子に座った。
素直について来たアルエットは、僅かに戸惑うような表情をしたが大人しくレンの向かいに腰を下ろす。
「怖がらせてるって思うなら、アンリエッタに物騒な挨拶させるな」
レンはコーヒーを一口飲んで、紙袋からパンを取り出して頬張る。
丸く柔らかいパンは、まだ温かかった。
ふんわりとした生地からは微かにチーズの風味がする。
「アンリエッタは、怖い子じゃない」
「んなことは知ってるよ!」
アルエットの訴えに、レンはぴしゃりと言い返した。
大体データ憑きの保有データは、保有者にとっては「命の恩人」に等しい。
レンにとってのシオがそうであるように、幼い頃から自分を怖いものから守ってくれた存在だ。
『白い手』の基礎情報がどれほど物騒なものであっても、その情報は保有者を守るために揮われたものである。
それが、怖いものであるはずがない。
けれどそう捉えることの出来る人間はごく少数だ。
更にその扱いがあれでは、庇いようがない。
「アンリエッタが誤解されるというなら、それは間違いなく保有者の責任だ。愛犬自慢したついでに『噛みつけ』ってけしかけたようなものだろ。わかる? もっと簡単に言う?」
「でも何もしなかったら、みんなアンリエッタを馬鹿にしたよ?」
「だからアンリエッタに任せた? Rデータならともかく相手は人間だろ。自分でアンリエッタを守らなくてどうすんだよ」
アルエットはしんとした瞳を真っ直ぐにレンに向けた。
守る、と意味を味わうように彼女は繰り返す。
「守るって、どうやって?」
「は? 共通言語があるだろ。徹底的に言い負かせよ」
「それでも、わかってもらえなかったら?」
「財団に腐るほど相談窓口がある」
「うん。それでも、駄目だったら?」
何なんだ全く。
何故か少し楽しそうに畳みかけるアルエットに、レンは面倒になってひらひらと片手を振った。
「そしたら肉体言語で語れ。横っ面引っ叩いてこれ見よがしに泣いても良いし、落とす気で正拳突きかましても良い」
「暴力は良くないよ」
よもや彼女に言われるとは思わなかったが、レンはしれっと「そりゃそうだ」と同意する。
「それでも、アンリエッタを守るためにそれくらいの覚悟はして然るべきだ」
罪を自覚した上で、守りたいものを守るために鉄拳制裁くらい出来なくてどうする。
アルエットはようやく問いかける唇を閉ざした。
ただひたすらに注がれる視線は、やはり同年代の少女と言うよりは獣じみた透明さを感じさせる。
けれど人の言葉で、彼女は「うん」と答える。
「うん、何となくわかった。アンリエッタは凄いんだって、怖い子じゃないんだって、わかって欲しかったんだけど」
あの挨拶じゃ駄目だったんだね、とアルエットはやっと納得したように言った。
「難しいね、私、いろんなこと知らないから」
「…………何で、そんな知らないことばっかなんだよ。本嫌いってだけでそんなになる?」
アルエットはレンに釣られたように首を傾げて、そしてゆったりと肩を竦めた。
「NICSで、たくさん勉強させられたよ。小さい頃は講師のおばさんが来てくれて、でも本読めって押し付けられて、それだけ。そのうちおばさんも来なくなって、それからはモニター越しとか課題だけ出たりとか、そんなだったから」
テストで点を取るのは得意だったよ、とアルエットはしれっと言った。
「よくそれでNICSを出て来れたな」
NICSとはデータ保有者養成施設であり、データ憑きの管理施設でもある。
問題ありと判断されれば、施設で一生を終える可能性も零ではない。
アルエットは不思議そうな表情をして、「勉強出来ないとNICSを出れないの?」と逆に問う。
そうではない。
「世間様に不都合なデータ憑きって決定が下ったら、NICSに軟禁されるって言ってんの。財団はそういうとこ容赦ない。親族との面会だって許されるかどうか」
実際のところ、アルエットの振る舞いはNICSに連れ戻されていても不思議ではないギリギリのラインである。
けれど当の彼女は「そうなんだ」といささか危機感がない。
「でも私、会いに来る家族もいないから別に困らないよ」
特別悲嘆も感じさせない、あっさりとした口調でアルエットは言った。
会いに来る家族もいない。
それ自体は決して珍しいことではない。
