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しおりを挟む存在証明とは、言葉でRデータの解体を行う対処方法である。
何を核としたどういう現象なのかを暴く。
そして場合によっては名付けを行って、保有に至る行為だ。
古に教会や退魔師が行っていた方法と似ているが、根本的にはステルラ博士による対処システムによって確立された新しい対処技術である。
必要なものは、多少の知識。
そして補助として、左手を覆う手袋を用いる。
それは、財団では「コード」と呼ばれる対処専用の装備である。
一見何の変哲もない財団支給の黒手袋だが、その裏地には銀糸でびっしりと文字らしきものが刺繍されている。
この文字はステルラ博士の研究論文に登場するのだが、一二〇年経った今でも詳細は解明されていない。
わかっていることは、人間がRデータに対処する際にコードが何らかのバックアップを行っているということだけである。
事実存在証明とデータの保有に関しては、コードの有無で成功率がかなり変わる。
本来はコードなしでデータの保有、使用が可能だが、コードを用いてのそれはやはり極めて容易になると実感出来るのだ。
使用法は極めて単純で、左手にコードを嵌めるだけ。
そして存在証明時には、左手の人差し指を対象に向ける。
データ保有に臨む場合には、人差し指に中指を添える。
自身の保有データを放つ場合も、人差し指を対象に向けるだけだ。
ステルラ博士の定義では、人間の左半身はRデータに対する干渉力が高い。
そして特に、人差し指は「放つ、示す」特性を有し、隣接する中指は意義が反転し「受け入れる」特性を有しているとされる。
まあ実際には、律義にそれを守らなくても存在証明も保有データの使用も可能ではある。
「ね、他の部屋の電気、消して来たけど。他には? リビングは暗くしなくていいの?」
心なしか、アルエットの瞳はきらきらと輝いて見えた。
リビング以外、不要な照明は全て消され、テレビも当然スイッチを切られている。
部屋の中央に置いた椅子には、青白い顔をした青年が座っていた。
レンは「そこまでしなくていいから」と、探し当てた照明のスイッチに手をかけるアルエットを止める。
「暗くした方が楽しいよ?」
「楽しさ求めてませんから。てか、存在証明の準備は出来てんの?」
アルエットはとことことレンの隣まで来て、何も言わずににっこりと微笑む。
大変不安だが、こと今回に関してはレン自身が存在証明をしてしまう気でいた。
仮セットとして、初仕事である。
調査はレンの方が先輩だ。
調査班の仕事は大体こういうものだと、彼女に教える意味もある。
「あの、おれ、何したら……? ここにいなきゃ、駄目なんですかね?」
青年の声は緊張のためか、微かに震えている。
さっさとRデータを始末して欲しいのは重々承知だが、そう簡単にはいかないのが現実である。
「心労はお察ししますが、ここにいて頂かないと対処出来ないので」
「……はぁ」
存在証明は、ミステリー小説なんかで言うところの犯人を暴く行為に他ならない。
お前だ、と指示すのに、全くそっぽを向いていては話にならないのである。
Rデータ本体、或いはその現象が集中する「現象点」。
それを指差すことで、存在証明は効果が増す。
今回は、青年の周囲にRデータが発現している。
現象点は、彼だ。
上手くRデータ自体が形を取ってくれればいいが、そこは確実に期待出来るわけでもない。
よって、彼には悪いが現象点としてここにいてもらわなければならないわけである。
「では、始めますか」
レンは言いながら、ちらりと傍らのアルエットを見遣った。
相変わらずだ。
データ憑きとして、Rデータには嫌というほど慣れてはいるだろう。
けれど対策班においては新人で、仕事としてそれに対することはまだ数えるほどしかしていないはずだ。
だが、本当にどうかと思うほど緊張感なく微笑んでいる。
「ね、早く」
挙句軽い調子で急かされて、レンは彼女に関しての思考を一度放棄した。
深く考えたら負けである。
「影は、見えますか?」
レンは青年に静かに訊いた。
彼は視線だけを部屋の暗がりに向けて、小さく首を振る。
「いえ、今は……、足音も聞こえないです」
「そうですか? 気付いていないだけで、いると思いますよ」
すっと、部屋の温度が下がる。
空気が重くなる。
「います」
レンは静かに繰り返した。
「い、……い、る」
「はい。確かに、います」
存在を認めることも、Rデータの強度を高める行為だ。
先程までは微かだった気配が、一転して強くなる。
低く唸った青年が、顔を覆った。
ああ、いる、と呻く。
来た。
「どこにいますか?」
レンの問いに、彼は顔を片手で覆ったまま、自身の斜め後ろを指差した。
丁度、彼の視界の端だろう。
リビングの隅、キッチンへと続く扉の辺りだ。
「黒い影」
まだはっきりとは見えないが、何かが、揺らぐ。
ひた、と確かに音がした。
アルエットが耳を澄ませるように、小首を傾げる。
それは確かに、足音だった。
素足の人間が、静かに室内を歩く時のそれである。
青年は耐え切れなくなったのか、両耳を塞いで背を丸めた。
「――ああ、なんなんだ、やめてくれよ……。そんなつもりじゃ、なかったんだ」
絞り出すような彼の声に答えるように、部屋の隅に、影が立った。
ぼんやりとした、辛うじて人らしく見える程度の影だ。
レンは左手を持ち上げて、その影を真っ直ぐに指差した。
強度の低さを考えても、ヒトの残留情報が核になっているとは思えない。
そうなると、これは噂やヒトの想像によって生まれた影核情報だろう。
現象は、付き纏う影と足音。
証明自体も、複雑ではない。
そしてそれはレンにとって、貴重な研究資料だ。
「存在証明」
ふわりと、コートが揺れた。
「……ーーえ」
傍らに立っていたはずのアルエットが、何故か影に向かって駆けていた。
レンは呆気に取られて、彼女を見送ってしまう。
シナモン色の髪が、さらさらと肩口で跳ねる。
黒いコートとクリーム色のワンピースが、踊るように翻った。
影を見据えた彼女の瞳には、瑞々しい喜びが溢れていた。
レンでなければ、或いはその瞬間の彼女を「美しい」と表現しただろう。
けれど、その刹那を目の当たりにしたレンが抱いたのは全く別の感想だった。
アルエットは、形だけでない笑みを浮かべて、左手を伸ばす。
その『白い手』が触れるのは、ぼんやりと佇む影だ。
あまりに明確な、破壊意思。
アルエット・セルバークは、猛犬である。
レンは心底、そう思った。
重い鋼鉄の首輪をようやく外され、ただ獲物に喰らいつこうと疾駆する。
この一瞬の彼女は、そういう生き物だった。
アルエットの手が、影に触れた。
それは壊れたテレビの映像のように歪み、そして四散する。
何か残っていようはずもない、圧倒的なまでの情報破壊だった。
くるりとレンを振り返ったアルエットは、獰猛な瞳のまま純真無垢に笑った。
「終わっちゃった」
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