特に子どもがデータ憑きになった時親族の反応は異常に過保護になるか、子どもを忌避するようになるか、反応は大きく二分される。
幼少期のデータ保有は、少なからず人格に影響をもたらすことが明らかになっている。
データ憑きにとって保有データは単なる「データ」ではない。
それは時に友であり、親であり、半身である。
それを絆と呼ぶのか、依存と呼ぶのか。
どちらにせよ対象がRデータである以上、その思考は一般的には異常と見做される。
幼い我が子がそうして異質な何かになった時、子どもへの愛情ゆえにそれを受け入れられない家族も多い。
加えてデータ憑きはNICSでの基礎教育が義務付けられているため、財団に預けられている間に親族との関係が自然に切れることが少なくない。
レンとてその口である。
「それにNICSのご飯美味しいし、お庭広いし、静かだし。講師の人たちは好きじゃないけど、私別にずっとあそこにいても困らないな」
「そういうことはちゃんと外を見てから言うんだな。檻に戻るのは簡単だけど、そっから出るのは大変だぞ」
レンはパンの最後の一欠片を口に放り込んで、コーヒーを飲み干す。
思い返してみたNICSの生活は、静かで色がない。
一生をあそこで過ごせと言われたら、それは苦痛だろうと思われた。
「俺はNICSの飯だけ食って生きてくのは勘弁だな。絶対、三日で飽きる」
「そう? でも確かに、NICSでずーっと勉強しろって言われたらちょっと嫌かな」
「えぇ……、そこか」
「だって、一人で本読んでても全然楽しくないんだもん。わからないことは、ずっとわからないまま。そのうち何を読んでるのかわからなくなっちゃう」
アルエットは少しばかり眉を寄せて、手にした教科書の表紙を撫でた。
全てはそこに起因するのだろう。
前途多難だが、希望がないわけではない。
「ま、多少なりとも事情があって良かったよ。やる気がないわけじゃなさそうだし」
あまりに基礎知識がないことは問題だが、本人だけに原因あるわけではないことは幸いだった。
レンのささやかな安堵に対して、アルエットは平然と言葉を返す。
「ものすごくやる気があるわけじゃないし、勉強は嫌いだけどね?」
「……そこは嘘でもやる気があるって言っとこうか」
「嘘で良いの?」
「良いわけないだろ!」
レンが間髪入れず言い返すと、アルエットはにこっと笑った。
他愛ない言い合いを楽しむように、微かに声を上げて彼女は笑う。
面倒で、調子が狂う相手だ。
けれど、こうやってちゃんと笑えるのなら良かったと。
レンは確かにそう思った。
「ね、あのね」
アルエットは少し身を乗り出すようにして、顔を近づけて来た。
シナモン色の癖のない髪がはらりと揺れて、仄かに甘い匂いがする。
「私も、存在証明出来るようになると思う?」
出来て当然だ。
けれどあっさり頷くことは躊躇われた。
「それはアルエットの努力次第だろ。適当言ってりゃ何とかなるって話でもないし、知識がないとそもそも話にならない」
「そっか。じゃあ、ほどほどに頑張るね」
「え、ほどほど、とは?」
ここまで来て意欲を見せないとは、手強い。
アルエットは名案とばかりに手を叩き、「でも」と付け加える。
「そうだね。ご褒美があったら、ちゃんと頑張れるかも」
「その場合、ご褒美が欲しいのは俺なんだけど」
ころころと笑うアルエットは、獣のようにも、小さな女の子のように見えた。
初めて会った時のような空虚さは、今、欠片も感じられない。
何より大切な「友」を得て、「普通」とはかけ離れた。
恐らくは、これがアルエット・セルバークという少女の本来の形なのだろう。
「今夜もよろしくね、レン」
まるで当然とばかりに、アルエットは両手を差し出す。
試すように求められる、握手。
レンは隠すことなく、嫌な顔をした。
何だったら舌打ちでもしたいくらいだったが、仕方なくその手を握り返す。
シオは、反応しなかった。
「最初っからこういう挨拶してれば、面倒なことにならなかったのに」
「でも最初っからこういう挨拶してたら、レンには会えなかったよね」
アルエットは反省の欠片もない、涼しい声音でそう言った。
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